第三三話
「ぬうっ! また貴様らかっ!」
突如、森の中から出現した騎馬部隊に、ユングヴィは唸るように吐き捨てる。
奇襲をしかけた矢先に逆に奇襲し返された。
これでは完全に挟み撃ちの格好である。
してやられた屈辱感に身が焦げんばかりであった。
思えば、彼奴らにはさんざん煮え湯を飲まされてきた。
まさに恨み骨髄である。
「若頭補佐(ほさ)! 前方の《角》は任せた。儂はあの小憎たらしい者どもを先に片付ける!」
いくらかの兵とともに序列二位である若頭補佐に後備えを任せ、ユングヴィは雷鳴のような号令とともに、チャリオット隊の大部分を騎馬部隊へと旋回させる。
すでに《角》の軍勢は初撃の突撃ですっかり戦意を喪失しているようだった。
もはや脅威でもなんでもない。
「今までの恨みここで晴らしてくれん!」
まともに戦おうとせず、まんまと逃げられ続けた相手である。
斬り合ってくれるなら願ってもない好機だった。
長槍隊も脅威ではあるが、チャリオットの機動力があればどうとでもなる相手である。
今、一番に倒しておかねばならぬ脅威は、この騎馬部隊に他ならないと彼の長年の経験に裏打ちされた戦カンが告げていた。
しかしここでまたユングヴィにとって目を疑うような事態が起こった。
騎馬隊が、チャリオット隊に倍する速度でさらに彼らの側面へと回り込んだのである。
次いで加速の勢いの乗った槍が、チャリオットの車輪を次々と襲う。
チャリオットは大の男二人が乗った荷台を、二輪の木製の車輪が支えている。
元々かなりの負荷がかかっていた。
一撃であっさりと車輪は破壊され、バランスを崩したチャリオットが次々と横転していく。
「ぐあっ!」
「ぎゃあっ!」
荷台から投げ出された兵士たちは、ある者は再び繰り出された騎兵の槍の一撃に胸を貫かれ、またある者は勢い良く突っ込んできた馬に跳ね飛ばされた。
チャリオットがユグドラシルで最強の兵器であることは論をまたない。
それは《角》の軍勢に対する圧倒的戦果をみても明らかだ。
しかし、あくまでこの時代においては、だ。
この後、一〇〇〇年もの長きに渡り世界中で猛威を振るうチャリオットは、まさに騎兵の登場により戦場から駆逐されていったのだ。
兵力的には圧倒的に勝るチャリオット隊であったが、彼らは自分たちよりはるかに迅い敵に対する訓練など一切積んでいない。
一方、ムスッペル隊は、設立当初からチャリオット部隊との交戦を視野にいれ幾度となく修練を積んできていた。
その差が性能以上に一方的とも言える展開を生んだ。
アールヴヘイムで無敵を誇ったはずの《蹄》のチャリオット隊が、ろくな反撃さえ敵わずただただ一方的に蹴散らされていく。
対抗しようにも機動力が違いすぎるのだ。
手も足もでないとはまさにこのことだった。
「その身なり、さぞ名のある将であろう! その首頂戴する!」
《狼》の一騎が、チャリオット隊の中央に陣取っていたユングヴィを見つけ、槍を構えて突っ込んでくる。
「はなはだ奇っ怪なことよ……」
ユングヴィほどとなれば、構えだけである程度相手の力量を見切ることができる。
それなりには出来るようだが、あくまでそれなりだ。
なぜこの程度の者が、槍を振り回しなお姿勢を崩さず馬に乗っていられるのか皆目見当もつかない。
「もらったぁっ!」
騎兵の槍が、ユングヴィの乗ったチャリオットの車輪めがけて振り下ろされる。
だが、すでにその光景は何度となく見ている。
カンッ!
