第28話ゆるやかな変化


 ククルは剣の鍛錬に勤しみ、ヴェスレイもその熱意に付き合うように、色んなことを教えていた。

 週に一度の休みは、釣りに出かけたり、山を散策したり、家でじっとすることはなかった。

 そんな生活が、じっとしているのが苦手なククルには合っていたようで、毎日すごく楽しそうだ。


「今日はね、舟の漕ぎ方教わったんだ」

「へえ。末は漁師になるんですね」

「剣士だってば!」


「冗談ですよ」

「最初は、ゆっくり大きく漕いで、スピードが出たら短く早くするんだよ」

「ククルがいれば、海も渡れますね」

「へへへ……うん。任せといてよ」


 私は、ククルのためにヴェスレイから料理を教わり、毎食作って出していた。こういう生活も悪くない。

 ククルは、ヴェスレイによく懐いている。剣や他の様々なことを教わっていた。

 旅に目的はなく、居着いてしまうのであれば、それもまた良しとしよう。

 ときどき、ヴェスレイの言葉が脳裏をよぎったが、考えないようにした。




 ……そんなある日。

 稽古にやってくるヴェスレイの到着が遅いので、私はバルコニーに出て通りを見下ろした。そこには、ゆるやかな坂道を肩で息しながら歩いているヴェスレイがいた。


 見てはいけないものを見てしまった気がして、私は顔をひっこめる。

 再びゆっくり覗くと、ヴェスレイは物陰で膝に手をついて立ち止まっていた。


 私はククルにもう少ししたら来ることを伝えると、ヴェスレイは何事もなかったかのように家にやってきて、いつものように稽古を開始した。


 ククルは気づいてないかもしれないが、ヴェスレイの服が汗で濡れている。ククルに聞こえないように私は訊いた。


「具合が悪いのではないですか?」

「いつもこんなもんだ」

「そうですか……?」


 私の中のヴェスレイは、強くて岩のような男で、剣で打ち込めばこちらが吹き飛ばされてしまうような膂力がある騎士長だった。


「よっと」


 一休みするため、私の横に腰かけたヴェスレイは、ひどく小さく見え、ぐっと胸が締めつけられた。

 帰り際、私はヴェスレイに呼ばれた。


「アル様がこれからは稽古つけな。ワシが教えられることは、もうある程度教えた」

「先生」


 断ろうとしたが、ヴェスレイはわざと踵を返して去っていった。

 夕食の席でククルにそのことを伝えると、本人は喜んでいた。


「えー!? じゃあ、僕、もう結構強いんじゃ……!?」

「そう簡単に人は強くなりません。剣は、数週間程度で身につく技術ではありませんから」


 喜んでいるククルに冷や水をかけるようなことをつい言ってしまう。


「アルベールは、僕がどれだけ成長したか知らないからそんなことが言えるんだよ」

「言うほど成長したようには、見えませんが」

「……じゃあやろうよ。一回立ち合ってよ」


「嫌です」

「んだよ、ケチー」

「ケチで結構。ご飯、食べ終わったのなら流しに食器を持っていってください」

「はいはい」


 唇を尖らせるククルは、夕食のあとも日課の素振りをした。

 私ごときが評価できる立場ではないが、当初から比べれば成長しているのは本当だ。


 しかし、ヴェスレイが『教えられることは、ある程度教えた』と言えるような成長ではない。

 ゆるやかな坂の途中で膝に手をついて立ち止まる彼の姿が、脳裏に焼きついて離れなかった。


 当時を知っている私には、ただただショックな光景だった。

 いきなり私に任せると言い出したのは、体調の都合なのではないだろうか。






 翌日からヴェスレイは本当に来なくなった。


「おじいちゃん、本当に来ないの?」


 ククルが私に尋ねた。


「来る途中なのでしょう」


 私は、またヴェスレイがどこかで息を切らして立ち止まっているのではないか、と一瞬思った。それは、忌避すべき想像だったが、昨日の様子と繋がってなかなか振り払えない。


 嫌な記憶が思い出される。


 カーテンをすり抜け入り込んでくる風。サイドボードの水差し。静寂の部屋……。

 私は、ヴェスレイを呼びに行くため腰を上げた。何もしないでいると、色々と蘇ってきそうだから気を紛らわせたかったのだ。


 ククルは、行き違いになると悪いから、と家で待ってもらった。

 ククルにはああ言ったが、ヴェスレイは言ったことを翻す人間ではない。

 もしかすると、具合が悪くて寝込んでいるのでは……?


