第20話新たな旅路へ

 泣きながら歩く大人と子供の旅人二人は、他人から見ればずいぶん奇怪に映っただろう。

 道なりに街道を歩いていくうちに、涙がようやく収まり、次はどこへ行こうかと考える余裕が出てきた。


「――」


 去った町のほうから、声がした。

 女の子の声だったので、たぶんカテリナのものだろう。


 何かあったのかと振り返ると、カテリナを引きずるようにミロが走っていた。


 ……こちらにだった。


 四肢を目いっぱい動かし、思うがまま疾走すると、カテリナが足をもつれさせベシャンと倒れる。その弾みで手からリードが離れた。


 自由を得たミロが、ぐんぐん加速していく。


「アルベール、どうしたの」


 まだ涙声のククルは、立ち止まった私に尋ねた。


「ミロが……」

「え?」


 ミロは息を荒げ、全身で体を躍らせながら、私たちの元へ走ってきている。


「っ……」


 締めたはずの涙腺がまたゆるむ。

 旅暮らし、その日暮らしの生活を続ける私たちといるより、カテリナの屋敷にいたほうがいい――。

 それは、私とククルが彼を諦めるには、十分な理由だった。



「ハッ、ハッ、ハッ――」



 荒い息遣いにククルも事態に気づいた。


「ミロ――!」


 段差か何かにつまずいて、ミロが転ぶ。

 手助けしようと一歩踏み出したククルを、私は止めた。


 ククルも意図を汲み取り、歩み寄ろうとしなかった。

 ミロは、すぐに立ち上がって再び走ると、私たちの足元までやってきた。尻尾をぶんぶん、と振って、いつものピカピカとした表情で私とククルを見上げている。


「……ミロ、もう私たちはあなたの主ではないのです」

「わん」


 潤んだ瞳がまっすぐ私を見据える。


「『待て』です。カテリナが、すぐに来ます。彼女と一緒に屋敷に帰るんです。あなたの家は、今日からウィニーがいるあそこになったのです」


 困惑したようなミロはその場で止まり、助けを求めるようにククルへ視線を送る。

 ククルは黙り込んでいた。

 どうしていいのか対応を決めかねているようだったので、心を鬼にして私はククルを促し、再び背を向けた。


「わん!」


 呼ばれたような気がしたが、聞こえないフリをした。


「アルベール……」

「食べる物も食べられない旅の生活です。屋敷で暮らすほうがいいに決まってます」


 ククルへ、というより、もはや私は自分に言い聞かせていた。



「わぉ――――――ん」



 遠吠えに足が止まりそうになる。


「アルベール」

「屋敷は、散歩に行く必要がないくらい広いです。友達もいます。ご飯もきちんと食べられるし」



 見えないフリをして私は歩を進める。

 その手がぎゅっと掴まれた。




「アルベール。ミロが、どう思ってるのか、知らないでしょ?」




 ……気づかないフリをしていた。

 ……そうかもしれないと思ったこともある。


 だが私が連れていくよりも、カテリナが飼ったほうがいいのだ。



「わふっ、わん、わん」



 また何か発したミロの意思をククルが読み取った。



「僕の、勘違いかもしれないし、願望かもしれないけど、でも……たぶん、ミロは」




 喉をしゃくりはじめたククルは、口をへの字にして涙をひっこめる。



 だが、堪えきれずまたこぼれていった。



「ミロは、僕たちと一緒に行きたがってる」



 私は奥歯を噛みしめ、せりあがってくる感情を喉の奥に押しとどめようとする。

 ミロと目が合うと、また私たちのほうへ走ってきた。


 目の前が涙で見えなくなると、突進するかのように足に獣が飛びついてきた。


「わふんっ!」

「ミロ……おまえのついていく相手は、私たちではないのに」

「わん、わん!」


 尻尾を振って、ピカピカの表情で私を見つめるミロ。

 視線の先に希望があるかのように、まるで目をそらさない。


「『待て』と言ったのに」


 その言葉に反応して、きちんとまた『待て』をする。

 ククルが泣いたまま笑ってミロを撫でた。

 遠くから、カテリナと執事がゆっくりと歩いてやってきた。


「アルベール」


 ククルが言おうとする言葉を、私が継いだ。


「私たちが連れていきましょう」

「うん!」


 やってきたカテリナの高価そうなドレスには土汚れができ、頭には葉っぱがついていた。


「とんでもない目に遭いました」


 うふふ、と笑って続ける。


「こんな躾のなってない子は、預かれませんわ」


 本気で言っているはずもなく、私の背を押そうとしているのがわかった。


「最初から、わたくしがそう言っておけばよかったのです。ミロちゃんは、アルベール様こそ主だときちんと理解している賢い子です」


 ひいひい、と息を切らして追いついた執事が、カテリナの服の汚れと草を取り除いている。


「会ってまだそこまで日は経ってないのですが」


 そんなふうに私のことを思ってくれていたとは、光栄の至りである。

 ミロの頭を撫でると、もっと撫でてほしそうに目をぱちくりさせていた。


 別れがあんなに辛いということは、私たちとミロが結んだ縁は、深くて固いものだったのだろう。

 ……私は落ちていたリードを拾う。


 しばらく人に会いそうにないので持っている意味はないかもしれないが、これでミロにも私の意思が改めて伝わっただろう。


「アルベール様、ククルさん、リオン、ミロちゃん。よき旅路を。いってらっしゃいませ」


 カテリナに送り出され、私たちは再び足を進めた。


 一匹増えた旅は、これまでと違ったものになるかもしれないが、なんとかしていくしかないだろう。

 そろそろ雨が降りそうだ。


 雨宿りできそうな場所をリオンに探してもらおう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る