第16話令嬢との再会


 ミロの世話と引き取り手探しがしばらく続いたある日のこと。


「アルベール様ぁ!」


 馬車とすれ違ってすぐ、少女の声が後ろから聞こえてきた。

 振り返ってみると、聞き覚えのある声だと思ったら、バンドール様の孫娘、カテリナだった。馬車の窓から金色の頭を出して、前にいる御者に止まるように伝え、スカートをつまんで転ばないように馬車から降りてくる。


 私と目が合うとはにかんだように笑って、堪らずといった様子で走ってやってくる。


「急ぐと危ないですよ」


 私が注意するのとカテリナが何かにつまづくのは同時だった。


「あ。わっ――」

「おっと――」


 転びそうになる寸前、私は彼女の腕をそっとつかんで転倒を阻止した。


「お怪我はないですか?」


 驚いたようなカテリナの表情が、無邪気に笑った。


「ありがとうございます。アルベール様は、我が領地に何かご用ですか? いらっしゃったのなら、一言下さればよかったのに」


 ケインのときと同じやりとりをしなくてはならないのが少々面倒だが、ドラスト家の当主交代劇を伝えた。

 するとカテリナは、ご冗談を、とくすりと笑った。


「わたくしが、そんな嘘を正直に信じると? 甘いですわよ、アルベール様。ベッコンだかバッコンだか知りませんが、東部にその人ありと謡われるアルベール様の後を継げるはずがありませんもの」


 私の嘘を見破ったのが嬉しかったのか、カテリナはしたり顔をしている。

 一応ベッケンだと訂正しておいたが、すぐに忘れそうだ。


「リオンも、お久しぶり」

「むう!」


 ミロの背に乗っていたリオンがカテリナの肩に止まった。

 ミロは退屈そうにお座りをしている。


「そんなことよりも、どうしてワンちゃんのお散歩を? 飼いはじめたのですか? リオンというものがありながら、アルベール様ったら」


 ねえ、とカテリナが冗談めかしてリオンに話を振ると、もう彼の中で整理はついているようで「まあそういうこともあるだろう」と言いたげに翼を小さく広げた。私の勝手な解釈だが、結構当たっていると思う。


「久しぶりにお目にかかりましたし、積もるお話もありますから、我が家でお茶でもいかがですか?」


 にこりと微笑んでカテリナは招待してくれた。


「バンドール様は……?」

「おじい様は所用で王都まで出かけております」


 そうですか、と私は内心胸を撫でおろした。

 バンドール様は、顔を合わせれば一族の娘と私をくっつけたがるのである。


 断り続けるのもいい加減失礼にあたるのでは? と心配になる程度には断っていた。私にそう思わせる手口という可能性もあり、なるべくなら顔を合わせたくないお方だった。


「では、長居はしませんので、お邪魔させてください」


 止まっていた馬車に私たちは乗り込み、リオンは定位置である私の肩に止まり、ミロは私の股の間にちょこんと座った。


「賢いワンちゃんですのね」

「区画整理する家で飼われていた犬なのです」


 出会ってからのことをカテリナに教えると、悲しげに目を細めていた。


「では、この子はアルベール様が飼われるのですか?」

「そういうつもりはないのですが……」


 私が屋敷暮らしであれば、飼っていただろう。

 だが、今は無職の旅人。


 ミロのことを考えれば、別の誰かに引き取ってもらうのが一番なのだ。

 馬車の中でカテリナは近況を教えてくれた。あれこれと話が前後し、登場人物も一五人を数え、整理がつかなくなったあたりで外門に到着した。


 侯爵家は、敷地が広大なので簡単には玄関に辿り着かない。

 外からだと、まず外門があり次に綺麗に手入れされた庭園を通過、そして最後に強そうな警備兵がピシっと立っている内門を過ぎてようやくバンドール家の玄関が見える。

 使用人たちが一礼する中、馬車が止まり、私が先に降りて手を差し出す。


「よろしければ、お手を」

「はい」


 ふふ、とカテリナは楽しそうに笑うと、絹のように柔らかく白い手をのせた。

 下車を手伝うと御者を務めていた執事が応接間まで案内してくれた。


 ちなみに、リオンとミロは外で待たせている。

 応接間は贅の限りを尽くしており、バンドール家の威光をこれでもかというくらい感じる高価な調度品の数々が部屋を埋め尽くしている。私のような元貴族でも圧倒されるほどだ。


