第11話貴族の嗜み

 立場を失った元貴族とペットのフクロウのコンビに半獣の子が加わった。


「アルベールって、いつもこうやって歩いてるの?」

「そうですよ」

「歩いてるだけ?」

「はい」


 私が正直に答えると、ククルが眉をひそめた。

 あてもなく歩くだけの日々を思ったのだろう。


「ご飯はどうしてるの?」

「リオンが果物を見つけてきてくれます。それをもいで食べてます。あと、ときどき通りがかった商人から食べ物を買ってます」


 へえ、とククルは一応納得したようだ。


「貴族ならもっとお金使ったらいいのに」

「もう貴族ではないですし、このお金もいただいたもので、無駄遣いできません」

「なぁーんだ」


 私の旅はもっと裕福なものだと想像していたのか、拍子抜けしたらしい。


「元貴族だろうがなんだろうが、そう見られるから、荷物には気をつけたほうがいいかも」

「そうします」


 生地も仕立てもいいので、庶民があまり着ないような服を私は着ている。なるほど、ククルの見識は確かなようだった。

 こうやって話す機会が少なかった半獣の子と会話をするのは、私にとっては楽しいものであり、しゃべる相手がいる旅の道中というのは退屈しないものである。

 リオンが果樹を見つけたことを報告してくれて、あまりに高い場所にリンゴがあるので困っていると「アルベール、登れないの?」と不思議そうにククルが言った。


「登れなくは……ないと思いますが」


 私は曖昧に答えた。もう三〇歳半ばとなると、登れるかどうかより手を滑らせたときのことが脳裏をよぎり、無理して採りにいかなくてもいいか、という安全な選択をついとってしまう。

 俊敏性もなければ、怪我をしたとき動けなくなるリスクもあり……それらを加味すれば、登らないの一択なのだ。せっかく見つけてきてくれたリオンには悪いのだが。


「じゃ、僕がとってきてあげるよ」


 逡巡している間に、ククルが身軽にひょいひょい、と幹を登り、枝を掴み、ひと際太い枝まで辿りつく。ククルは、リオンの足元になっているリンゴをひとつもいで下に落とし、私に渡した。


「ありがとうございます」

「へへ。いいってことよー」


 それから四つ落とすと、私は言った。


「全部落とさなくてもいいですよ。要りません」


 ククルは自分の分にひとつかじりつき、シャクシャク咀嚼しながら首をかしげた。


「どうして?」


「必要な分だけいただきましょう。何日も持ち運べば傷んでしまいます」

「僕、全然食べるよ?」


 多少の傷み程度は気にしないと言うが、そうではない。


「食べ物に困った方が通りがかったときに、ここにあったほうがいいですから」

「……あー」


 合点がいったようで、ククルは残りを大口を開けて残りのリンゴをほおばった。またするりいと滑らかに降りてくるころには、口の中は空になっていた。

 何か言いたげにククルは私を見上げる。


「なんですか?」

「ううん。もしかすると、アルベールってすごい人?」

「いえ、違うと思いますが」

「ふうーん?」


 意味ありげな含み笑いをするククル。


「僕、そんなこと考えたこともなかったや」


 のんきな口調で、リンゴをまたひとつかじった。


「ククル、座って食べましょう」

「歩きながらでも食べられるよ?」

「急いでないのでいいのです」


 私が腰を下ろすと、さわやかな風が吹き抜ける。指と口の周りをぺろりと舐めたククルも腰を落ち着けて、暇そうに尻尾を右に左にと動かす。


「このまま道を歩いて行ったらさ、港町のほうに行っちゃうね」

「詳しいですね」


 私もリンゴを一口かじると甘酸っぱい果汁が口の中を満たし喉を潤していった。


「うん。こっちのほうもときどき働きに出てたから」

「偉いですね、ククルは」

「フツーじゃん」


 このくらいの年頃であれば、家の畑を手伝ったり、簡単な下働きをして駄賃をもらったりすることは珍しくない。

 それでも、子供が銀貨二〇枚を貯めるのがどれほど大変か、私はわかっているつもりだ。

 それ以上は言わず、街道を行く商人や空を飛ぶ鳥を眺め、ぼんやりとリンゴを食べ続けた。


「アルベール、遅いよ、食べるの」


 ようやく私が食べ終わり腰を上げると、ククルから苦情が寄せられた。


「樹になっているリンゴというのは、酸味が強いのだなとしみじみ思っていたんです」

「あんなもんでしょ」


 私がこれまで屋敷で食べていたものと違っていたので、その差を考えながら口を動かしていたのだ。

 ククルが言う港町をひとまず目指すことにして、私たちはまた歩を進めていった。


「アルベールにひとつ教えてあげる」

「はい」

「歩きながら食べたほうが美味しい食べ物もあるんだよ」

「リンゴがそうだと?」

「うん」


 自信満々にうなずき、理由を教えてくれた。


「だってリンゴって席に着いて食べるようなもんじゃないから。かじりつくのに、綺麗も何もないじゃん」


 私が食べるリンゴは、たいてい皮が剥かれ、切り分けられた物だったが、ククルにとってのリンゴとは、丸ごとひとつを指しているらしい。


「ククルなりの理屈ですね」

「よくわかんないけど、たぶんそう」


 生活環境や育った家の違いがあって少し興味深かった。

 そうして陽が暮れはじめた頃、ようやく町に到着した。門を閉めるかどうかという時間帯で、門兵には旅人だと説明すると通行手形がさっそく効果を発揮し、誰何されることなく通してもらえた。


