第15話犬がいる日常


「ここにしばらく留まります」


 朝、ミロの散歩についてきたククルに言うと、ただうなずいた。

 昨日の全力散歩のせいで体の節々が筋肉痛になったので、今はリードはククルに預けている。今日も飼い主の変装をしているが、昨日よりも不信感が薄れている、とククルは教えてくれた。

 ミロは家を離れれば人懐っこい性格で、人に向かって吠えたり唸ったりすることはなかった。


「まだお腹空いてるみたい」


 ミロが何度か物欲しそうに私を振り返るとククルが教えてくれた。


「さっきあげたのですが」

「足りないみたいだよ」


 持って行った餌は、朝市で廃棄されそうになっていた野菜や魚の切り身だった。ミロは、私が食べ物を持ってきたとわかると、いい子アピールでお座りをし(尻尾は目いっぱい振っていたが)、餌を置くと、少し警戒したあと、すぐに何か言いたげこちらを上目遣いでちらりと眺めた。

 リオンにはないいじらしさが可愛らしく、すぐに「よし」と言って許可を出した。


「ミロのお世話をするためにこの町にいるの?」

「半分はそのためです」

「半分?」

「はい。こうして一時的にあの家から引き離せていますが、取り壊すことを受け入れたわけではないでしょう」


「たぶんね。僕たちは気を許してくれたみたいだけど、全然知らない人が家に近づこうとすると警戒するから」

「だから、別に家を作ってあげて、そちらに徐々に慣れていけば、あそこから離れることを受け入れてくれるのでは、と」

「なるほど」


「新しい家を作って、新居に慣れてもらう。そうすれば、元の家の取り壊しも滞りなく進められるでしょう」


 あそこに留まり続けても、飼い主は帰ってこず、じきに強制的にどこかへ連れていかれてしまう。そうなる前に引っ越しをしてもらおうと思ったのだ。

 散歩が終わると、大工さんたちに貸してもらった道具ともらった木材の端切れを材料に、ミロの家を作ることにした。


 素人作業ながら、ククルと協力して釘を木材に打ち込み、トンテンカン、とやっていると、大工さんたちが様子を見にやってきた。


「物好きだねぇ」

「ミロ、良かったな。新しい家ができるぞ」


 気軽に声をかけてくれる彼らに、私は尋ねた。


「私たちがずっとお世話ができるわけではないので、どなたか、引き取っていただけませんか?」

「ウチは無理無理」

「こっちもだ。家族養うのに精一杯で犬の世話までできねえんだ」

「……そうですか」


 考えてみれば、それができる人がいるのなら、飼い主が亡くなった時点でそうしているだろう。他をあたるしかない。

 屋根を二人で取り付けて、思った以上に大きな小屋になってしまったことをククルと笑った。


「ねえ、アルベール」

「なんですか?」

「連れて行ったらいいいんじゃない?」


「……考えなかったわけではないです。ですが、旅暮らしでは、病気や怪我をしてもすぐ診てもらえる医者も治療院が近くにないことがほとんどです。私たちも同じ事が言えますが。それに、お腹いっぱい食べられることのほうが珍しいですし……」


「そっかぁ……そうだよね……」


 ミロの今後を考えると、辿り着く結論はククルも同じだった。

 気落ちしたククルは、私に仕上げを任せてミロと遊びはじめた。


 散歩は一日二回していたと聞いたので、朝と夕方することにし、そのときに餌をあげた。売り物にならない廃棄寸前の貰い物ばかりだったが、ミロは大喜びでよく食べた。

 廃棄寸前と言っても、獲れたてが自慢の港町の基準である。私には、他の町で普通に売られている物と違いがわからなかった。


 こうして、私とククルはミロの世話をはじめた。


 作りたての新居に慣れるようにそこで餌をあげたり、引き取り手を探したり、そうするうちに私の足腰も強くなり、心肺機能も向上した。


 初日のようにいきなり走られても引きずられることはなくなっていた。


 亡き主人でないことに、ミロはもう気づいているだろう。

 変装をうっかり忘れてしまったことがあったが、普段通り私を受け入れてくれた。きっかけこそ変装であったが、私たちはずいぶん仲良くなっていた。


 朝の散歩と餌やりは私が担当し、夕方はククルが担当した。


 リオンはというと、当初ミロを甲斐甲斐しく世話する私に不満そうだった。相変わらず表情がないので、本当にそう思っているかは、私の主観でしかないが。

 主がこうまでして構う獣に、徐々に興味を持ったようだった。


 散歩は遠くから見ていただけだったのに、いつの間にか私の肩に乗って同行するようになり、ミロがいる生活に慣れていった。


 時々リオンとミロがケンカをすることもあった。


 原因はいつもリオンの餌をミロが横取りしようとしたせいで、リオンが頭をつついてミロが逃げ出すのがお決まりのパターンだ。


 そんなことを繰り返すうちに、リオンの中で自分のほうが上だと完全に序列が決まったらしい。ミロの散歩にもついてくると、私の肩からミロの背中に乗るようになった。

 どうやら、リオンは自分を私側――少なくともミロを自分より下だと捉えていた。

 ミロもそれを理解し、リオンが食べている餌を横取りするような真似はしなくなった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る