第34話鹿肉パーティ


 どうせ管理証も何も持っておらず、勝手に自称しているだけだろう。

 うずくまる獣人は放っておいて、私は鹿の解体作業を進めた。


 肉を部位ごとに分けていく途中で端切れ肉が出る。それを見つけるや否や、ミロとリオンが我先にと切れ端を求めた。

 最初は目をそむけていたククルだったが、肉塊に切り分けたころには、喉を大きく鳴らしていた。


「せっかくですし、食べましょうか」

「うん!」


 決まってからのククルの行動は早かった。端切れ肉に夢中なペット二匹とは違い、キビキビと動く。簡易的な窯を作ると薪を集め、火をおこし、薄く平べったい石を見つけてコの字にした窯の上に渡す。


 皮から削いだ脂肪は、十分に温まった石の表面に塗っていく。さっきまでミロが喜んで食べていたが、今は端切れ肉にご執心らしく、いつの間にかかなり余っていたのだ。

 屋敷にいたかつての料理長がリブロースと呼んでいた背中側の肉を切り分け、石の上に並べる。


 ジュアッと小さく音を立てて、うっすらと煙が上がった。

 漁村から持ってきた塩を適量かけて出来上がりを待つ。私たちの話し声のせいか、物音のせいか、獣人が目を覚ました。鼻をひくつかせたので、きっとにおいのせいだろう。


「……何してんだ?」

「見てわかりませんか? 鹿肉のパーティです。せっかくですし、あなたも食べますか?」

「アルベール、こんなやつにご馳走しなくてもいいよ」

「そう言わないで。たくさんありますから」


 油のねばっこいにおいが漂い、肉が焼ける特有の香りがあたりに広がっている。


「なんなんだ、あんた……」


 怪訝そうにする獣人は、厚意には甘えるらしく出来上がりをじっと待っていた。

 ククルが摘んできた大きな葉の上に焼けた肉を並べて、ナイフで切り分ける。


「冷めないうちにどうぞ」

「いただきます!」


 一切れ食べたククルが感激して二枚、三枚、と手を伸ばしていく。

 目線で食べていいのか訊いてきた獣人に、私は「どうぞ」と言ってやる。


「……すまないな。いただきます」

「わふ、わふっ! わおっ! わおんっ!」


 自分も食べれると思っているミロは、私に前足をかけて千切れんばかりに尻尾をぶん回している。


「ミロはさっきいっぱい食べたでしょう」


 リオンはというと、物欲しそうにただじっとリブロースを見つめている。

 まさしく静と動である。

 仕方なく、リオンに一枚食べさせてあげた。あぐあぐ、と口の中に収めた瞬間には、もう次の一枚を求めていた。知らんぷりして私は獣人に話しかける。


「この森で猟師をしているのですか?」

「ああ。……あんたが疑ったり、管理証なんてない。勝手にオレがそうしてるってだけで……」


 旅人か? どこから来た? と獣人は私たちのことを聞きたがった。

 何かの縁だと思い、私は肉を食べながら話していった。私が北上することを再び教えると、彼は肉のお礼に、と毛皮を楽に作るための必要な特殊な液体を持ってきてくれた。それを使い湖でよく洗うと、殺菌効果があり、縮む心配がないのだという。おかげで、毛皮作りは一気にはかどった。


 ついでに、干し肉も作ってくれた。

 このへんは生業にしているだけあって、私よりも手際がよく、ずいぶん助かった。

 私と獣人が毛皮製作や干し肉を作っている間、食べたい分だけナイフで切って焼いていたククルは、「もう食べれない!」と声を上げて、大きく膨れたお腹を出して仰向けに倒れた。


「これでしばらくお肉は食べなくてもよさそうですね」

「この子は、犬系の半獣か」

「ええ。そうです」


 毛皮作業と干し肉を作る合間、獣人はぽつりと言った。


「以前暮らしていた町に、犬系の獣人の男がいた。そいつは、人間との間に生まれた子がいたらしい。この子がそうだとは思わないが」

「母親は?」

「生んですぐに死んじまったって話だったな」


 ククルが一緒に生活していた母親は、生みの親ではなかった。


「ちなみに、その方は今どこにいらっしゃるんです?」

「今どうしているかわからないが、当時オレが暮らしていたのは王都に近い中部付近の町で商人の用心棒をしていた。この子は、そいつが言ってた年頃に近い」


 地図を思い浮かべ、それらしき町にあたりをつけていく。

 話が聞こえていたのはわかっていたので、私はククルに尋ねた。


「どうですか? 会いたいですか?」


 寝そべって空を見たままククルは答えた。


「ううん。全然。僕が知っているのは、お母さんが一人で育ててくれたってことだけで、お父さんのことは何も知らない。顔もほとんど覚えてないし……」


 もし実の父であるなら、会うだけ会ってみたらどうだろう、と思う。血の繋がりがあるのなら、大切にしたほうがいいのではないか――。私には血縁者がいないからついそう思ってしまう。


