第35話帰還
北に行くに連れて、荷馬車を連れた行商人はほぼ通らなくなるし、道行く人も数日に一度しか目撃しない。
「こっちで合ってるの?」
ククルはしきりに不安そうに尋ねたが、ドラスト領内の山がすでに遠くに見えているので私は力強くうなずいた。
鹿の毛皮がなければ、凍えて歩くこともできなかっただろう。完成していなくても、体を覆っていたに違いない。それくらいドラスト領は近隣に比べて寒いのである。
灰色の空の下、雪がちらちら舞ってふんわりと地面に付着して、また景色を少し白くしていった。
防寒具なしのククルは雪を見てはしゃいでいるが、私も子供のころはそうだった。屋敷の仕事が終われば雪遊びをしていたので、心躍る気持ちがわずかに蘇ってくる。
だが、寒さは別だ。
廃屋を見つけては中で火をおこして暖を取り、村や町を見つける度に立ち寄って休憩する。
それくらい足取りはゆっくりで遅い。急ぐものでもないし、なんなら、到着したら春になっていた、というのも悪くない。
近づくにつれて、立ち寄った町でドラスト領の話が聞こえてきた。治政が上手くいってないそうだとか、大金をはたいて兵士を集めているだとか。なぜそうなったのか、私は首をかしげることしかできなかった。
不思議に思っているのは近隣の町人も村人も同じらしく「前は良い所だったって話だったのにな」と以前と比較する。
その度にククルは鼻が高そうだった。
「おじいちゃんが言った通り、立派な領主だったんだね」
「精一杯やらせていただいただけです」
現領地の状態を聞くと、私はますます領民のことが心配になった。
やはり、ベッケンにあの激務は難しかったのではないか。きちんと引き継ぎもできず追い出されたので(いきなり追い出すほうが悪いのだが)、領地の現況もわからなかったのかもしれない。
ベッケンと顔を合わせれば揉め事になるので、簡単にメモでも書き残しておいてあげられたらいいのだが。
「どんな町なんだろう」
ククルは、単純に私が治めた町を見たかっただけのようで、ちょっとした観光気分でいる。
そんなククルは、寒くても剣の稽古を欠かさない。
寒いから、と理由をつけて私が相手を断るので、しぶしぶ一人でやっているのだが、一緒に旅をはじめた頃と比べて、筋肉がつき、ゆっくりと剣士の体つきになってきている。
それに加えてククルは、交渉事がますます上手くなっていった。
漁村で作った魚の干物が各町や村で重宝され、ククルは私が思っていた以上の値段で干物を売りさばいた。
剣士よりも商人のほうが才能があるのでは、と言ったことがあるが「こんなの普通だよ。アルベールがお人よし過ぎるだけで」と半目で私を責めた。
人がいいというのは誉め言葉だと思うが、ククルに限っては違うらしい。
それはともかく、ククルのおかげで減った路銀が微増した。夕食の品数をひとつ増やせる程度には余裕ができている。
私の食事が足りてないと思っているククルは、食べ物を分けた際、必ず小さいほう、少ないほうを選んだ。
目標が強くなることだったとしても、そんな優しいいククルに、剣を教えてしまってよかったのだろうかといまだに思う。
「ククルは才能があります」
「ほんと!?」
「ええ。剣が使える商人になれば、かなり儲けられるでしょうから、それでお母さんに家を建ててあげられます」
「なんで商人なのさ」
さりげなく彼の方向転換しようとすると、こうして不満を口にした。
そんなふうにして、寒風に震えて、火の温かさに感動して、寒気に凍えて、出会った人の親切さに感激しながら、私たちはゆっくり北上していき、ドラスト領へ入った。
「……真っ白だね」
「ええ。まあ、冬はこのようなものです」
ドラスト領は、大きく山間部と平野部に分けられる。
山間部のほうからやってきた私たちは、とくに雪がひどい村を眺めていた。
「ここがアルベールが治めていた領地なんだね」
「このあたりは、早々に雪に覆われてしまうので、冬支度も他の町に比べてかなり早いです」
この村は、猟師と木こりを兼業でやる家が多く、冬になれば、家にいる時間が長くなるのを利用して、革細工を製作している。
ぐっ、ぐっ、と眩しいほどに白い雪を踏みしめて、久しぶりの領地を歩く。雪があっても、その下に何があるのか、まだ簡単に思い出せる。
ベッケンのために、私は旅の途中に仕事の引き継ぎメモを書き連ねていた。……メモというよりももう本に近いが、それをこっそりと屋敷に置いていくつもりだった。
屋敷まで歩いて一日もかからないが、今回は視界も足元も悪く、いつものようにはいかなかった。
