第一四話



「どこに目をつけている!? 相手の剣じゃない。全体を見るんだ! 次!」


 城門のそばまでくると、ジークルーネの凛とした声が響いてきた。

 目を向けると、ジークルーネが衛士たちに稽古をつけているところだった。プラチナブロンドの髪が可憐に揺れている。


「踏み込みが浅い。脇を締めろ。次!」


 次々と打ち込まれる木剣による攻撃を軽々とさばきつつ、ジークルーネは檄を飛ばす。

 その声には、見ているだけのはずの勇斗が身震いしてしまうぐらいの厳しさがあった。


 勇斗と接する時の彼女は、いつも借りてきた猫のように従順なので、今のきりっと引き締まった硬質な美貌で衛士を叱咤する姿は、新鮮でもあり懐かしくもあった。

 勇斗もこの世界に来たばかりの頃は、ああやって彼女に鍛えられていたのだ。


「相変わらず、尋常じゃない強さだなぁ」


 我知らず感嘆の吐息が漏れる。

 ジークルーネが相手をしている衛士たちは、決して弱くはない。

 曲がりなりにも城内の警備を任されるぐらいだ。

 皆かなりの腕前と言ってよかった。


 にもかかわらず、ジークルーネは赤子の手をひねるかのごとくあしらってしまう。


「ええ、ほんとに。わたくしでも彼女を相手に一〇合持たせるのがやっとですから」

「フェリシアでも一〇合かよ……」


 脇で同じように、模擬戦を見学しているフェリシアの言葉に、唖然とする勇斗。

 フェリシアとて、《狼》でも五本の指に入る剣腕の持ち主だ。

 その彼女でもたったそれだけしか持たないというのだから、ジークルーネの戦闘力はやはりズバ抜けているというしかなかった。

「どうにもわたくしの《無謀の従者(スキールニル)》は器用貧乏になりがちで、それぞれの分野では本職には敵わないんですよね」


 フェリシアは頬に手を当て、憂鬱そうに溜息をつく。

 なんでもできるが、決して一番にはなれない。

 その辺りに多少、コンプレックスを感じているのかもしれない。


 もっとも勇斗に言わせれば、フェリシアの《無貌の従者(スキールニル)》にはそれを補って余りある汎用性があるのだが。


「どうした、お前の力はそんなものか!? その立派な筋肉は見せかけか!?」


 男女の筋力差は、ユグドラシルでも当然、厳然として存在している。

 しかも相手の衛士は体格もよく、腕の太さなどジークルーネの倍ぐらいはありそうだ。


 だというのに、ジークルーネはその渾身の一撃をあっさり弾き返しているのだ。明らかに人間離れしている。

 ――が、化け物じみてはいない、とも一方で勇斗は思う。


 勇斗のいた世界においても、超一流のアスリートはゾーンと呼ばれる神がかり的な集中状態になることで、常識では考えられない力を発揮する人たちが少ないながら存在している。


 打撃の神様と言われた野球選手は「ボールが止まって見える」の名言を残した。

 奪三振記録を持つ投手は、最も好調な時、「外角の境界線がキラキラ光って見えた」らしい。

 そこに放り込むだけで打者を打ち取れたと言う。

 また、あるサッカー選手は、ピッチを上から俯瞰するように観ることが出来る時があるという。


 勇斗の見たところ、多少の例外はあるが、基本的にはエインヘリアルの力はその程度だ。

 神の加護といっても、某無双ゲームのように単騎で一〇〇人二〇〇人と屠れるような超人では決してない。


「っ! 父上!?」


 バッとジークルーネが戦いの最中だというのに後ろを振り返る。

 だが、突然のことに相手の木剣は止まらない。


 惨劇の予感に、勇斗は思わず息を呑む。

 前述の通り、エインヘリアルは決して無敵の存在ではない。

 特に《月を食らう狼(ハティ)》には肉体の強度を上げるような加護はない。

 あんな勢いで木剣を頭に叩きつけられてはただで済むはずがなかった。


 カンッ!

