第19話別れ

 ひとしきり泣いてククルが落ち着くと、カテリナが尋ねた。


「ここを発つにしては、ずいぶん荷物が少ないのですね?」

「元々鞄ひとつで屋敷を出てきたので、これっきりです」


 足元の鞄を指して言うと、信じられないとでも言いたげにカテリナは驚きの表情を浮かべた。


「で、では、お食事は!?」

「リオンが果物を見つけてきますし、道中、行商人と出会えば日持ちする食べ物をいくつか買っていますから」

「ええっ!?」


 カテリナの日常とかけ離れすぎているせいか、若干引いていた。

 元の私の暮らしぶりを知っているからというのもあっただろう。


「なんと不憫な」

「ははは……」


 私が苦笑していると、カテリナは執事を呼んで旅の物資を揃えるように言いつけた。それがかなりの量で荷車がないと運べないくらいだった。

 引くにしても体力を使うし、悪路だった場合、なおさらだ。


「そこまでしてもらわなくても」


 遠回しに量が多いことを伝えたが、カテリナはきっぱりと言う。


「わたくしがしてあげたいのです。不要でしたら、売るなり捨てるなりしてください」


 ご厚意でもらったものを捨てることはできない。

 一方で、荷物が増えるとその分歩くのに負担にもなる。

 どうしたものかと考えて、私は部屋を出て執事のあとを追いかけた。


「あの」

「アルベール様、いかがなさいましたか?」


「物資は、パンと干し肉を五日分だけください。カテリナには、私から言っておきますので」

「ありがとうございます。お嬢様のご希望通りでしたら、旅には不向きかと思っておりましたので、そう言っていただけますと幸いでございます」


 執事もカテリナが過剰だとわかっていたらしく、一礼して歩き去った。


「まだ時間あるよね?」


 ククルが部屋から出てくると、私に訊いた。


「ええ」

「……ミロと遊んでくる」

「わかりました。ゆっくり準備していますから」

「うん。ありがとう」


 廊下を走ってククルは外に向かった。

 カテリナの部屋で彼女と雑談していると、執事が準備ができたと教えてくれた。

 玄関先にまとめてある物資を確認すると、私が頼んだ物が袋の中に入っている。

 あらかじめカテリナには荷物の変更を伝えていたが、念を押してきた。


「本当に、たったこれだけでよろしいのですか? これだけではお腹が空いてしまいますわ……。食後のティーもいただけないなんて……」


 必要最低限というのがまだ信じられないらしく、私を哀れに思ってか、カテリナは目を潤ませた。


「アルベール様……!」


 ひしっと私に抱き着いてくる。さっきまで大人びていたあの子はどこへ行ったのやら。


「旅するだけで、別に戦地に赴くわけではありませんよ」

「馬車でお送りしますわ。どこの町まで?」

「いやいや。それじゃ旅にならないです」


「では、次はどこの町でしょう?」

「決めてません」

「ええっ!?」


 また衝撃を受けたカテリナだった。

 庭では、ククルとミロとウィニーが遊んでいる。犬系の半獣であるククルは、やはり犬とはすぐ仲良くなりやすいのだろう。


 カテリナが送ると言ってきかないので、町の出口まで馬車で送ってもらうことにした。


「ミロちゃん、参りましょう」

「わふん?」


 ウィニーの世話をよくするというカテリナは、犬の扱いをよく心得ているようで、撫でる手つきも慣れた様子で、ミロも嫌がる素振りは見せない。

 私がやってきた馬車に袋と鞄をもって乗り込むと、当然のようにミロもついてきた。


「ミロ。私たちは、この町を離れます」


 言葉は理解できないかもしれないが、気持ちは伝わると信じて語りかけた。ククルとカテリナも乗り込み、執事が扉を閉める。


「私とククルが町を離れたら、おまえの新しい主人は彼女になります」

「わふ……」


 ミロは戸惑うような短い鳴き声をあげると、私とククルを交互に目をやった。


「わたくしが、あなたの新しい主人になります。新しい家もウィニーの家のそばに作りますし、ウィニーと毎日遊べるのです」

「……」


 話し続けるカテリナをミロはじいっと見つめている。


「ご飯も管理したものをきちんと出します。何も心配は要りません」


 今回は、カテリナが物資を用意してくれたからしばらく空腹に悩まされることはないだろうが、本来なら、通るかどうかわからない行商人と、生っているかわからない果物をあてにすることになる。

 綺麗な庭で仲が良い友達と毎日遊べて、食べ物も充実しているバンドール家の生活は、比べるまでもない。


 ピスピス、と鼻を鳴らすミロをククルは何も言わずぎゅっと抱きしめていた。


 馬車に揺られて一五分ほどすると、私たちがやってきたのと反対側の出口に到着した。


 荷物を降ろし、袋を肩に担ぐ。五日分ともなるとなかなか重いが、すぐに軽くなるだろう。


「アルベール様、差し出がましいとは思いますが、これだけはお腰に……」


 執事が恭しく差し出したのは、一本の剣だった。質素な鞘に収まっている剣は、一見どこにでもあるように見えるが、鞘や柄、鍔の細かい意匠からしてかなりの品だとわかる。


「こんな立派な物はいただけません。それに、戦うわけではないので……」


 遠慮したが、執事は引き下がらなかった。


「抜くのは万が一でございます。抜かずとも抑止力として十分効果はございましょう。御身とお供の子のため、どうかこれだけはお持ちください」


 ククルを危険に巻き込まないため、と言われると弱い。

 扱いは心得ているつもりだし、彼が言うように抜かなければいいのだ、と私は自分を納得させる。


「……わかりました。ありがたく頂戴します」


 革製のホルダーももらい、腰に巻いて剣を差す。


「いただいてばかりで申し訳ありません」

「いえいえ。我が主、フェランチェスコが認めるお方に恩を売れば、むしろ褒められることでしょう」


 だから自分に恩を感じることはないと執事は快活に言った。


「ククル。あなたはこの町に留まってもいいのですよ」


 ……私の旅は、目的もあてもない。

 強くなりたいというククルは、私についてこずともいいのだ。

 彼の中で答えはもう出ていたらしく「アルベールについていくよ」と即答した。

 ククルも準備ができたようで、持っていたリードをカテリナに渡した。


「ミロ……じゃあね」


 私もミロに最後の挨拶をしよう。

 はじめた会ったときのように、わしわしと撫でてやり、首筋を抱いて背中をとんとんと叩いた。


「ミロ、お元気で。カテリナの言うことをきちんと聞くのですよ」


 私の主観でしかないが、やはりミロは戸惑っているように映った。鼻をくうんと鳴らし、リードを持つカテリナを見上げて、もう一度私に視線を戻した。


「わたくし、お待ちしております。いつでもミロちゃんに会いに来てください」

「はい。この近辺に来ることがあれば、寄らせていただきます」


 ククルも大きく同意して、ぶんぶんと首を縦に振った。

 それじゃあ、と私たちはカテリナと執事に背を向けて歩き出す。

 ククルの目元が緩み、カテリナたちから離れると、なみなみと涙が瞳に溜まっていく。


「うぐうっ、うっ、うぅぅ……うあぁぁ」


 わんわんと泣き出したククルに釣られて、私も声こそ上げなかったが静かに泣いた。


 慰めるようにククルと手を繋いで、涙でぼやけた視界の中あてもない道を進む。


 どんよりと曇った空からまだ雨は落ちてこない。


 代わりに、私たちは頬を大粒の涙で濡らした。



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