屋根を借りる家を探すことにし、ククルが率先して民家の戸口を叩く。これもいつの間にか彼の仕事のようになってしまった。
「こんにちはー!」
どんどん、と扉を鳴らすと、すぐに猟師らしき髭面の男が顔を出した。
「誰かと思ったら半獣じゃねえか。こんな日になんの用だ」
男が嫌そうに眉をひそめると、ククルは言った。
「アルベールが一晩休ませてほしいって」
「アルベール? 誰だそれ」
「前ここの領主だった人」
「領主だった人、アルベール……ドラスト様か?」
「ほら、あれ」
ククルが私を指さすと、髭面の男と目が合う。どうも、と小さく会釈すると、目を剥いて驚いた。
「ななな、なんでこんなところに!?」
「すみません、突然。ドラスト家の屋敷に向かう途中なのですが、夜を迎えてしまいそうなので、一晩の屋根を借りられれば、と……。彼はククルと言って、私の旅の供です」
男は態度を一変させ恐縮したように首をすくめる。
「え。あ、はい。もちろん。狭苦しい汚ぇところですが……それでもよろしければ……」
「もちろん構いません。突然にもかかわらず、ありがとうございます」
私が丁寧にお辞儀をすると、「いやいやいいや」とさらに恐縮させてしまった。
この人は、たしか一人暮らしだったはず。中に招いてもらうと思った通りで、部屋は散らかっており、物が散乱していた。
棚の上にリオンが停まり、ミロは部屋から降り出した雪を珍しそうに眺めている。
男は物置代わりになっているテーブルの物をまとめて抱え込み、別の部屋に運ぶ。そして暖炉に薪を二本くべると、私のために温かい場所に椅子を用意してくれた。
「ドラスト様……一体なんでこんなところに……。それよりも、出ていったんじゃ」
私は追い出されてから、これまでの経緯を彼に語った。
「……というわけで、今は領地がどうなったのか心配で見に来たのです」
「出ていったんじゃないんですね?」
「出ていく? 私が、ですか?」
「ええ。近所から聞いた話じゃ、ドラスト様はこの地に嫌気が差して出ていっちまったって」
「私はベッケンに追い出されたのです。簒奪したとは言えないので、出ていったことにしたのでしょう」
「よかった……オレらは、ドラスト様に見捨てられたのかと」
「いえいえ。このあたりは、まだ私を支持してくださる方がいて嬉しいです」
「いやあ、それは領民はみんなそうでしょう」
「ううん、どうでしょう」
はは、と拙いお世辞に私は軽く笑う。
「出ていったことにみんなガッカリしてたんですから。こっちまで来てないのかもしれませんが、署名なんて話、今はじめて聞きましたし」
「……」
束の間考え、そうですか、と私は返した。
「今の領主様は、やることがチンプンカンプンでいけねえ。兵を金で集めて警備させたり、道の整備も橋の補修も水車の管理もままならないみたいですし」
「それは、私が引き継ぎできなかったせいもあるので」
「んなこたぁねえですよ」
「そうそう。いきなり追い出すやつが悪いんじゃん」
「ベッケンでも上手くいくように、明日屋敷に引き継ぎ帳を置いてきます」
「今は、領主様が大層重宝なさってる占術師が屋敷にいます。彼の話以外は耳を貸さないとか」
「占術師、ですか」
「うわ、超怪しい!」
私が思ったことをククルが代弁した。
領主がそばに占い師のような者をおくのは珍しいことではない。星の変遷を見て吉凶を占ったり、煙の立ち具合で政の良し悪しを判断したり……。
私は有用性が理解できないので懐疑的に考えてしまうが、信用している領主もいるにはいる。そんな状態なのかと思うと、ため息が出てしまう。
領地の近況を聞いたせいで、不安がまた少し色濃くなってしまった。
この日は、猟師の家に泊まらせてもらい、朝になると泊めてもらったお礼として家を掃除させてもらった。
窓を開けて、部屋と外の空気を入れ替える。埃に咳込み、そこかしこに散らかっている物を種類別にまとめ整理整頓する。
「やめてください! ドラスト様にこんな真似させらんねえ。もう、大丈夫ですから!」
「いや。個人的に我慢ならないので」
「おじさん、やらしてあげて。人の家に泊まったときの恒例みたいなもんだから」
「ククル、箒を」
「はーい」
もう何度目かわからない人様の家の掃除。ククルも当初は呆れていたが、手伝ったほうが早く終わるとわかり、私の指示を受け入れるようになった。
しばらくすると、埃っぽい部屋はピカピカになり、空気もどこか清々しくなった。
猟師の家をあとにして、一路屋敷を目指す。
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