「僕が知ってる食堂はさ、魚料理がすっごくおいしくって――」


 仕事をしていただけあって、ククルは町に詳しかった。

 昼食はあのリンゴ。小腹が空いたときに食べたおやつもあのリンゴ。


 食べる物があるだけでもありがたいのだが、昼からリンゴしか口にしていない私には、ククルの説明よりも先に様々な料理のにおいが鼻腔を刺激し、肉でも魚でもなんでも非常に美味しく食べられる状態だった。

 こっちこっち、とククルに導かれるがまま町を歩き、店の前へやってきた。


「ここが美味しいお店なんですね」


 庶民的な食堂では、仕事を終えた漁師や肉体労働で汗をかいた男たちが、歌えや騒げやの宴会をしていた。


「えっと、食べたことはないんだ」


 味を知っているから紹介してくれたわけではないらしい。


「美味しそうだなぁって、いつも見てて……。みんな楽しそうだし、いつか行ってみたいなって思って……」


 そういうことだったか。

 相当な額を貯めたのだ。外食にお金は使わなかったのだろう。

 私の沈黙が不安になったのか、ククルが提案を取り下げようとした。


「あ、やっぱり、お店、違うところが――」

「いえ」


 私はククルの頭を撫でた。


「アルベールは、もっと綺麗なお店のほうがいいんじゃないの?」

「ここがいいんです。さ、入りましょう」


 ククルを促し店に入ると、店員が威勢のいい声を張り上げて私たちを迎え入れてくれた。

 違う世界にやってきたかのようなククルは、店内と店員、お客さんのあちこちを興味深そうに見回していた。


 壁に貼られているメニューはどれも安価に設定されており、ククルのちょっとした憧れを叶えてあげるのに支障はなさそうだった。

 半獣の子と身なりがいい男の二人組は、相当珍しかったらしく、店内の注目を集めることとなった。

 空席を指して店員に確認すると、うなずいてくれたのでそこに私たちは座る。


「アルベール、何食べよう?」


 ドキドキとワクワクが耳と尻尾に現れているククルは、見ていて非常に微笑ましい。


「ククルが気になった料理を食べましょう」

「いいの!?」

「ええ」


 堪らなくなったククルの尻尾がわさわさと振られ目が輝いている。

 もし、私に子供が出来ていたら、今これくらいの子供になっていただろうか。

 店内の様子からして、普段一杯飲みにやってくる者が多く、店員と客も顔見知りのようで気安い言葉が飛び交っている。


 注文を取りにきた店員に、私は麦酒とククルにはジュースをお願いした。

 ククルは字が読めないので、私が代わりにメニューを読んであげると、ひとつひとつ大きな反応をして悩ましげに頭を抱えた。


「ラインシュリンプ? って魚?」


 メニューのひとつ、ラインシュリンプの唐揚げにピンときたらしい。


「エビです。ラインシュリンプは、この町でよく獲れるエビで、ソテーにしても油で揚げても美味です」

「じゃあ、それ。他には……あの人のアレ」


 他のお客さんが食べている料理を指すと、不安そうな顔をする。


「い、いっぱい頼みすぎかな……?」


 あまり無駄遣いはできないが、今日くらいはいいだろう。

 私は笑って首を横に振った。


「そいつぁ、あんたの奴隷かぁ?」


 視線はそこらじゅうから感じていたが、ついに声となって耳に入った。ガヤガヤしているので誰が言ったのかはわからない。

 だが、見回してみると、客たちは総じて薄笑うような表情を浮かべていた。


「金持ちサマのの口にゃあ合わねえだろうよ」


 ゲラゲラと笑われると、一人とはっきり目が合った。目つきはとろんとして、ずいぶん酔いが回っているようだった。私よりも二回りほど分厚い体は、贅肉もついているが筋肉も相当ついてそうだった。


