第29話同居
ヴェスレイは、己の剣で道を切り開いてきた人間だった。剣から釣り竿に持ち替えても、一度かかわった教え子のことは気になるらしく、私とククルの稽古を覗きに何度か家までやってきた。
それに気づいたククルが助言を求めても、誤魔化すように曖昧なことを言って、すぐに去っていった。
「おじいちゃん、どうしたんだろう」
「……ええと……おそらく、私が相手をするだけで十分強くなれると判断したのだと思います」
「そ、そっかぁ!」
私の思いつきの方便にククルは胸を高鳴らせたようだった。
ヴェスレイの稽古と違って、私の稽古はただ立ち合って隙があれば打ち込むだけのものにした。打たせることもしたが、甘いところがあると、すぐに切り返して反撃した。
これを日に一度。助言は何もしない。ククルは「もう一本」と稽古をせがんだが、私は断った。不満げだったが、何が悪かったのか、どうして打ち込まれたのか、やがて考えるようになっていった。
ククルは、稽古が休みになるとヴェスレイの家に行くようになった。
夜になると、いつものようにヴェスレイと何をしゃべったのか教えてくれた。日によっては、釣りをして帰ってくることもあったし、家でしゃべるだけの日もあった。
だが、遠くへ行くことはなくなったようだ。
「おじいちゃんの戦場の話、すっごいんだよ」
私も何度も繰り返し聞かされた武勇伝を、ククルにもしゃべっているようだ。
大きな戦争が終わってずいぶん経つが、もう三〇年以上前、ヴェスレイが三〇代の時代は様々な国同士、領地同士で争いがあり、傭兵稼業はずいぶん儲かったという。もちろん、腕利きであればだが。
「アルベールって、僕より全然弱かったんでしょ?」
「まったく、何を教えているのやら……」
武勇伝を話す代わりに、剣のことはまったく教えなくなったようだった。
そんな日々を繰り返していくと、徐々にヴェスレイの足が我が家から遠のくようになった。ククルも、釣りよりは家でしゃべることが多くなった。
「ねえ、アルベール。……おじいちゃん、どこか悪いの?」
ククルなりに感じることがあったようで、心配そうに私に尋ねた。
「そんなことありませんよ。またすぐ釣りにも行けるようになりますし、稽古を覗きに来るでしょう」
「だよね。良かった!」
ヴェスレイをおじいちゃんと慕っているククルに、私はそう言うのが精一杯だった。
ククルは、もう何日もヴェスレイの顔を見ていないので、簡単に誤魔化せた。
……家で作った料理をヴェスレイにお裾分けしにいっているが、日に焼けた肌は見る度に白くなり、大きな体もしぼんでいる。声も力がなく、しわがれていった。
数日前、ヴェスレイの家を訪れたとき、私は半ば確信を持って言った。
「先生。病であれば、医者にかかったほうがいいです」
「病じゃねえよ」
「私はもう小僧ではありません。そんな誤魔化しが効くとは思わないでください」
「アル様、あの家、そろそろ返してくんねえか。この家よりも、あっちのほうがいいんだ」
「では、ここを引き払ってください。一緒に暮らしましょう」
「バカ言え。てめえらが出ていくんだよ」
「ククルも喜びます」
「――わからねえ小僧だな。ジジイの世話させたかねえって言ってんだよ」
「……また来ます」
ヴェスレイはおそらくなんらかの病を得ていることは、想像に難くない。そして、医者にかかるつもりもなさそうだった。
潔いというか、それとも処置の必要もないものなのか……。
どちらにせよ、性格的に前者のきらいが強い人だ。私は、体のことは伏せてククルにはヴェスレイとしばらく同居することを伝えた。思った通りククルは喜んでいた。
本人の了承は得ていないが、そうするのが一番だろう。
私とククルで迎えに行くと、想像していたよりも態度は軟化していた。
「おじいちゃん、おじいちゃん、僕んちで暮らすんでしょ? 僕も準備手伝うよ!」
「ワシは、そんなことは、一言も」
ぎろり、と鋭い視線が私に向けられ、当時を思い出し背が寒くなるが、
「家近いからさ、とりあえず服だけ持っていこ! 足りなかったら、僕かアルベールが取りに来たらいいし」
ククルの有無を言わさない進行に、ヴェスレイは「いやあ、それは……」と、曖昧に抵抗していたが、やがて諦めてククルのしたいようにさせていた。
私が思った通り、ヴェスレイは、ククルに甘く、弱かった。
「……小僧、おまえ」
「なんですか?」
「変なところに知恵が回るのは相変わらずだな」
「目端が利くと言ってください」
「ふん。ジジイの世話の何がおもしれえんだか」
ククルが衣類を鞄の中にどんどん詰め込んでいっている。それを眺めながら私はぽつりと言った。
「面白い、面白くない、ではありませんよ」
「……」
無言のヴェスレイに、私は思っていることを伝えた。
「私にとってキーレン様が育ての親なら、ヴェスレイ……先生は剣の親です。あなたが私にしてくれたように、私も何かお返ししたいのです。キーレン様は、その機会もなく亡くなられましたから」
「殊勝な小僧だよ、おまえは。お館様は、どうやって育てたんだか」
それから小言を言われたが、同居を頑として突っぱねることはなかった。
「こんなもんかな?」
ククルが衣類を詰め込んだ鞄を持つ。
まだ納得していないヴェスレイに、私は言った。
「気に入らなければ、すぐに帰ってこられますから。試しに一緒に暮らしてみましょう」
「行こー!」
先陣を切って外に出たククルに、私とヴェスレイはついていく。まだ不承不承といった様子だが、言ったように嫌なら元の家にいつでも帰れる。その言葉が背を押したようだった。
私一人ではこうはならかった。きっとククルは、ヴェスレイにとって孫のような存在なのだろう。
傭兵時代がどうであれ、私に剣を仕込んだ屋敷時代がどうであれ、今は、孫のようなククルに慕われ愛されていた。
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