第36話突然の来訪者




 雪景色のドラスト領を懐かしく思いながら、足を動かした。雪の感触が楽しいのか、ミロは足跡がない場所を狙って踏みつけている。


「やっぱ変だと思ったんだよ。署名なんてさー。なんでちゃんと調べなかったの?」


 唇を尖らせながら、ククルは私を横目に見る。


「ショックだったというのが一番大きいでしょう。そんなはずはないとも思いましたが、現物があるのですから、有無を言えなかったというか」

「ちょっとくらい疑いなよ、もう、人がいいんだから」

「ははは。返す言葉もありません」


 偽物だった場合、私はどうするべきだろう、と考えた。

 ヴェスレイの言葉が脳裏をかすめる。

 だが、とも思う……。


 考え事をしているうちに、屋敷に通じるゆるやかな上り坂に差しかかった。

 家の雪かきをしている人が遠目に見えるが、外を出歩く人間はほとんどいない。誰にも見られず騒ぎにもならなかったのはそれが幸いした。


「その本、どうやって渡すの?」

「信用できる方が残っていれば預けたいのですが」

「今の領主は、アルベールのことを信じてなさそうだから、渡しても見ないと思うけどね」

「かもしれませんが、できるだけのことはしてあげたいのです」

「自分を追い出した人なのに、なんでそんなことしてあげるの? 僕にはさっぱりだよ」


 塊のような白い息を何度も吐き出しながら坂を上っていくと、門までやってきた。

 褒められることではないが、いるはずの兵士はおらず、私は別の入口から中に入ることにした。


 見上げた屋敷の中には、私の知らない家人が廊下を行き来しており、なんだか急に知らない家に来てしまったかのようだった。

 ゴミ置き場がある屋敷の裏手に回ると、女性の使用人を見つけた。目が合っても怪訝な顔をしたので、私が誰かわかってなさそうだった。

 ちょうどいい。


「お嬢さん、これをベッケン様に」


 芝居がかった口調に、ククルが笑いそうになっていたので、目で窘めておく。


「これは……? それに、あなたは?」

「私は、ジェイドルツ家の使いの物です。ドラスト様とご懇意にしていただいているジェイドルツのご当主様から、この本をベッケン様に届けるため、やって参りました。これにはドラスト領のすべてが記してあり、きちんと読めばこの領地のことがわかる貴重なものです」


「あの、でしたらベッケン様に取り次ぎますので――」


「ああ――申し訳ありません、もう帰らなくてては。ご当主は時間にうるさい方なので。では、頼みましたよ」

「え? えぇ? あ、はい……?」

「あと、占術師の言うことは聞くなとお伝えください」


 戸惑う使用人の肩を私はぽんぽん、と叩いて、足早に敷地をあとにする。半獣の子とフクロウと犬を連れた貴族の使いなどいないだろうから、かなり怪しまれたに違いない。

 だが、これが私にできる限界だった。

 かつて私の部屋があった場所をちらりと見上げると、こちらを眺めている知らない男がいた。


 家人ではない風貌からして、彼が例の占術師だろうか。

 元凶が彼なのか、彼の意見を鵜呑みにしてしまうベッケンが悪いのか、その両方なのか……。ともかく、治政に問題があることだけはわかった。


 元々余所者は私のほうだったわけだし、ドラスト家の血を持つ者にいずれ席を譲るつもりだった。それがずいぶん早まっただけ。そうやって私はまた自分を納得させる。


「見つかったらマズいから、さっさと逃げよう!」


 ぐいぐい腕を引っ張るククルに私は言った。


「どこかでのんびりしている兵士ですから、あまり仕事熱心ではないでしょう」


 のんきに言う私の言う通りであり、結局警備らしき兵士の姿は見えなかった。

 ひとまず屋敷から離れることにし、次は平野部のほうへククルを案内する。


「泊めていただいた方がいた地域は、山仕事で生計を立てている方が中心で、今から向かう地域は、酪農や農業をしている方が多くて……」


 説明を聞いているククルが何かに気づいた。


「ねえ。貴族がこっちに来てる」

「え?」


 こんな時期に? と私は首をかしげた。

 近隣領の誰かだろうか。

 ククルが指差す方角に目をこらすと、その姿がゆっくりと大きくなっていった。

 貴族だとククルは言ったが、そうではなかった。


 数十ほどの騎馬が雪中を動きづらそうに進んでいる。先頭の若い男は、毛皮のマントに身を包み、手でひさしを作りながら道の先を確認していた。腰にあるのは精巧な意匠が施してある銀の鞘と剣。