 しかし、辺りに響いたのは人を叩いた時のような鈍いものではなく、どこか乾いた音で――

「……化け物め。いったいどこに目をつけてるんだか」


 ほうっと安堵の息とともに勇斗はやれやれと首を振る。

 完全によそ見をしていたというのに、ジークルーネの木剣は、相手の攻撃をしっかりと受け止めていた。

『最も強き銀狼(マーナガルム)』の二つ名は決して誇張ではないとつくづく思い知らされる。

 達人は目に頼らず物を視るというが、ジークルーネは若くしてその域に至っているようだった。


「うむ、今のはいい一撃だった。よし、一時休憩だ!」

「「「ありがとうございました! 母上!」」」

 兵士たちがわずかのズレもなく、唱和する。

 頭の下げ方なども非常にキビキビとしており、普段のジークルーネの指導の厳しさがうかがえた。


 ジークルーネを母と呼ぶところからして、どうやら彼女の若い者のようだった。

 宗主の盃を誰彼かまわず下ろしていては、盃が軽くなるし、何より命令系統が煩雑になる。

 宗主――すなわち勇斗の盃を受けているのは、《狼》でも一握りの幹部と、その器量を認められた幹部候補生のみ、せいぜい五〇人にも満たない。

 それ以外の者はみな、幹部たちと親子盃を交わしてその幹部の「組」に所属し、幹部直属の部下として氏族に仕えるのが常であった。


 ジークルーネに限らず、若頭のヨルゲンやフェリシアも、勇斗の子弟であると同時に多くの子分を抱えた組長(おや)でもあった。


 概ね、「組」は組長の特徴がよく出ると言われている。

 ジークルーネ組は、《狼》でも有数の武闘派が勢揃いしているし、フェリシアの抱える組などは文官が多いなどといった具合だ。


「おー、稽古お疲れさん。相変わらず、つええな」

「お疲れ様です、父上! 朝のお勉強は終えられたのですか?」


 ジークルーネは勇斗のほうを振り返るや、顔をほころばせタタタッと駆け寄ってくる。

 先程までの鬼教官とはとても思えない変わり様だった。


「まだ半分だよ。それよりさっきの凄かったな。見もせずに受け止めるとか、さ。あれも《月を食らう狼(ハティ)》の力なのか?」

「あ、はい。なんとなく風を切る音でつかめるというか……」

「ああ、なるほど。い……じゃなかった狼の聴覚は人間よりはるかに上だしな」


 犬と言いかけたのは内緒である。

 どうにも最近、ジークルーネの所作のいちいちが犬っぽく見えて困る勇斗だった。


「しかし、ルーネの能力はいろいろうらやましいな」

「そ、そんな! 父上に比べたらわたしの力など……」

「いや、そう卑下すんなって。ほんとすげえよ」


 腕を組み、しみじみと勇斗は頷く。

 強くありたいという願望は、男にとってはもはや根源的なものなのだ。

 その卓越した身体能力は、やはり憧れずにはいられない。


 また、この世界に来たばかりの頃は、週に一度は食あたりを起こしていたものだ。

 今はさすがに身体もなれてくれたが、当時は食べ物を口にするのに忌避感を覚えたほどだ。

 生きるためには食べないわけにもいかず、地獄に等しい時間だった。彼女の力が自分にあれば、ずいぶんと楽だったように思う。


「わたしの《力》など所詮は戦うことにしか使えません。それも兵一〇〇人分にも見たぬちっぽけなものです。万人を導く父上の《力》には到底及びませぬ」

「あれ、おまえ、以前、俺のこと使い物にならんとか断言してなかったっけ?」

「うっ、あ、あの頃のことは、その、汗顔の至りで……」


 ジークルーネがバツが悪そうに表情を曇らせしどろもどろになる。

 ちょっと意地悪ではあったが、勇斗としてはまた持ち上げられてはかなわない。


 もっとも、当時の勇斗を役立たず扱いしたのは彼女に限らない。

 むしろ《狼》のほとんどの人間が、勇斗を蔑んだ目で見たものだ。

 来たばかりの頃こそ勇斗の奇妙な出で立ちなどから天の御使いではないかという者もいたらしいが、そのあまりの虚弱っぷりに一ヶ月も経たないうちに呆れ果て、そんなことを言う者はいなくなった。


 言葉もろくに話せない。

 力仕事はできない。

 この世界の常識はまるで知らず子どもでもできることができない。

 とないない尽くしな上に、すぐに腹痛を起こして寝込んでばかり。

 当然と言えば当然だった。


 苦笑しつつ、勇斗はちらりと隣に立つ副官に視線を向ける。


「ん? どうされました、お兄様?」


 フェリシアが不思議そうに首をかしげる。

 あの頃のどうしようもない勇斗に優しく親身に接してくれたのは彼女ぐらいだった。


 いや、もう一人、いた。

 フェリシアの実兄であり、勇斗にとっても無二の親友と呼べる男が。

 強く、賢く、人望もあり、《狼》の皆から将来を嘱望されていた。


 だが今はもう、いない。


「……いや、なんでもない」


 勇斗は小さく首を振った。


 自分には彼のことを口にする資格がない。

 勇気も、ない。


 フェリシアが勇斗に負い目を持っているのと同様、勇斗もまた、フェリシアに負い目を感じていた。

 なぜならフェリシアから唯一の肉親を奪ったのは、他でもない勇斗なのだから。


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