第17話思えばこその決断


 ミロの様子を知った大工さんたちは、家の取り壊し工事をはじめることにしたそうだ。


「アルベールさん、あんたのおかげで無事取り壊しできそうだよ」

「いえいえ。事故には十分気をつけてください」

「おうよ」


 ミロは、家の前を通ると名残惜しそうに目線をやっていたが、他人が敷地内をウロウロしても、機嫌が悪くなることはなくなった。

 定宿に帰ると部屋にはリオンとククルがいて、中で遊んだのか、リオンの羽がいくつも落ちていた。


「何したんですか」

「な、何もしてないよ!」

「むむ、むむー!」


 リオンも慌てて首を振っている。


「宿にはお客さんが他にもいらっしゃいます。ここで大騒ぎしたらご迷惑になるでしょう」

「うっ……」


 私の剣幕にククルがたじろぎ、リオンは私の味方をするかのように肩に止まった。私の視界に入らなければ追及されないと思っているらしいい。


「あなたもですよ、リオン」

「……」


 何も言わず、リオンが肩から離れる。振り返ると、ちょうど私の死角になる部屋の棚に止まっていた。

 このフクロウは……。

 まったくもう、と私はベッドに腰かけた。


「ミロの飼い主の家が明日から取り壊されことになりました」

「でも、もう新しい家に慣れたし大丈夫だよね」

「ええ、そうですね。家に関しては、新居で暮らしても不満はなさそうです」


 本来であれば、これで目的は達成されたことになる。

 私が浮かない顔をしていると、ククルが何度目かの提案をした。


「アルベール、やっぱりミロは連れてこうよ。もう飼い主もいないし、僕たち以外に面倒を見てくれる人も見つからないじゃん」


 それが一番現実的な収まり方だった。ほんの少し前までは。


「それなのですが」



 私は言葉を切って、ゆっくりと伝えた。



「預かってもいいという方がいらっしゃいます」



「えっ……?」


 ククルの表情が、火が消えたようにすっと暗くなった。本来喜ぶべきことだが、気持ちは私も同じだった。

 過ごしたのはわずかな時間だったが、ミロの世話は決して面倒なものではなかった。散歩も餌やりも、他の世話も、私たちには日々の楽しみのひとつになってしまっていた。


「その方に預けようと思っています」


 はっきりと方針を告げると、ククルは首を振った。


「僕たちのほうに懐いてるから、ミロは絶対こっちのほうがいいよ。もしかするとその人に噛みつくかもしれないし」


 大工さんに噛みついたのは、侵入者だと認識したからで、散歩しているときに牙を剥いて唸ることも無駄吠えすることもない。ましてや、町ゆく人に噛みつくなんて、もっとない。

 狂暴な犬でないことくらい、ククルもわかっているはず。万が一の可能性をあえて言ったのは、他人に預けたくない証拠だろう。


「ミロは、賢い子です。噛みついたりしません」


「その人よりも僕たちと一緒のほうがいいに決まってる。――アルベールは、なんでそんな簡単に預けるなんて言うのさ!」


 ククルの不満げな表情が一転し、私に怒りを向けてきた。


「僕にとっては、ミロは大事な家族みたいになってた。アルベールもそうだと僕は思ってたけど、違うんだね」


「違いません」


「違わなくない! だったらさ、預けるなんて、言わないでよ……!」


「家族だと思っているからこそ、預けようと思っているのです」


 ククルにとって、私の考えは受け入れがたいものになるだろう。


「申し出てくださったのは、バンドール家という近辺を治める貴族の方です」

「貴族……」


「私の知り合いの方で、屋敷で他の犬も飼っているので扱いは心得てらっしゃいます」

「ミロは、全然行儀よくないよ。貴族サマの犬なんて、きっと務まんないよ」


 ククルの唇がわなわなと震え、瞳にじんわりと涙が浮いた。


「ミロがいい子だというのは、ククルと私がよく知っています」

「貴族の家なんて気に入らないかもしれないじゃん!」


「バンドール家には、ウィニーという犬がいて、その子とも仲良くできそうなのです。町中を散歩する必要もないくらい庭も広大です」

「アルベールが連れていかないなら、僕が連れていく。それでいいでしょ?」


「ククル」

「ご飯は僕の分もあげる。アルベールに迷惑かけないから」

「ククル……」

「僕は連れていってくれたのに、どうしてミロはダメなの……?」


 懐かれてしまえば、やはり、離れがたいものである。

 私も同じだ。

 別れを思うと、言いようのない寂しさで胸がいっぱいになる。


「ククルには、目標があります。何もない子を旅に連れまわしません。……ミロは、どうですか?」


 ククルは沈黙すると、ぎゅっと握った小さな拳の上に、ぽとりと涙が落ちた。

 私は泣き出してしまったククルの背をさすった。


「私はこれからも、町から町へ旅をしていきます。道中、野宿することは当然あるし、食べ物に困ることもあります。果物だけでも口にできたら上等なほうでしょう」


 喉をしゃくらせながら、ククルは言う。


「ミロっ、の分は、僕が、わけてあげるから。お腹空いても、ご飯、たりなくてもっ、文句、言わないからっ」

「お母様からあなたのことを任されている身としては、了承しかねます」

「僕の、勝手でしょ。迷惑かけないから、お願い」


 涙でくしゃくしゃになった顔で懇願するククルを、私はそっと抱きしめた。


「旅に次ぐ旅の生活は、道中はなかなか疲れを癒せません。怪我をしてしまっても、具合が悪くなっても、すぐ治療できません。これは私たちにも言えます。少なくともミロは、バンドール家にいさえすれば、食べ物も寝る場所にも困りませんし、病気や怪我の危険もかなり少ないでしょう」


 嗚咽を上げて泣きじゃくるククルの頭を落ち着かせるように撫でた。


「ミロには、私たちの次の家族が必要です」


 根無し草となった私の旅についてくるより、バンドール家で新しい飼い主と仲良くなったウィニーと一緒に過ごすほうが、きっと彼にとっては幸せなはずだ。


「私たちの思いは同じです。ですが、ミロにとっての一番がなんなのか考えてあげましょう」


 聞き分けてくれたのか、ククルは赤くなった目元を乱暴にぬぐい、またぽろぽろと涙を落とした。



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