第33話狩人の獣人
森は、普段人間が入らないのか、入口らしきものも踏み慣らされた道もない。腰の剣で茂みを切りながら森の中を分け入って進んだ。
リオンが羽ばたき、枝の上に止まる。すぐにまた飛んでいくので、私たちはあとを追いかけた。
非常に歩きにくい森の中は、空からの日光を枝や葉がすべて遮っており、日中なのにすでに薄暗い。
苔むした大木や岩。湿気を帯びた腐葉土。少し前まで海の近くにいたのが信じられないくらい、青々とした植物のにおいが充満している。
張り出している大樹の根に足を引っかけないように歩くだけで、結構な体力を使った。
ミロとククルは身軽で、いつの間にか私の前をずんずんと進んでいる。
そうやって歩いていると、リオンが私の肩に戻ってきた。
獲物が近い合図だ。
「ククル、ミロ」
私は人差し指を口の前で立て、静かにするように伝える。ククルは同じ動きでミロに念を押した。
足元を見ると、丸っこい黒いフンが落ちている。
「鹿のフンですね」
しゃがんで地面をよく確認すると、足跡が残っていることがわかる。
茂みにぶつからないように、足元の小枝すら踏まないように、気配を殺すようにして静かに痕跡を追う。すると、すぐに獲物は見つかった。メスの鹿だ。
やや距離はあるが、射程圏内だ。私は肩にかけた弓を構え、矢を準備する。ククルとミロにも緊張感が伝わったのか、その場で固唾を呑んで見守っていた。
弓矢を扱うのは去年の晩秋以来だから、正直この距離は自信がない。次の獲物を探すことになれば、あっという間に真っ暗になってしまう。それはまずい。だから確実にこの一射で決めたかった。
「ククル、ミロ。二人で鹿がこちらに逃げてくるように誘導できますか?」
こくり、とククルがうなずき、ミロを連れて足を忍ばせて茂みに消えていく。
矢をつがえて弦を半分ほど引き、二人が上手くやるのを待つ。失敗したあとどうするかは、そのとき考えよう。
「わんッ!」
ミロが吠えると、鹿がびくんと反応し、軽やかにその場から逃げようとする。
次の瞬間、「わああああ。わあああああ」とククルが声を上げ、また驚いた鹿がまた方向を変えて、こちらに足を向けた。
私は目いっぱい弓を引く。古いが、本当にいい弓だった。
ついに私の存在に気づいた鹿が目を見開く。同時に放った矢が首元に突き立つ。たたらを踏むようにして二、三歩後ずさりした鹿は、そのままどさりと土の上に倒れた。
私は、ほう、と安堵の息を吐く。
「やった!?」
「わん、わんっ」
駆け寄ったククルが、うわ、すげー! とはしゃいだ声を上げている。ミロもその場で飛んだり跳ねたりして興奮していた。
「すぐに血を抜いて、皮から肉を外します」
ぱたぱたぱた、とリオンが飛んでいく。私のほうをくるんと振り返ったので、ついて来いと言いたげなのがわかった。
祈りの言葉を小さく口にして、苦しまないようにナイフで鹿の息の根を止める。
鹿を肩に担ぎリオンが飛んでいったほうへ向かうと、小さな湖があった。さすが、わかっているベテランである。傷口を水につけると血抜きが捗るのだ。
私は肩から鹿を下ろし、血抜きをしながら皮を剥いでいった。
「毛皮って、こうやって作られるんだ」
「わふわふ」
興味津々といったククルは、私の解体作業を観察していた。
皮についた脂肪を丁寧に削ぎ落していく。そのたびにミロが脂肪の欠片をおいしそうに食べていた。
「おい! そこで何してる!」
背後から上がった声に驚いて、振り返ると狼系の獣人の男がいた。見たところ、この獣人も猟師のようで、弓を肩にかけ、矢筒を背負い、腰には長短のナイフを二本差していた。
獣人の年齢を当てるのは得意ではないが、まだ若いのはわかる。二〇代~三〇代くらいだろうか。
「騒がしいと思ったら、よそもんか」
獣人はひどく迷惑そうだった。
「北に行く途中の旅人で、毛皮がほしくて鹿を狩っていたのです」
私は敵意はないことを伝えようと、最大限の愛想笑いをした。
「ここは、オレの森だ。勝手なことは許さん。その鹿は置いていけ」
顎をしゃくって出ていけと獣人は言う。
オレの森と言うにしては、管理してなすぎる。
「おじさんの森? どこからがそうなの?」
「森全体がそうだ」
えぇー? と不満げな声を上げるククル。
さて、どうしたものか。
肉は、なくてもいいが、皮は必要だ。
「あなたの森だというのであれば、管理証があるでしょう?」
「カンリショウだぁ?」
苛立ったような獣人は、威嚇するように牙を見せつけてくる。この手合いの扱いは慣れているので、どうということはない。
「一帯を治める領主や近隣の町や村の長からもらっているはずです。でなければ、今のようにトラブルの元になりますから」
森というのは、近くの町や村からすると貴重な資源だ。様々な山菜や薬草、木の実、動物、魚など、色々な物が採れる。
管理者は、その森に精通している木こりが多いのだが、猟師もたまにはいる。採ったものを売ったり家庭で消費したりでき、近すぎれば獣害が出たりするが、ともかく森というのは近隣の人間にはありがたいものだった。
「管理証が示せないのであれば、従うことはできません」
「痛い目みてえのか、てめえ」
ずいっと顔を寄せて睨んでくる獣人は、相当な迫力があったが、この手の言い分に屈していては、領主なんてものは務まらない。
「あなたこそ、痛い目みたいのですか?」
「このッ――クソ野郎がッ」
ナイフを抜こうとした瞬間、私は肘をみぞおちに打ち込む。
「ぐっ――っ……」
悶絶した獣人は膝を折ってその場に倒れた。
「やれやれ。小悪党ほどすぐ暴力に訴えたがるのはどの地域でも同じですね」
私は嘆くように首を振った。
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