 顔の輪郭がはっきりと見えはじめ、私は誰が来たのかわかった。となると、あのマントにも覚えがある。あれは、おそらく私が献上した品のひとつだ。



「……陛下」



「ヘーカ? 誰?」

「この国の国王陛下です」

「はい?」


 目が点になるククルに、私もこの事態のわけがわからず笑ってしまう。


「なんでこんなとこに?」

「私もそれが知りたいです」


 アルルハイル王国国王、クリスティアン・グホ・アルルハイル様。まだ二〇歳と若く、巷では若王やクリス様と呼ばれ親しまれている。


 私は雪の上で片膝をつくとククルも倣わせた。

 ミロはわけがわかってなさそう(当然だが)だったので、お座りをさせておく。もう一匹はと確認すると、ぱたぱた、と陛下のほうへ飛んでいったところだった。


「むうー」

「ん? おぉ! アルの鳥ではないか」


 騎乗の陛下が出した腕にリオンが止まった。


「ということは、アルが近くに?」

「むっむぅ」


 リオンが、ぴ、と翼でこっちを差した。

 ぎゅっぎゅ、と馬蹄が雪を踏みしめこちらにゆっくりとやってくる。そばで行進が止まると、後頭部に皮肉が降ってくる。



「身内に足元をすくわれた阿呆がおるらしいな」



「むうむう」


 リオンが同意の鳴き声を上げた。リオンは、毎回陛下にすぐ靡く。権力に弱いタイプの猛禽類だった。


「ククリシュラのケインから手紙が参った。それでドラスト家の騒動を知った。面を上げること、発言することを許そう」


 私はゆっくりと陛下を見上げる。若王は、不遜に眉根を寄せて苛立ちを表情に出していた。


「ケインの書状を確認したわけではありませんが、概ね事実です。このアルベールの不徳により、民から領主交代の嘆願書が多く届き、当主の座を退いた次第でございます」


「黙れい! いつまで膝をついておる」

「いや、申せとおっしゃったのは陛下で……」


「そんな雪の上で膝をついていたら寒かろうが!」

「私は地元ですので、慣れております」


「ええい、ああ言えばこう言う」

「そのようなことよりも、なぜこのような地に陛下が? こんな時期に参らずとも……」


「すぐにでも事情を聞くべく、王都を発とうとした。……が、ケインの手紙では、そなたが王都に来るとあったので事情を聞こうと待っておったのだ」

「……」


 ケイン、余計なことを……。


「しかしッ! 一向に現れん。いっっっっっこうにだ!」


 かなり怒ってらっしゃる……。眉を吊り上げ、語気を荒げて私を睨んでいる。待ちぼうけを食らったことに怒っているらしい。


 そもそも私は約束してないのだが。


 私が王都に向かうとケインが勝手なことを言ったせいで、このお方は、まだまだかと首を長くして待ってくださったようだ。

 貴族が失脚し当主が代わることは、別段珍しい話ではないので、その点は気に留めなかったのだろう。


「痺れを切らして、ドラスト領まで事情を聞きにやってこられたのですか」


「王とて、諸侯の当主が代わることに口を出すのはご法度。新しい当主に経緯を聞こうとドラスト領くんだりまでやってきたら、王都にまっっっっったく来ない男が、地元と宣うこの地にまだいるではないか! バレれば拘束されるであろうが!」


 怒りつつも私のことは心配してくれるらしい。


「私がいきなり追い出されたため、この地の治政が乱れているとのことで戻ってきたのです。それまでは見識を広めるため、各地を訪れており……」


「ほお。余に挨拶もないまま、ご遊覧あそばされていたとは、ずいぶんなご身分だな」


「……」


「ドラスト領からそなたが解放されたのだと余は喜んでおったのだが、まあそれはよい。案内せい」


「どちらに」

「そなたの屋敷だ!」

「もう私のものではないのです」

「やかましい!」


 陛下は手綱を私に投げつけた。


「承知いたしました。では、ドラスト家の屋敷までご案内いたします」

「余の前で拘束はさせぬ。その点は安心せい」

「は」


 陛下が行きたいというのであれば誰であっても止めることはできない。

 手綱を取った私はやってきた道を戻る。




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