第27話穏やかな滞在
ブリー村での暮らしはとても穏やかで、波任せ、風任せの日々だったが、その中に鍛錬の見学が組み込まれた。
伝えた通り、ヴェスレイは毎日ククルに稽古をつけるためやってきた。
「もっと強く振らんか」
「はいっ」
「脇がゆるんどる」
「はいっ」
リオンとミロを右手と左手でじゃらしながら、私は思っていた。
ヴェスレイの稽古がずいぶんと優しくなっている、と。
私のころは、間違っていることがあると木剣で突かれたり叩かれたりした。当時はまだ養子ではなく下働きの小僧だったので、遠慮も必要なかったのだろう。
ククルも同じだというのに、指摘するときは、切っ先でつんつん、とつつくだけだし、わかっていないようなら、自分がやってみせて、まさに手取り足取りの授業だった。
「私は何か間違えると、胸倉掴まれて数えきれないくらい庭を舞ったのですが」
庭が広くてよかったな、狭かったら壁にぶつかって死んでたぞ――というようなことを冗談半分に言われたものだ。
……よく死ななかったな、と振り返って思う。
私が直接ヴェスレイに頼んだというのもあったからだろうし、まだ傭兵気質が抜けきらなかったのもあっただろう。
ククルの稽古は、だいたい二時間ほどで終わる。
ククルは汗だくになり、毎日ヘトヘトになった。強くなりたいという思いは本物で、ある程度体力が回復した夜に、おさらいをするように、庭で一人素振りした。
構ってくれると勘違いしたミロが、ククルの足にまとわりつこうとするので、その時間は自然と私が散歩に連れていくことになった。
稽古は六日続き、一日休む。それを繰り返す予定だという。
「筋肉が痛いー」
「手の皮がむけて、痛いよ」
「そんなたくさん振れないよ」
こんなふうに、ときどき泣き言を口にしたが、なんだかんだ言いつつも、ヴェスレイの言われたことはきちんとこなした。
文句は言うが、やりきる根性がククルにはあった。
そして六日ぶりの休み。
私とククル、ミロとリオンはヴェスレイに伴われ釣りに出かけた。
なだらかな坂道の途中にある民家を横目に港のほうへくだっていき、ヴェスレイと落ち合い、海に沿ってしばらく歩き、岩場にやってくる。
地元の人間しか来ないような場所で、いつもの散歩コースではないことに早々に感づいたミロは、冒険の香りに心躍らせているようだった。
釣り竿や仕掛けは、借家の倉庫にあったものを使い、餌はヴェスレイが用意してくれた。
「おじいちゃん、釣りなんて何が面白いの?」
「剣に似ている」
「けっ、剣に……!?」
そんなはずないだろう。
いや、私はヴェスレイの境地にまだ立ってないから、わからないだけなのかもしれないが。
当初面倒くさそうだったククルだが、ヴェスレイの言葉を聞いて、やる気を出していた。
波頭が岩に砕かれ白い泡となって消えていく。
そのたびに飛沫が上がり足元を濡らしていった。
磯のじっとりとした香りが鼻の裏に刷り込まれてしまったかのようで、何をしていてもずっと潮のにおいがしていた。
ヴェスレイが岩場の大きなくぼみに海水を注いでいる。なんの準備なのかわからなかったが、あとになったらわかると言われた。
私とククルは、ヴェスレイが教えてくれたように餌をつけて仕掛けを投げる。
ゴツゴツした岩に腰かけて、ヴェスレイがやっているように釣り竿を動かして糸を巻き取って仕掛けを回収。
さっきと同じ姿の餌が釣り針についていたが、代えたほうがいい、とヴェスレイに助言されたので、古いものは外して海に放った。
「おじいちゃん、これのどこが剣に似てるの?」
「そう簡単にわかるほど、釣りも剣も極めておらんだろう?」
「なんだよ、それー」
不満タラタラのククルだったが、楽しさを理解しようという姿勢ではあった。私と同じように仕掛けを投げては回収して、餌をつけて、また投げて。
何もせずに海と空の境界をぼーっと眺める。
強弱のある波の音を聞いていると、次第に目蓋が重くなっていった。
「これが楽しいのですか?」
無言のまま黙々と仕掛けを投げる続けるヴェスレイに確認した。
「……アル様は、剣は楽しいか」
「一定の楽しさのようなものはありますが、常に楽しいわけでは」
「だろうな。どういうときが楽しいと感じる?」
「思うさま剣を操って相手を制したとき、でしょうか」
「うむ」
私の答えは的を射たようだったが、「うむ」のあとを続けないヴェスレイ。
退屈になったククルは、仕掛けを投げ終わった釣り竿をおいて、岩場から下におりていき、海の中を覗いていた。
「ククル、落ちないように気をつけてください」
「わかってるー」
ククルの気持ちもわかる。