 カテリナは、出してもらったお茶のカップを手に、近況の続きを目いっぱい話した。

 馬車の段階で理解をあきらめた私は、「ああ」とか「そうでしたか」とか「ハハハ。それはそれは」の三パターンの反応で乗り切った。


 一五歳のお嬢さんが、三五歳のおじさんを捉まえて何をしているのかと思わないでもない。はじめて会ったときは六つだったことを思い出すと、非常に感慨深い。

 ようやく話が終わって、今度は私の近況を知りたがった。


「アルベール様に限ってないと思いますが、使用人に手を出したりしていませんでしょうね?」


 一人思い当たる男がいたが、私は笑って首を振った。


「ないですよ。……私のほうは、さっき話した通りです」

「さっき話した通りというと……まさか」

「ええ。まさかです。領地を追い出されたので、今はリオンと半獣の子とのんびり旅をしています」


 自分を騙して楽しんでいるのではない、とカテリナはようやくわかったらしい。深刻そうに眉をひそめた。

 当主の座を奪い返せなどと言い出しそうなので、私は回り道をして自分の考えを伝えた。


「私は預かっていただけに過ぎません。それを本来持つべき方に返した。それだけです」

「そうですか……」


 カテリナは落ち込んだようで、悲しげに眉尻を下げていると、何か思いついたのか、目蓋と口を縦に広げた。


「あ! いい考えがありますわ」

「なんでしょう?」


 おほん、と改まったように咳払いし、そして言った。


「わたくしの夫になればよいのです」

「よいのです、じゃあないですよ。いい歳こいたおじさん相手に、一体何を……」


「二〇歳差など、貴族は珍しくともなんともありません!」

「いやいやいや……そうかもしれませんが、それは……」


「わ、わたくしは、アル兄さまのことを、ずっとずぅぅぅっと、お慕い申し上げておりました!」


 真っ直ぐなパワーを真正面からぶつけられると、若さとその眩しさに目がくらんでしまう。


「おほん。私にも意中の方がいるのです、カテリナ。私の気持ちも考えてください」

「その方は、誰ですか」


「内緒です」

「嘘ばっかり」


 すぐバレた。


「わたくしは、これでも社交界の花としてたくさんの男性からアプローチされるのですよ?」

「でしょうね。カテリナは、見ない間にずいぶん綺麗になりましたから」

「っ……」


 カテリナは頬を染めて押し黙る。率直な褒め言葉には弱いらしい。うぶな反応を見ると、大人びた彼女も、年相応の少女なのだなと微笑ましくなる。声に出して言えば、「子供扱いして」と機嫌を損ねそうなので、何も言わないでおいた。


「私は、もうドラスト家とは無関係ですから、バンドール家からしてみれば利点はないでしょう」

「そんなことありませんわ。おじい様は、貴族のあなたではなく、アルベール様自身を買っているのですから」


 バンドール様は、足元をすくわれた私を笑うだろうか。私の至らなさを叱ることもありえそうだ。


「ドラスト家の話は、いずれ陛下から正式に諸侯にご報告があるでしょう。……私はこのへんでお暇します。おじい様――バンドール様にもよろしくお伝えください」


 すっと立ち上がって、私は小さく頭を下げる。

 外ではご機嫌そうにミロが庭を大きな白い犬と駆け回っていた。バンドール家で飼っている犬だろう。


「お見送りさせてください」


 私が逃げるように話題を切って帰ろうとするのが寂しかったのか、カテリナは部屋を出ようとする私のあとについてくる。


「あの子……ずいぶん仲良くなりましたわね」


 楽しそうに遊ぶ二匹を見てカテリナはぽつりとつぶやく。


「白いほうはウィニーというのですけれど、彼女もすごく楽しそう」

「そのようですね」


 ミロはオスだ。

 なるほど。彼もなかなか隅に置けないらしい。


「……ミロちゃん、でしたか? ご一緒にまたいらしてください。ウィニーも喜びます」

「ありがとうございます」

「もっ、もちろん、わたくしも……!」


 言い淀みながらなんとか伝えようとするカテリナの頭を軽く撫でる。

 子供扱いして、と怒るかと思ったが、まんざらでもなさそうだった。


「今後も旅を続けるのでしょう? もしよろしければ、ミロちゃんはわたくしが責任を持って預かりますわよ」

「あぁ、それは……」


 ありがたい提案だったはずが、すぐにお礼が出てこない。


 私も私で、ミロと離れがたくなってしまっていた。


 旅に連れていくのを想像したが、彼にとってそれが最良とは思えない。


 連れていきたい気持ちはあるのだが……。


 私は外に出て遊んでいるミロを呼んだ。


「ミロ、帰りましょう」


 ミロは、ウィニーと名残惜しそうに別れるとこちらへ目いっぱい駆けてくると、突進するかのように私に飛びついてきた。


 私はミロを抱きとめて、頭も背中もわしわしと撫でてあげた。


「楽しかったですか?」

「わん」


 カテリナが手配してくれた馬車と御者がやってきて乗り込んだ。

 最後に見送りに出てきていたカテリナに会釈をすると、おしとやかに胸の前で小さく手を振る。


 ちょっと前までは、別れ際はいつも大手を振って惜別を大声で言っていたことが懐かしい。

 馬車に揺られているうちに、ミロは私の膝で眠ってしまった。


 大はしゃぎでウィニーと遊んだから疲れたのだろう。


 優しく優しく、起こさないように私は頭を撫でた。


 二人で作った新居にもずいぶん慣れて、飼い主の家にも帰らなくても大きな不満はなさそうに思えた。



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