第14話散歩のお礼


「こんな感じでしょうか」


 変装し終えると、私は大工仲間のところに戻った。


「ああ、うんうん。雰囲気はかなり近い」

「だな。後ろ姿とかそのまんまだぜ」

「こりゃ、ひょっとすると、マジで騙せるかもな」


 変装一式が無駄にならず、私はほっと胸を撫でおろした。

 服はそのまま飼い主のものを着ている。洗ってないので、脱ぎっぱなしの衣類特有のにおいがするが、これが彼の体臭なのだろう。


 私の鼻はまだ慣れないが、ミロはこれにピンとくるかもしれない。

 大工たちが離れて見守る中、私は家に近づいた。

 また不審者か、と小走りでやってきたミロが、私を見てぴたりと足を止める。


「……くうん?」


 くりり、と小首をかしげる仕草が可愛らしい。

 足音や声で私がヤリスさんではないとわかったはず――だが、変装と服とにおいが大いに効果を上げている。半信半疑には持っていけているようだ。


「ミロ」


 噛みつかれるかもしれないと思いつつ、恐る恐る手を伸ばしていくと、ミロは一瞬警戒したものの、頭を撫でさせてくれた。


 わしわしわし、と頭から首元を洗うようにして荒く触る。

 まんざらではない様子のミロは、私にされるがままだった。

 うん。こうなると、犬も可愛い。


「…………」


 視線を感じて首だけで後ろを向くと、リオンが塀の上から私をじいいいいいいいっと見つめていた。


「むぅ……」


 咎めるような目をするリオンに、私は慌てて弁明をした。


「……リオン。これはワケがあって」


 言い訳は聞きたくない、という態度なのか、私とは目を合わさず、どこかへ飛び立ってしまった。


「あ、リオン――!」

「あーあ。アルベールがミロばっか可愛がるから」

「あのまま帰ってこないんじゃ……!?」


 絶望に顔を青くしていると、


「見つけてきたげる」


 その様子がおかしかったククルが愉快そうにシシシと笑い、リオンを追いかけた。

 心配は残るが、今私がすべきことはミロの対応だった。

 触らせてもらった勢いに乗じて、食堂からもらった残飯の骨をミロに差し出した。


「わふ?」


 前足でつんつん、と触って、鼻をひくひくさせにおいを嗅いでいる。興味津々といった様子だ。

 そして、あぐっとくわえてガジガジしはじめると、もう夢中になっていた。


「いい子いい子」


 骨で遊んでいるミロをしばらく眺めて、私は癒されていた。

 飽きない。

 全然飽きない。


 リオンは賢く、こんなふうに遊んでいるのを見たことがない。たいてい私の肩かどこかに止まってじっとしているか眠っているかのどちらかだ。

 寝ている姿も愛らしいのだが、いずれにせよ動きがないので、見続けるにしても長時間というわけにはいかない。


「散歩に行こうか」


 もうずいぶん行ってないのではないだろうか。


「わん!」


 私を見る目がキラキラと輝いた。くりんとお尻をこっちに向けて、庭の奥のほうへ消えると、すぐに首輪とリードをどこかから持ってきた。


「これが要るんでしょ?」とでも言いたげに、私の足元にそっと置く。

「賢い……」


 こんなに頭のいい子が、私のことをまだ飼い主だと思っているとは考えにくいが、ともかく、手懐けることには成功したのでよしとしよう。


 ミロに首輪を嵌めてやりリードを繋いで準備完了。

 町をゆっくり歩いてみたかった私としてもちょうどいい。


「行きましょう」


 声をかけると、ミロが猛然と走り始めた。


「えっ!?」


 ぐん、と手に持ったリードを引っ張られ、私も釣られるがまま走った。


「わふっ、わふっ、わふっ、わふんっ」


 よっぽど待ち望んでいたのか、尻尾をぶんぶん振って大興奮しているようだ。

 のんびり散策するつもりだった私にとっては大誤算だった。


 町並みや店や景色を楽しむどころか、息は上がり、足がもつれそうになり、店も景色も猛スピードで視界の脇を流れていく。


「ミロ、待、ちょ、ちょっと――」


 どうにか声を出すと、私の存在を思い出したかのように立ち止まった。


「は、は、は」


 まだミロの瞳の輝きは失われてない。全力散歩がよっぽど楽しいらしい。

 対して私は虫の息だった。

 風でも吹けば飛んでいってしまいそうなほど、足元はおぼつかず、どれほど呼吸しても空気が足りずとても苦しかった。


 肩で息する私には構わず、ミロはまた走り出した。

 もう、どっちが散歩しているのかわからない状態で、私はほとんど引きずられるようにして足を動かすだけだった。


 傾斜のある道を軽快に駆け上っていくミロにどうにかついていく。

 ミロは急かすように後ろを振り返り、また歩を進める。


 そうするうちに、町の喧噪が遠くなったことに私はようやく気づいた。周囲に気を配る余裕がでてきて、どこに来たのかわかった。


 辿り着いたのは、港町を一望できる高台だった。周りには木が生い茂り、賑やかな町とは正反対の静謐さを保っている。


 涼風が吹き抜けて汗ばんだ肌を撫でていく。


 視界の先では、指先ほどの大きさになった人たちが町を行き交っていた。


 どこよりも青空に近く、海の青と空の水色の境がここからよく見える。


 ミロはしばらく動くつもりはないのか、私の足元にちょこんと座っていた。


 よく来る散歩コースだったのだろうか。


 お気に入りの場所なのだろうか。


 それとも――。



「私にこの景色を見せたかったのですか?」



 ミロに尋ねても答えることはなく、ゆっくりと尻尾を動かすだけだった。

 誰かが作ったおあつらえ向きのベンチに腰かけて、町と海と船をのんびりと眺めた。



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