 中部……というか王都にはいずれ行く必要があるので、そのときに立ち寄ってみよう。

 獣人の彼は、猟師になって長いらしく私が知らない鹿の内臓の食べ方などを心得ていた。試しに食べてみたらこれがとても美味で、臭みもなく、部位ごとに触感や味の違いが楽しめた。


 鹿肉のパーティが一段落し、毛皮の下処理も終わり、私は出発の準備をはじめた。火の後始末をして、干し肉のいくらかを獣人にお裾分けする。


「悪いな。もらってばっかりで」

「こちらこそ、色々と助けてもらいましたので」

「……あんた、これからも狩りはするのか?」

「ええ。ときどきですが」

「……そうか」


 獣人はそれだけ訊くと、茂みに入っていき、しばらくすると自分の家から矢じりをいくつも持ってきてくれた。


「これを使ってくれ。手持ちの矢じゃすぐ足りなくなるだろ」


 矢ごと渡さなかったのは、旅の荷物になると考えたからだろう。


「ありがとうございます。助かります」

「いや、いいんだ」


 私に襲いかかった罪滅ぼしなのかもしれない。こちらに被害はないし、むしろ痛い思いをしたのはそちらなのに、よくしてくれた。


「変に思うなよ。人族のやつに親切にされたのは久しぶりだったんだ。……それが、ただちょっとだけ嬉しかった。それだけだ」


 照れくさそうに獣人は言う。


「……旅の無事を祈ってるよ。それじゃあな」


 私は去っていく背中を見送って、来たときのようにリオンが飛んでいくほうへ歩き、森をあとにする。

 そのころにはすでに夕方になっており、近辺にあった廃れた民家があったので、そこで夜露をしのぐことにした。


 壁からは外が覗けたし、肝心の屋根もところどころ空いており、切り抜かれたような藍色の空が見える。部屋にベッドはなく、調理場には腐った水を貯めている甕があった。飲もうとしたらミロが吠えたので、何かあると気づけたのだ。


「拭き掃除おしまい」


 ククルがからりと言って、雑巾をぽい、と隅に放り投げる。砂埃だらけだった床は、ククルのおかげで綺麗になった。

 リオンは外が見渡せる屋根の上に止まり、ミロは私のそばで丸くなっている。

 ククルも私も、夕飯が必要ないくらい満腹になったので食欲がなく、すぐにごろんと床に寝転がった。


 肝心の毛皮は、今外に干している。私の経験上、着られるようになるまであと数日というところだろう。


「今日はもう寝ましょうか」


 私は隣に寝転んでいるククルに言った。


「お父さんの話は、聞いていますか?」

「……うん。お母さんから、ちょっとだけね」


 背を向けたまま、ぼそりと言う。


「大酒飲みで、腕っぷしが強くて、乱暴な人だったって」

「あー……ははは……」


 良からぬ人物像に私は苦笑しかできなかった。


「本当は、畑はあの人のものだったけど、いなくなったからお母さんが後を継いで仕事をしてたんだ。……僕は顔も覚えてないけど正直それでよかったと思う」

「どうしてですか?」

「もし覚えてて町で偶然見かけちゃったらさ、自分でも何言うかわからないから」


 純粋なククルにも、黒い感情が芽生えているようだった。

 であれば、まだ探さないほうがいいのかもしれない。

 私は話を変えた。


「鹿の内臓、ククルも食べたらよかったのに」

「やっぱり、貴族の人って普通の食べ物はなんでも食べてるから、ああいうゲテモノのほうが興味あるんだね」


「ゲテモノって。美味しかったですよ」

「僕は普通のお肉でいいや。あれを食べるのが、信じらんなかったもん」

「命をいただいているのですから、粗末にしないほうがあの鹿も浮かばれます」

「そうかなぁ」


「ミロとククルが追い立ててくれたおかげでもありますから、私が美味しいと思ったのであれば、その気持ちを共有したかったのです」

「えぇ~。いいよ、僕は。他に食べれるお肉いっぱいあったし」

「そうですか?」


 私は笑って目をつむった。

 もぞり、と何かの気配を感じて目を開けると、ミロが私とククルの間に寝そべった。隙間風が入るこの廃屋ではミロの体温が心強い。柔らかい毛の感触を手で味わっているうちに、気づけば眠っていた。



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