第10話関係は血よりも濃い
ククルとしばらく話し合い、私は家に戻り再び母親の向かいに座った。
「私でいいのでしたら同行していただいて構いません」
私が答えると、母親は薄く笑んだ。
行くあてもない旅であり、ここに戻ってくるのがいつになるのかもわからない、ときちんと説明しても反対しなかった。
「私の武芸の腕は大したことがないので、強くなる保証もありませんが、それでもいいなら」
「あの子の意思を尊重したいと思います」
旅立ちの背を押すという感じではなく、身を引くというような物悲しさが口調に滲んでいた。
心配になった私は、念を押して確認したが、ククルのやりたいようにさせてあげてほしいとのことだった。
本当にいいのだろうかと私のほうが迷ってしまう。
貧困という問題こそあれど、親子仲は破綻してない。私が連れて行ってもいいのだろうか。
外にいるククルはリオンと遊んでいた。追いかけたり追いかけられたり、きゃっきゃと声を弾ませている。
再びククルのところへ行って報告した。
「お母様が、あなたの意思を尊重すると」
「いいってこと!?」
「はい。何度もいいますが、私についてきても強くなれませんよ。何も教えませんし、手解きもしません」
「いいよ。それで」
これが最良の選択なのだろうかと自問するが、ククルの気持ちも母親の気持ちもわかる。
今は、この子を連れていくことに関して、私が腹をくくれるかどうかだった。
「食べ物だって、満足に食べられるとは限りません」
「今もそうだよ」
「う……。屋根のある場所で眠れるわけでもありません」
「うん」
「お風呂もときどきで、川や湖で流す程度です」
「今もそうだよ」
「そ、そうですか」
嫌がりそうな点を挙げていっても、ククルは簡単に受け入れた。
ここまで言って嫌な顔ひとつしないのであれば、いいでしょう。
「……わかりました。一緒に行きましょう」
「うん!」
「出発は明日にしましょう」
私の提案に首をかしげたククルだったが、私の気が変わらないように、疑問に思いながらも従った。
「明日、迎えに来ます」
「泊まっていったら? いいよね、母さん」
ククルが家の中にいる母親に尋ねると、恐縮しながら「こんな家でいいのでしたら」と承知した。
屋根と床があるだけで十分ありがたいので、お言葉に甘えさせてもらった。
泊めさせてもらうだけでは座りが悪いので、夕飯の準備を手伝い、やることがなくなったら家の掃除をさせてもらった。
「お客さんなんだから、家のことなんてせずに待ってたらいいのに」
「親切にされっぱなしだと、体がむずむずするのです」
「変なの」
ぷくく、とククルは笑った。
やがて質素ながら丁寧な料理が出てきて、私たちは食事をはじめた。二人に会話はなく、気づまりだったので、私のことを簡単に話した。
「お金持ちだと思ったけど、本当に貴族だったんだ」
「元、ですけどね」
「ドラスト領の領主様の話は聞いたことがあります。立派な方だと」
「いえいえ。本当に立派でしたら追い出されたりしませんから」
ハハハ、と自虐を言うと、母親は困ったような愛想笑いを浮かべる。
私の追放ジョークは不発に終わった。
「アルベール、反応しにくいよ、それ」
「失礼。笑ってほしかっただけなのです」
今後追放ジョークは控えよう。
食事の片づけが終わると、母親が私用にベッドを整えてくれた。その部屋の柱に、横に切れ込みのような線が引かれている。
「……これは」
日付とククルの名前と年齢が書いてある。
六歳の誕生日。
そして次の誕生日。
そのまた次の誕生日……。
身長の記録だった。
切れ込みは、年を経るごとにどんどん高い位置に刻まれている。
私の胸のあたりの高さにも一本線があり、拙い字で数字と名前が彫られていた。それは母親の身長であり、筆跡が違うので、きっとククルが彫ったのだろう。誰かが口で指示しながら線を引けば、こういった文字になりそうだ。
「……互いを思えばこそ、か」
柱を撫でていると、在りし日の二人の様子が思い浮かぶ。