ヴェスレイは、朝早くからいつもこんなことをしているのだから、本当に好きでないと続けられないのだろう。
「おおっ!?」
短く声を上げたヴェスレイのほうを見ると、竿がしなっていた。ぐいぐい、とときには強く引き、ときには相手の自由にさせて、また強く引いていく。
ほんの少し繰り返すと、海面から魚が一匹釣りあがり、ヴェスレイの手元にやってきた。
「ハッハ! これだ。アル様」
「どれですか」
以前見たベリンとは違う魚で、サイズもベリンより二回り大きく、朱色の鱗が印象的だった。
釣り針を外すと、あの岩場の窪みに魚を泳がせた。
なるほど。即席の生け簀らしい。
なんだ、なんだ、とミロがさっそく近寄り、浅い生け簀を泳ぐ魚を不思議そうに眺めている。
「おじいちゃん、すげー!」
「ハハハ」
「僕も釣れる?」
「そんなふうに竿を投げ出しとるモンの仕掛けに魚はかからんぞ」
むむむ、と負けず嫌いなククルは、再び釣り竿を取って動かしはじめた。
「相手を制したときが楽しいとアル様は言ったな。釣りもそうだ。姿こそ見えんが、相手がこうくるのではないかと予想して、仕掛けを投げ、動かし、反応を探る。釣り上げる行為は、相手を制することに似ている」
「私は、剣もその境地にはまだ立ってないので、似たものだと捉えるのは難しいですね」
「いや。釣りを続ければわかる。もう気づいてもいいはずだ」
ここにやってきてから、剣は抜いてない。ヴェスレイは、何を見てそう判じたのだろう。
「わかるでしょうか」
半分尋ねて半分独り言を口にすると、返事はなかった。
「あっ、ああ!?」
ククルの竿が引いていた。
「どうすんの!? どうすんのこれ!?」
混乱するククルをヴェスレイはからからと笑い、釣り上げるのを手伝った。海中に白い魚影が見え、「そら。思いきり引け」とヴェスレイがククルを促す。
「ふぬぬぬぬ!」
顔を赤くしながらククルが釣り竿を引くと、水音と同時に仕掛けにかかった白い魚が宙を舞って私のほうへ飛んでくる。
糸を掴んでククルに見せてやると、ぱぁぁぁ、と表情が輝いた。
「釣れた!」
「ハハハ。釣れたな」
手の平に乗りそうな白い魚をククルに渡すと、感慨深そうに眺めて針を外して生け簀に放った。
体をくねらせて泳ぐ魚をククルはじいっと見つめていた。
「良かったですね、ククル」
「うんっ」
「アル様、犬ガキに負けたままでいいのか?」
「煽っても無駄です」
ニヤけるヴェスレイに、私はつれなく言った。
「釣れるときは釣れますし、ダメなときはダメなものでしょう? 見えない敵と戦うものではありません」
また私は仕掛けを投げた。諦めているつもりはなく、かといって、絶対釣りたいという思いもないのである。
「知ったような口を。……今までずっとそうしてきただろ。領主として、見えない敵と戦うことは多かったはずだ」
「……敵とは少し違いますが、そうかもしれませんね」
政というのは、繊細で非常に難しい。
変えたからといって、明日明後日に成果が出るわけでもなく、最初の手探りのころは、自分でも疑心暗鬼になるほどだった。
「政敵はいた。お館様のころからそうだった。小僧……アル様が後を継いでもそれは変わらんはず。……そうだと認識していないのであれば、やはり、いつかは足元をすくわれただろう」
「ははは……返す言葉もありません」
ミロが堪らず、生け簀の魚を触ろうとすると、ククルに見つかった。
「あー! ミロっ、触っちゃダメ!」
「わん!?」
いたずらが失敗に終わったミロは、しょげた顔で私のもとへやってくる。叱られたので慰めてほしいらしい。仕掛けを投げたあとは手持無沙汰なので、思いきりミロをわしわしと撫でてやった。
「……返り咲け。小僧」
「なんですか、いきなり」
「領主の評判は、良し悪しに限らず流れてくる。ドラスト領のことは気にかけておったが、耳にしたのは良い評判ばかりだった。珍しいことだ」
「私は余所者です。いつかは、その血を持つ者が継ぐべきです。争いごとの種になりますからね。領主でなくなったのが早まっただけです」
「漁村でのんびり時間を過ごすのもいいが、人には、その才覚に見合った収まり所というものがある」
「無職の旅人はぴったりではないですか」
「ああ言えばこう言う」
呆れたようにヴェスレイは鼻を鳴らし、ぽつりとつぶやいた。
「子ができておればな」
胸の奥がチクっとした。
「……それは、授かるものですから」
私たちが話しているのをよそに、ククルが二匹目を釣り上げた。
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