第21話雨宿り
飲み水を汲もうとして寄り道をしたのが、結果的に仇となった。街道から離れ、リオンの案内で森に入り、小川を見つけたまではよかった。
ぽつり、と頭に水滴が落ちてきて、「ああっ、雨だ!」とククルが木々に遮られて狭くなった空を見上げる。
ぽつぽつ、と雨が小川を叩く中、革袋に水を注いでいった。
私の隣にやってきたククルが、大胆に頭を小川に突っ込んで水を飲む。すると、その隣にミロとリオンが横に並んで水分を摂る。
私から順に体が小さくなっているのがおかしくて、つい笑ってしまった。
ミロはぶるぶる、と体を振るわせて水分を吹き飛ばすと、ぎゃー、とククルが楽しげな悲鳴をあげた。
それをリオンは、やれやれ、と言わんばかりの顔で見守っている。
のんきにやっているうちに、雨足がどんどん強まっていき、全身がずぶぬれになるまでさほど時間はかからなかった。
「雨宿りできる場所を探しましょう」
森の中は昼間だというのにすでに薄暗く、ククルはちょっと嫌そうだったが、選択肢は他になく、私たちは来た道を外れて屋根を探した。
森の中は枝が雨を遮ってくれるため、小川にいたときほど雨に打たれることはなかったが、すでに濡れてしまっているので、あまり気にならなかった。
「アルベール、屋根なんてないよー?」
「こういった森では、木こりや猟師が休憩に使う小屋があったりするのです」
「そうなんだ。詳しいね」
「ええ。彼らのことは、よく知っているつもりですから」
だが、その小屋が見当たらない。
うろうろしているせいで、どこからやってきたのかもわからなくなりはじめていた。
こういったときはリオンが頼りなのだが、雨に濡れるのに嫌気がさしたのか、私の上着の内側にすっぽりと収まっている。
生地に鋭い爪を引っかけているらしく、私の左胸は今こんもりと盛り上がっていた。一着しかない上着なので生地が傷むことは避けたいのだが、モフっとしていて温かいし、これはこれで可愛いので許そう。
「わん!」
短く吠えたミロが、急に駆け出すと私たちもあとを追いかける。その先には遠目からでもわかる大樹があり、根本のあたりに洞がぽっかりと空いていた。
「あそこで一休みしましょう」
「わかった」
何事かとリオンが一度顔を覗かせて事態を把握すると、また上着の内側に隠れてしまった。
真っ暗な洞の中は、外から見るよりも広かった。ククルとミロと私が入っても十分な広さがあり、肩を寄せ合う必要はなさそうだった。
私が適当に座ると隣にミロがやってくる。
「ミロ、助かりましたよ」
「わふん」
濡れそぼった体を労わるように撫でてあげた。
「お手柄だったね」
ミロがむずむずしている。
もしやと思って顔を背けようとしたが遅かった。
ブルブルブル、と盛大に体を震わせて水しぶきを飛ばした。
「うわあ!?」
「ぎゃあ!?」
本人は知らんぷりして、くわぁとあくびをしている。
汲んだばかりの水を回し飲みして、止まない雨を洞の中からぼんやりと眺めた。
袋の中から、もらったパンをひとつ出して、ククルと分け合う。ミロとリオンには干し肉を与えた。
「やだなー、雨。僕、雨って好きじゃないんだ」
「そうですか?」
「アルベールは違うの? みんな嫌いだと思ってた」
「私は、むしろ好きですよ」
「なんで?」
「雨が降ると、外でしなくてはいけない公務をしなくてもいいからでしょうか」
「こーむ?」
「領主のときにやっていた仕事のことです。農家の方々に畑や作物の様子を聞いたり、道を作っているところを見に行ったり、橋の補修工事の状況を確認したり」
領主の頃、私が重要視したのは、領民の『食』と『住』を快適にすることだった。
田舎町だったので、不作に備えることや、農家の獣害被害を小さくすること、大雨によって川が氾濫しないように工事すること、雨で橋が流されないようにすることなどに腐心していた。
それが正解だったのかはわからないが、養父の頃のほうが住みやすかったと言われたことはない。
「アルベール、見にいってるばっかじゃん」
「はい。私が手伝うと、足手まといになりますから」
「雨降ったら、外出られないんだよ? 僕、家でじっとしてるの苦手なんだよね……」