「この子は、旅の供です。奴隷ではありませんよ」


 不安げな顔をするククルを安心させるため、一度笑みを向ける。


「金持ちサマは金持ちサマが行くような店に行きやがれってんだ。なあ?」


 分厚い男が周囲に尋ねると、同意するような空気が一帯に流れた。


「一見さんはお断りだと?」

「てめえみてぇなスカした野郎が店にいるとなぁ、気分悪くなるんだよ!」


 酔客の言葉を真に受けるつもりはないが、ククルが居心地悪そうにしていた。

 私一人であればなんとでもなるが、さて、どうしたものか。


「店員さんは、私たちを見ても何も言いませんでした。客として問題なく受け入れるということでは?」

「オレが気に食わねえっつってんだ」


 ダンッ、と杯でテーブルを鳴らすと、しんと場が静まり返った。


「あなたも私も、一人の客でしょう。立場が平等であれば、私にも『あなたが気に食わないから出ていけ』という権利があります」

「ゴチャゴチャとぬかしやがって――!」


 勢いよく分厚い男が立ち上がると、椅子が後ろに倒れた。拳を手の平に打ち付けてこちらを威嚇する。


「あ、アルベール、もういいよ……」

「よくありません」

「なんで変なところで頑固なんだよぅ……」


 ずんずん、と分厚い男がこちらへ歩み寄ってくる。周囲は止めるどころか、余興か何かを楽しむように


「やっちまえ!」

「キザ男を叩き出してやれ!」

 と囃し立て、店のボルテージを上げていた。


「謝って出ていきな。そしたら手は出さねえでおいてやろう」

「その言葉、そっくりそのままお返しします」

「何をッ」


 グッ、と胸倉を掴まれると、私はその腕を抱え込み、相手の肩を股で挟むようにして小さく飛んだ。二人とも床に倒れ込むと、男の驚きの声が聞こえたが、私が思いきり腕を引っ張るとすぐに悲鳴を上げた。


「あでででででで!? 何しやがっ、いででで!?」

「何しやがるは、こっちのセリフです」


 中心人物的なこの男を痛めつけているが、彼を助けようという客はいない。逆に常連客たちにはこの展開が予想外だったらしく、見世物でも見たかのように、そこらじゅうから指笛を鳴らしていた。


「おいおい、もうしまいか!?」

「一発くれぇ殴ってみせろや!」

「だ、黙れぇえ!」


 完全に関節が決まっているので、彼にどうすることもできなかったが、力任せに無理に脱出しようとする。


「あの、腕、折りますよ。数か月仕事に支障が出てもいいのなら、折りますが」

「…………」


 これが決定打となり、分厚い男は大人しくなった。

 私が拘束を解くと、居心地悪そうに顔をゆがめ、舌打ちとともに金を乱暴にテーブルに置いて店を出ていった。


「アルベールはあんたたちなんかよりもよっぽどスマートでカッコいんだぞ! バーカ、バーカ!」


 男の背中にククルが意味のない罵声を飛ばす。


「やめなさい」

「だってさ!」

「潔く負けを認めた彼に、相応の敬意を払うべきです」


 ククルが、むうう、と不満そうにしていると、店主らしき男が厨房のほうからやってきた。


「旅の人、すまねえな」

「いえ。問題ありませんよ」


 クク、と店主は笑って首を振った。


「そんなことはないさ。……あいつは、時々ああいう悪い酔い方をするやつでな。こっちも困ってたんだ。これに懲りてしばらく大人しくするだろうよ」

「それならいいのですが。せっかくの場なのに常連さんたちの邪魔をしたみたいで申し訳ない」


 周囲に会釈をすると、やんやと喝采が上がった。


「んなことねえぞ!」

「ああ。あんちゃん、見かけによらずやるじゃねえか!」

「鮮やかにやっつけやがったな」


 店主がにかっと笑う。


「つーわけだ。みんな大盛り上がり。邪魔なんかしちゃいねえよ」

「それならよかった」

「迷惑料ってことで、今回のお代は無しにしとくよ。好きなモン飲み食いしてくれ」

「いいの――!?」


 私よりも真っ先にククルが食いつき、その目力と煌めきに店主がたじろいだ。


「あ、ああ……。でも、限度はあるからな?」

「うちの者がすみません……。飲食は、常識の範囲内でとどめますので」


 あれもこれも、と頼もうとするククルを制して、食べたいものだけ、と私はキツく言った。


「えー。タダなのに」

「ご厚意に甘えて我がままを言ってはいけません」

「ちぇー」


 麦酒が運ばれてくると、常連客たちは私と乾杯したがった。代わる代わるやってきては一言かけていき、私はまるで物語の英雄か何かのようになった気分だった。


「やっぱりアルベールって強いんだ」

「いえいえ。全然です。護身術と格闘術、柔術、剣術を嗜む程度に習得しているだけですし」

「いや、強いよそれ」


 かつて私の屋敷にいた騎士や護衛の兵士を思い浮かべる。

 彼らはいつも私を楽々と投げ飛ばしていたので、私は自分がずっと弱いのだと思っていた。私がああして直接戦うのも、実ははじめてである。護衛が強いので、私の出番など今までなかったのだ。


「何が役に立つのか、人生わからないものですね」


 ずっと投げられっぱなしの武術の稽古が好きになるはずもなく、嫌々技術を学んだが、こうして活きる日が来るとは思いもよらなかった。


 私がかつての部下に思いを馳せていると、運ばれてきた料理をガツガツとククルは食べていた。

 この店で食事することに満足できたのなら嬉しい限りである。



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