ユングヴィの槍が騎兵の槍を車輪目前で弾き返す。
来る場所がわかっていればユングヴィほどの腕ならこれぐらい容易なことだった。
「小童が。身の程を知れい。貴様など《戦車引く金の猪(グリンブルスティ)》のエインヘリアルである儂の敵ではないわ!」
グッと両腕に力を込め、槍をかち上げる。
その一撃のあまりの重さに、槍は騎兵の手を離れ宙を舞う。
この尋常ならざる膂力こそ、《戦車引く金の猪》の本領であった。
次いで返しで相手の横に突き出た穂先で相手の喉を掻き切る。
「がふっ」
騎兵の首から鮮血が吹き出し、断末魔の声とともに力なく転がり落ちていく。
主を失った馬が、困惑したように周囲を見回していた。
「クリストフ! おのれ、貴様っ!」
その時、部下を切り捨てられ激昂する少女とユングヴィは目が合う。
銀色の長い髪を鮮やかにたなびかせた、戦場にはそぐわぬなんとも美しい娘だ。
だが、彼の後宮にいる女とは眼が違う。
あれは女の眼ではない。
不用意に近づけば噛み殺されかねない猛獣のそれだった。
夜襲の時には遠目だったこととその暗さで顔までは判別できなかったが、月明かりに煌めく銀髪は鮮烈に印象に残っている。
彼の者の放つ矢が、ユングヴィの部下たちを何人も射殺したのも目撃している。
今回はさらに間近でその獅子奮迅の戦いぶりも見ている。
あの者だけ、他の騎兵とは明らかに腕が違った。
「小娘! 貴様がこの隊の長だな!」
「いかにも! 我こそは《月を食らう狼(ハティ)》のエインヘリアルにしてにして『最も強き銀狼(マーナガルム)』ジークルーネ! 貴公も一廉の者とお見受けいたす。名を名乗れ!」
「山犬とて我が名ぐらいは聞き及んでおろう。儂こそ《蹄》が宗主にしてアールヴヘイムの覇者ユングヴィよ!」
「ほう、ならば貴公を捕らえればこの戦、我らの勝ちということだな」
「抜かせ! 貴様さえいなければあの騎馬隊は烏合の衆であろう! その素っ首たたき落としてくれるわ!」
「面白い。やれるものならやってみよ!」
凛と叫ぶや、ジークルーネが猛然と切り込んできた。
すれ違いざま、ジークルーネがユングヴィの肩口目掛けて槍を放ってくる。
先程の騎兵のそれとはまったく迅さが違う。まさに神速と呼ぶに相応しい一撃だった。
だが、ユングヴィとて直接手を下しただけでも数百人は下らない《蹄》きっての勇者である。
その目はしっかりと槍の動きを捉えていた。
槍と槍が甲高い音を立てて交差する。
弾き飛ばされたのはユングヴィのほうだった。
荷台の壁にしたたかに打ちつけられる。
腕力の差と言うよりは勢いの差だった。
自分の半分ほどしかいない少女しか乗せていない馬と、二頭とは言え荷台に大の男二人を乗せた馬とではその速度に大きな開きがあった。
ユングヴィのチャリオットを通り過ぎたジークルーネが、思いっきり手綱を引き絞る。
驚いたのか、彼女の愛馬が前脚を上げ立ち上がる。
「なんとっ!?」
そのような姿勢でもなお武器を持ったまま振り落とされないとは、ユングヴィには妖術か何かの類にしか見えなかった。
さらに驚くべきことに、今度は手綱を右に引いて瞬く間に反転し、ユングヴィのチャリオットを追走してくるではないか。
この鮮やかな馬さばきだけで、彼女の技量の程が見て取れた。
こんな時でなければぜひ部下にと誘いたいほどである。
だが、ここは戦場だ。
そんな悠長なことを考えている暇はない。
荷台の縁に手をかけ、慌てて立ち上がり槍を構える。
彼の乗るチャリオットは未だ旋回の途中であった。
これまでその機動力を心から頼もしく思っていたものだが、目の前で人馬一体の妙技を魅せつけられては、なんとも鈍重に思えて仕方なかった。
「覚悟っ!」
「なんのっ!」
再び繰り出された槍を、ユングヴィは荷台の壁を足の支えにし、腰を落とし重心を低くして、今度は逆に弾き返した。
ジークルーネの瞳が驚愕の色を映す。
会心の一撃を受け止められるとは思ってもいなかったのだろう。
「くっ! その強靭さ、色合い、さては貴様の武器も鉄か!?」
「ふんっ! 鉄を持っているのはうぬらだけではないわ!」
星鉄は確かに黄金の五倍以上の値がつく希少な金属である。
さりとて
この槍こそは一〇年に渡り、彼が命を預け、最も頼みにしてきた長年の相棒であった。
その後、二人の勇者は馬の脚を止め、神速の攻防を繰り返す。
そのあまりの凄まじさに、両軍の兵士とも助太刀に行こうにもとても近づけない状態だった。