思い出したかのように、ククルはぽつりぽつり、と落ちる雨粒を憂鬱に眺める。
「この雨が作物を育てるのだと思うと、部屋の中からじっと雨音に耳を澄ませるのも、退屈ではありません」
ふうーん、とククルは鼻を鳴らし、また一口パンにかぶりついた。
そんなとき、不意にミロが立ち上がった。
「わん、わん!」
外に向かって吠えていると、すぐに二人の男がこちらを覗くように顔を出した。
「あららら。犬が吠えてると思いきや」
男たちが目を合わせ、視線でやりとりすると、小柄な体型の男が話しかけてきた。
「ペットと雨宿りですかい?」
もう一人の男は細長い体型をしている。共通して二人とも口にも顎にも頬にも髭があり、腰には剣を差していて肩には弓をかけていた。
「ええ。雨宿りをしていて……。猟師さんですか?」
「ああ。そうだ」
「入りますか? 私たちは出ますので」
ミロは警戒したまま二人をじっと見つめている。
「もう行くんだ?」
と、ククルは意外そうに目を瞬かせた。
「いやいや、いい、いい。休むために来たんじゃねえんだ」
小柄なほうが言うと、細長いほうが続けた。
「そうそう。ここは、たまに道に迷った人がこうして休んでたりして、オレたちゃ、ときどき覗いて困ってる人がいたら森から出してあげてるんだ」
「見かけによらず親切なんだ?」
ククルの声が聞こえてしまったらしく、男たちはダハハと笑った。
「じきに外は真っ暗になる。オレたちの家に案内しよう。そこで一晩明かせばいい」
「それがいい。暖炉に火を入れておけば、びしょ濡れの服だってすぐ乾くだろうよ」
「よかったぁ」
雨も暗い森も嫌がっていたククルは、ほっと胸を撫でおろしたようだった。
「アルベール、よかったね。屋根が借りられそうで」
思案を巡らせていると、男たちが先を急かした。
「長居は無用だ。さあ、行こうぜ」
もう一度私は二人を足元から顔までをじっくりと観察する。
「……」
「行こ、アルベール」
ミロのリードを握ってククルが外に出ようとしている。
私はリオンを懐から出した。
「いえ、やめておきましょう。ご親切にありがとうございました」
洞から出ないように私はククルの肩を押さえる。
また男たちが目線で会話をして、首をかしげてみせた。
「おいおいおい。森をあんま舐めないほうがいいぜ? 夜行性の獣がここいらをうろつくんだ。魔獣も出るかもしれねえ。安全とは言えねえな」
「そうだぜ、兄さん。止めやしねえが、ついて来たほうがお利口だと思うがね」
柔和な口調で案内しようとするが、私は再度拒んだ。
「あなた方に心配される筋合いはありませんので、どうぞ、お気になさらず」
「……なんだと?」
細長いほうが凄むと、ピリリと空気が張り詰めた。
「ここにいても危険かもしれませんが、鼻が利く犬と夜目が利くフクロウがいますので、夜の外敵から逃げることは造作もありません」
ククルとミロ、リオンを私の背に隠すようにして、二人の前に立った。
「……あなた方についていっても安全だという保証もないでしょう」
「えっ?」
声はククルのものだった。
二人の瞳がスッと冷えたように感じた。
「猟師は、普通そんな剣も弓も持ちません。機敏な動物を仕留めるのであれば、短弓が一般的で、森の動物を狩りする装備とは到底思えません。あと、私が知っている猟師や木こりが腰に差しているのは、剣ではなく鉈か手斧です」
「……オレたちゃ、大物狙いだからな。鉈や斧よりも剣だし、持ってる弓も、当然大きくなる」
小柄なほうが言うと、私は笑った。
「ええ。そうでしょうとも。よほどの『大物』であれば、たしかにその剣も弓も必要でしょう」
嫌な沈黙が洞の内外を満たしていく。
しとしと、と降る雨音だけが静かに聞こえた。彼らの背後はもう真っ暗で表情を確認するのも難しい。
だが、じいっと私を見つめる目だけ、どんどん温度を失っていくのがわかった。
「オレたちゃ、大型のイノシシやクマを狩ることもあるからな」
「……人間の間違いでは?」
小柄なほうが剣を抜こうとした瞬間、私は一歩踏み込み男の剣の柄頭を押さえる。