明日、ククルは旅立つ。
敬愛した養父との別れたあの日が思い出され、胸の奥に真綿を詰められたような気分になった。
人と人。
関係性は血で決まらないのだ。
簡単な朝食を済ませると、私は先に家を出てククルがやってくるのを待った。
出てこないのなら、それでもいい。
覚悟が揺らいだとて、誰も非難しないし私は擁護したいと思う。
だが、はっきりとした声が聞こえた。
「母さん。行ってくるね」
開けられた扉の向こうで、ククルが後ろに向かって手を振り、一歩外に踏み出した。
見送るため、母親も外にやってくる。
「行こう。アルベール」
あんなについて行きたがった昨日と違い、顔は少し強張って、揺らぐ感情を隠そうとしているかのようだった。
「どうして強くなる必要があるのですか?」
「え?」
「それだけでも、お母様に伝えてください。でないとこの話はなかったことにします」
血が繋がっていなくても、キツい仕事をしてお金を貯めて彼女のためにネックレスを買い戻したのだ。
ククルが、何も思ってないわけがない。
「いいよ……別に」
「きちんと言いなさい」
何が最後になるのかわからないのだから、と言いかけ、呑み込んだ。
ぶう垂れるククルを母親の前まで連れていく。きっかけを与えるように、私は背をとん、と押した。
しばらく沈黙すると、小声でボソボソと話しはじめた。
「……僕、知ってるんだ。全然お金なくて、明日食べる物にも困るような生活だってこと」
申し訳なそうに母親は目を細める。
「ククル……もしかして、自分がいなくなれば私が楽できると?」
「それも、ちょっとだけあるよ」
見えない何かに押しつぶされそうになっている母親は、私にはずいぶん小さく見えた。
「でも、ほんのちょっと」
「え?」
「知ってるんだ。母さんが僕のために、朝から畑に出て仕事して、ご飯を毎日毎日ずっと作ってくれて、自分の分よりも僕の分を優先してくれたこと」
「っ……」
声に詰まり、母親は口元を押さえた。
本当の母親ではないと、気にしていたのは彼女のほうだった。
ククルはずっとそんなことは気にしていなかった。証拠に、ククルは出会ったときからずっと、彼女を母さんと呼んでいた。
「だからね、僕、強くなるんだ。しばらく家を留守にするけど、強くなって帰ってきて、いっぱい稼げるようになって、すっごい家を建てる。――そのために、出ていくんだ」
真っ直ぐな決意表明に、他人の私でも胸と目頭が熱くなる。
うん、と彼女がうなずくと同時に、目から涙がこぼれた。
「出ていくのは、嫌だからじゃないよ。本当の母さんじゃないとか、関係ないんだよ」
母親は、うんうん、と十分な理解を示すように何度も首を縦に振った。
「……そういうことだから」
「迷惑かけちゃダメよ」
「わかってるって」
「危ないことは、しないように」
「もういいって」
面倒くさそうな態度のククルだが、目元が赤くなっていた。
無理やり笑った母親は、膝立ちになるとククルをぎゅっと抱きしめた。
「行ってらっしゃい。私の息子」
一瞬戸惑ったククルだったが、何かを堪えるように口をへの字にして、腕を彼女の背に回した。
「…………うん。行ってきます。ありがとう、母さん」
ぐいっと目元をぬぐったククルは、母親から離れて歩き出した。
「手紙、書かせますから」
私はしっかりとお辞儀をして、先を歩くククルに並んだ。
「手紙なんて書かないよ、僕」
「書かせます」
「文字ほとんど知らないし」
「教えます」
「えぇぇ……。でも母さん読めないかも」
「いいんです。読めなかったら、読める人が町にいるでしょう」
うへえ、とげんなりしたククルは顔をしかめた。
「絆というのは、お互い引っ張りあってはじめて固くなるものですね」
「むむぅ」
私の独り言にリオンが反応してくれた。
空は快晴。作り物のような青い空が広がっている。
旅立ちの日にはちょうどいい天気だった。
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