下手に二人の間に立ち入ろうとすれば、たちまち暴風のように荒れ狂う槍の応酬に巻き込まれ犬死しかねない。
打ち合うこと数十合、互角に思えた戦いは、ついに均衡が崩れる。
速度はほぼ互角。
だが、いかんせん膂力に差があった。
一般に、戦闘は高所が有利とされる。
自然、高所からの攻撃は重さが増すからだ。
それを加算してもなお、打ち負けているのはジークルーネのほうであった。
「くっ!」
じりじりと防戦一方に追い込まれていくジークルーネ。
そこに下からすくい上げるように、槍が弧を描いて襲ってくる。
これまで突きと横薙ぎの攻撃が主体だっただけに、完全に虚を突かれた。
なんとか槍で受け止めるも、代償は少なくなかった。
ぐらっと大きく姿勢を後ろに崩す。
その隙を見逃すユングヴィではない。
とどめとばかりに全身全霊、乾坤一擲の薙ぎ払いがジークルーネを襲う。
「おらぁっ!」
「うぐっ! なぁ!?」
それでもジークルーネは神速の反応を見せ槍を縦にしてその一撃を見事防いで見せる。
が、わずかばかり体重が足りなかった。
ふわりとその華奢な身体が宙に浮く。
咄嗟にジークルーネは槍を放り捨て、転がることで落馬の衝撃を分散する。
おそらく考えてのことではない。
若いながらも幾度となく戦場をくぐり抜けた戦士の勘に従ってのことだった。
「ちぃっ!」
転がる勢いを利用して、ジークルーネはすぐさま起き上がった。
いくら受け身をとったからとて、その衝撃を全て無にすることはできなかったのだろう。
その顔は苦悶に歪んでいた。
もしそのまま背中から落ちていれば、激痛にしばらく身動きがとれなかったに違いない。
だが、彼女が圧倒的不利な状況に追い込まれたことも、また確かであった。
「勝負あったようだな、小娘」
槍を構え直し切っ先をジークルーネに向けつつ、ユングヴィが口の端を釣り上げる。
自分の長所と相手の弱点、それらを一瞬で計算しての攻防だった。
二〇年、戦場に身を置き続けた経験が明暗を分けたと言えた。
「実に見事な腕前だったぞ、小娘、いやさ勇者ジークルーネ。貴様が後五年早く生まれていればこの結果は逆だったかもしれん」
これはユングヴィにとっては最高の賛辞と言えた。
傲慢な王である彼に、自分以上になれる可能性があると言わしめさせたのだから。
力ある者が全てを得、力なき者は力ある者に従う。
弱肉強食こそがここユグドラシルにおける唯一絶対の「法」だ。
氏族制度などその最たるものだろう。
彼はまさにそれを体現したような人間だった。
弱者にはなんの価値も見出さず奴隷として人を人とも思わず無情にこき使う彼だったが、ゆえにこそ強者には敵であろうと心から敬意を払うのである。
「…………」
ジークルーネは無言のまま、ユングヴィを見据えていた。
その瞳が、この状況にあってもいささかも闘志が衰えていないことを伝えてきた。
ユングヴィも気を引き締め直した。
二人の力量は切迫していたが、それでもユングヴィに数日の長がある。
またチャリオットと徒歩(かち)の戦力差が大きい。
なにより戦いにおいては間合いが最も重要だ。
すでに彼女の手に槍はなく、腰に剣を帯びるのみ。
あれでは荷台にいるユングヴィの身体に届かせることも難しいだろう。
万に一つも負ける要素は見当たらなかった。
だが、たとえどれだけ有利であろうと、こういう眼をした敵は油断できないことを彼は長年の経験から知っていた。
獣は手負いが最も手強いのである。
「久しぶりに血沸き肉踊る戦いであった。ヴァルハラでまた相見えようぞ!」
言うや、ユングヴィはチャリオットをジークルーネへと駆け出させる。
これほどの勇者を葬るのは忍びないと思いつつも、情けをかけるのは戦士の礼儀に反する。
ユングヴィは全力でジークルーネの心臓目掛けて槍を振り下ろした。
「なっ!?」
次の瞬間、此度の遠征で何度目かもしれぬ、目を疑う事態がまたもや起きた。
ユングヴィの槍は、数多の戦場において幾多の敵の武器を打ち砕き、主に勝利をもたらしてきた無敵の武具である。
《蹄》の兵士たちなどはユングヴィの槍を天が彼に与えたもうた神器であると本気で信じているほどだ。
その星鉄を鍛えて作り上げた稀代の名器の穂先が今、チーズのようにあっさりと斬り落とされていた。
目の前の少女が手に持つ、彼女の髪と同じく銀色に煌めく奇妙な武器によって。
その武器はユングヴィの長い戦歴においても見たこともない形状をしていた。
おそらくは剣なのだろうが、片刃である。
その刀身には緩やかな反りが入り白い波のような線が疾っていた。
しかもだ。