小柄な男の眉が動く。剣が抜けないことと私の接近に驚いていた。
私の思わぬ行動に、細長い男のほうが攻撃の意思を見せる。私はもう片方の手で素早く腰の剣を抜き、刃を細長い男の喉元に突きつけた。
「間抜けな迷い人に見えましたか? ……去りなさい。二度は言いません」
細長い男が、一歩、二歩と下がっていくと根の出っ張りに踵を取られて転び、どたばたと背を向けて走り出す。釣られるように小柄な男も一歩後ずさって踵を返して逃げ出した。
私は長く息を吐きだし、そっと剣を収めた。
「ここは、そういう場所だったようですね」
「何がなんなの!? どうして? あの人たち、なんだったの!?」
「人さらいです」
「ひとっ――人さらいっ!? 猟師じゃないの?」
「さっき言った通りです」
私は、さっきの説明を繰り返した。
「猟師さんは、威力より、素早く準備できて当てやすいものを優先します。木々が乱立する森の中では、中距離以上はまず当たりませんから。斧や鉈は、歩くときに枝を払ったり、猟師小屋で薪を割るときに使います。あとは持っていてナイフ程度です。あんな剣は、持ち歩きません」
「でも、あの人たちは、違った……?」
「はい。兵士だと勘違いするほど、きちんとした剣と弓矢を持っていました」
「獲物が大きかったんじゃないの?」
「獲物が本当に大物なら、二人で狩ることは至難です。大きい獲物というのは、今まで生き延びてきた強者ということです。そういった個体は、知恵も体力も力もありますから、二人ではさすがに難しいでしょう」
雨が当たらない洞のすぐそばに火をおこすことになり、火打石を使って、ククルが枯草に火をつけた。
洞の中に枯れ枝があったので、それをくべて、火を大きくする。
「じゃあ、あの人たちは、僕たちを自分たちの家に連れていって、捕まえるつもりだったの……?」
「おそらく」
怖気がしたのか、ククルはミロをぎゅっと抱きしめて顔を青くしている。
「大方、私たちを貴族ないし金持ちとその連れとペットだと思ったのでしょう。私の身柄を拘束して身分がわかれば身代金を要求し、ククルは奴隷商人か何かに売り飛ばす――」
「怖っ」
「むむぅ」
リオンが偉そうに翼でククルを差した。「気をつけるんだぞ」とでも言いたそうだ。
「ここが、こういう場所っていうのは、どういう意味?」
焚火の橙色の光が大きくなり、また新しい枝をくべる。
先ほど入れた枝が、パキッ、と弾けた音を立てた。
「森で道に迷うと、安全を確保しようとします」
全方位開けた場所でのんびり腰を下ろして休む人間は少ないだろう。
「ここは屋根もあって出入口がひとつしかなく、非常に安心して休みやすい。そんな迷子にはうってつけの避難所になるのです」
干し肉をいくつか枝に刺し、大きくなった焚火にかざして炙る。
雨が降っているため、においも遠くまで届かないだろう。
香ばしいにおいに、ミロとリオンが釘付けになった。
「だから、あの人さらいたちは、そんな人がいないかここを覗きにきてる……?」
「そういうことです。雨が降っていましたから、今日は可能性がぐんと上がるのでしょう」
そして、彼らの思惑通り、道に迷った私たちがいた。
ミロとリオンのために焼いた干し肉を千切って彼らに渡すと、手品か何かのように一瞬でなくなった。
「……僕、やっぱり雨は嫌いかも」
複雑そうな顔をするククルは、袋の中にあるパンを千切って一口食べる。
「親切にしてくれる人だと思ったのに……」
純粋なククルには、ショックが大きかったらしい。
「ああいう輩も世の中にいる、とだけ覚えておけばいいのです」
「アルベール、やっぱり強いんだね。バって動いて、シャキンって剣を抜いてさ」
身振り手振りで興奮を語るククル。
「ああいうのも貴族の嗜みですから」
ククルの頭を撫でて、私はまた干し肉を炙った。
ミロとリオンが期待に目を輝かせている。
「これは私の分ですよ」
聞こえたのか聞こえてないのか。干し肉から二匹の目線がまったく外れない。
私は苦笑して、仕方なくまた彼らに干し肉を与えた。
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