第七話
「父上! 街が、イアールンヴィズが見えて参りました!」
ジークルーネの凛とした声に、勇斗はもそもそと荷台から身体を起こした。
一面、人の手がまるで入っていない土と石が剥き出しになった大地と、遠くかすかに山々が連なる雄大な景色が視界に飛び込んでくる。
百頭を軽く超える羊の群れが、犬に追われて原っぱをゆっくりと行軍していく。
羊の牧畜は《狼》の主要な食料源であり、かつ、衣類を作るためにも不可欠な重要な産業である。
羊たちの目指す方向に、うっすらと、だが確かに、赤茶色の建造物を見ることができる。
《狼》の族都イアールンヴィズのシンボル、聖塔に間違いなかった。
「やっと帰ってこれた、か。やっぱりなんかホッとするな」
街に戻るのは実に一ヶ月ぶりだった。屋根や温かい寝床がとにかく恋しかった。思わず勇斗の口から安堵の吐息が漏れる。
「はい。あの街こそ、我ら《狼》の巣ですから」
勇斗の隣で、フェリシアも嬉しそうに言う。
帰ってきてホッとする、か。
勇斗は自嘲気味に小さく笑みをこぼす。
いろいろ複雑なところもあるが、それでもやはり、あの街は自分にとってもう一つの故郷と呼べる存在ではあるのだろうと実感する。
「わたしは早くお風呂に入りたいです」
ジークルーネがカッポカッポとチャリオットに愛馬で並走しながらしみじみと言う。
いくら《狼》最強マーナガルムといっても彼女も女の子だ、身体を清潔に保ちたいのだろう。
「あー、確かに。俺も入りてえわ」
この時代にも風呂があるのは、二一世紀の人間である勇斗にとっても有難かった。
汗や汚れ、そしてなにより血の臭いを落としたかった。
「ふふっ、ではお兄様、お背中お流しして差し上げますね」
「っ! ち、父上! 僭越ながらわたしも!」
「いや、けっこうですんで」
二人の申し出をはっきりきっぱり勇斗は拒否する。
もちろん、男として二人のような美少女に背中を流してもらうというシチュエーションには胸躍るものを感じはするし、もったいないとも正直思いもするが、やはり線引は大事である。
一昨日の膝枕がギリギリのラインだ。
権力を傘にきて好き勝手するような下衆には落ちたくない、勇斗は少年心にそう強く思っていた。
「あ、そだ。ソレの調子どうだった?」
「ああ、コレですか?」
話題を変える意味合いもこめてジークルーネに勇斗が問いかけると、ぱああっと彼女の表情が、まるで大好きな玩具を与えられた子どものように華やぐ。
なにやら嫌な予感が勇斗の背筋を疾ったが、もう遅い。
「実に素晴らしいですね! おかげで自由自在に戦う事ができました! さすがは父上です! その叡智はまさに天におわします神々に比肩しうるといっても決して過言ではないでしょう。まさに父上は我ら《狼》の下に舞い降りて下さった天の御遣……」
「いや、わかった! わかったからもういい!」
「そ、そうですか」
慌てて勇斗がジークルーネの口上をきっぱりと押し止めると、弾んだ表情から一転、ジークルーネはシュンとなってうつむく。
どうもジークルーネは主を褒めだしたら止まらないところがある。
それだけ自分を買ってくれているというのは嬉しくはあるのだが、勇斗としてはこっ恥ずかしくてとても聞いていられなかった。
「そ、その、わたし、なにか父上の気に入らないことを言ってしまったのでしょうか?」
おどおどとどこか怯えさえ表情に滲ませて、ジークルーネが訊いてくる。
その姿はまるで主人に怒られ尻尾を元気なく垂らしている犬のようで、どうにも勇斗は罪悪感に苛まれてしまった。ちょっと口調が強すぎたのかもしれない。
「い、いや、そんなことはぜんぜんないから!」
「本当でございますか?」
「当たり前だろ。感想ありがとな」
「いえ、今後もなんなりとお申し付けくださいませ」
むふーっとジークルーネは満足気な笑みを浮かべる。
泣いたカラスがもう笑った、か。勇斗はやれやれと苦笑するしかない。
ひとたび戦場に立てば無敵の『最も強き銀狼(マーナガルム)』も、今は勇斗の言葉に一喜一憂する女の子だった。
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