星鉄を叩き斬ってなお、刃こぼれ一つ起こしていない。
「はあああっ!」
ジークルーネが裂帛の気合とともに大地を蹴り、飛び上がった。
そしてその妖しくも美しい武器を大上段から振り下ろす。
「くぬぅっ!」
ユングヴィは咄嗟に受け止めようと腰の剣を抜き放つ。
もっぱら槍ばかりを使っているが、この剣もまた星鉄を鍛えて作り上げた稀代の名剣である。
だが、やはりそれすら敵の刃は易々と叩き切り、さらにいささかも勢いを衰えさせることなく、彼の肩口へと吸い込まれた。
ザシュッと己の肉が断たれる嫌な音が、ユングヴィの耳朶を打つ。
「わたしも同じ言葉を返そう、《蹄》の勇者よ。父上がいなければ、結果は逆だった」
ジークルーネは振り切った格好のまま、地面に片膝を突いて着地し言う。
彼女の脳裏をよぎるのは、圧倒的に優位なはずだった騎馬から、あっさりと地面に叩き落された時のことだ。
実力では悔しいが、完璧に負けていたと認めざるを得なかった。
勝敗を分けたのは、ただただ武器の優劣だった。
「うわあああ! 宗主がやられたっ!」
「嘘だ、あの宗主があんな小娘にっ!」
「に、逃げろ! 宗主がかなわないんじゃ勝てるわけがねえ」
「ひいぃぃぃっ!」
《蹄》の兵たちから、一斉に悲嘆の叫びが上げる。
最強を誇った宗主の死に、すっかり恐慌状態に陥っていた。
残ったチャリオットが慌てたように旋回し、一目散に逃げ出していく。
ユングヴィはまさしく、一代で《蹄》を大きくした英傑だ。
宗主の言うことは絶対だ、宗主に従っていれば勝てる。
《蹄》の者たちが彼へと寄せる信頼はもはや信仰とさえ言っていいほどのものがあった。
それこそがこの戦いにおいて散々手こずらされた《蹄》の強固な組織力の源泉でもあったが、ゆえにこそ、要を失った時にはひどく脆かったのである。
「くっ……痛っ!」
ジークルーネはよろめきながら立ち上がるも、左足に疾った激痛に顔をしかめた。
落馬の際、あぶみに引っかかり、捻ったのだ。
ユングヴィがジークルーネの一撃によりチャリオットから転がり落ちたところまでは視認している。
キョロキョロと辺りを見渡すと、すぐに見つかった。
足を引きずって近寄りその顔を覗きこむと、
「ごほっ! な、なんなのだ、その武器は?」
なんと、まだユングヴィは息があるようだった。
《戦車引く金の猪(グリンブルスティ)》のルーンがもたらす人並み外れた体力ゆえだろう。
しかし、その胸元はおびただしい血で真っ赤に染まり、その顔にははっきりとした死相が現れていた。
彼の命がもう長くないことは誰の目にも明白だった。
戦う前は出来るなら生け捕りにしたいと思っていたが、そんな悠長なことをしていればここで屍を晒していたのはジークルーネのほうだったろう。
ジークルーネはそっと手に持っていた武器をユングヴィの眼前に突きつけ言う。
「ニホントウ……というらしいぞ。父上のご実父様のものにはこれでもまだ遠く及ばぬというからまったく空恐ろしい」
二つの山脈に囲まれた《狼》の土地では、良質の砂鉄が取れた。
その砂鉄をたたら吹きと呼ばれる日本独自の方法により精錬して作り出された玉鋼は、百錬成鋼――幾度幾重にも渡る折り返し鍛錬を経て、達人が振るえば鉄さえ断ち切る強靭な刃金と化す。
物心つく前からずっと、勇斗は父の仕事を間近で見続けてきた。
工程は全て、目蓋の裏に焼きついている。
たたら吹きも何度となく見学している。
何事も経験と手伝わせてもらったこともある。
そんな彼が当代随一の鍛冶師イングリットとともに実に半年以上もの歳月を費やして準備し作り上げた渾身の一作であった。
「まだ……上があると申す……か。世界は……ごほっ、広い、な。出来るなら、この手で掴みたかったが、がふっ、叶わぬ、ようだ。だが……貴様ほどの勇者の手にかかって死ねるなら……本……望……だ……っ!」
「わたしも貴公ほどの者と手合わせできたことを誇りに思う。ヴァルハラでまた会おう」
「ふっ……」
ユングヴィは満足げに微笑み、スッと目蓋を閉じた。
一代にしてアルフヘイム地方を制した覇者の最期であった。
ジークルーネは愛刀を地面に突き立てるや、軽く頭を垂れる。
勇者の死に、哀悼の意を示したのである。
しばしの黙祷の後、ジークルーネは再び刀を引き抜き、天高く掲げてみせる。
「《蹄》宗主ユングヴィ、《狼》のジークルーネが討ち取ったりーっ!」
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