 心配がつま先まで浸食し、自然と歩く速度が上がった。

 ヴェスレイの家は、港からほど近い小さな一軒家で、そこに一人で暮らしている。

 立ち並ぶ民家の中から一番古い家の前で、私は扉を叩いた。


「先生」


 反応がないので、今度は強めにノックすると、このまま扉が倒れてしまいそうなほどの物音が出た。


「アル様か? なんだ」

「ククルが待っています」

「昨日言っただろ。あとはアル様が稽古を見てやんな」

「いきなりどうしたんですか」


 ククルが懐いていたように、ヴェスレイもククルを可愛がっていた。

 いまだに犬ガキと口悪く呼ぶが、指導は真摯で熱意もあったし、成長を喜んでいるヴェスレイの姿も私は見ていた。

 遊びに行くのだって、前日から二人で楽しそうに相談していたではないか。


「ククルは、まだあなたが認めるような技量ではありません。お願いした身としては恐縮ですが……一体どうされたのですか」

「どうしたもこうしたもねえよ」

「入りますよ」


 古い家だから入るな、とか、片付いてねえからダメだ、と言われたが、鍵もかかってない扉は簡単に開いた。

 中は言われた通り散らかっている。調理場と寝室が同じ部屋にある小さな家で、家主はベッドに腰かけていた。


「勝手に入ってきやがって」

「いきなり変ですよ」

「いきなりじゃねえよ」


「ククルは、あなたに懐いていて、剣を覚えようと必死に毎日夜も鍛錬しています」

「殊勝なガキだな」

「あの子が納得するまで、面倒を見てあげることはできませんか」

「剣士としては素質がある。半獣だからか、天性的なバネを持ってるし、何より目がいい」


「だったら、一端の剣士になるまであなたが育てるべきです」

「一通りでいいって話だったろ」

「そうですが……。先生」

「もうおまえの先生じゃねえよ」


 帰れ帰れ、と取り合ってくれなかったので、今日は帰ることにした。

 ククルにはなんと伝えようか頭を悩ませながら、家までの道を歩く。


「……仕方ない」


 私は腹を括って、ヴェスレイを待っているククルに言った。


「先生からの指示で、しばらく私が相手をしましょう」

「本当に!?」


「基礎から実戦ということです」

「やったー!」


 そんな指示はもちろん受けていないが、私にできることはこれくらいだった。

 強くなるというのはククルの望みでもあるし、故郷の母親に家を建ててあげるという目標もあるため、私も稽古に付き合うのはやぶさかではなかった。


 ククルが本気なのは十分わかった。

 私は、ヴェスレイが指導用に持っていた木剣を持った。

 目で準備が整ったことを教えると、ククルが打ち込んでくる。私はそれを防いでいった。


「ハァッ! タァッ!」

「ククル、いいですか」

「何? んんん――ラァッ!」


 カン、と木剣同士が甲高い音を立てた。


「ククル……強いというのは正義ではありません。弱いというのは、悪ではありません」

「ど、どゆいみ?」

「強くなることも大切ですが、世の中、強さ以外のモノサシも必要ということです」


 困ったような顔をして、ククルは首をかしげた。

 この子には、まだ早かったか。

 ……たしかに素質はある。この子が十分な力を得ると、その力は間違いなく周りがほうっておかないものになる。


 そして、危険なことに巻き込まれる数も断然多くなる――。


 私がこれまで、ククルの目標を知りながら剣を教えなかったのは、その責任が持なかったからだ。だが、ククルには十分な覚悟があった。

 ヴェスレイが教えるのをやめるのであれば、あとは私が継ごう。


「アルベール」


 木剣を構えたククルが、今度は私に打って来いと合図する。


「……」


 私は木剣を構えると切っ先を揺らした。一瞬の隙を見つけて踏み込み、一気に懐に入った。


「え――」


 ククルには見えたのか。すとん、と尻もちをついた。

 私が先ほどまで持っていた木剣は今手になく、空手の状態。何も持ってない手を伸ばしただけだが、何かを感じたククルは、腰を落としていた。


「あれ。剣、持ってない……?」


 突かれたと勘違いしたらしい。

 私は手を伸ばしてククルを起き上がらせた。


「今日はここまでにしましょう」




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