第7話出立


 朝食を食べ終え、お礼とともにククリシュラ家を去ろうとしたところで、ケインに捕まってしまった。


 使用人の彼女と上手くいったことを感謝され、一晩語り合っただのなんだのと、鬱陶しい……失礼、幸せいっぱいの話を聞かせてくれた。

 それが一段落すると、ケインは表情をゆるんだものから真面目なものに変えた。


「アル兄、ドラスト家をベッケンに追い出されたっていうのは本当のことですか? 俺はてっきりお忍びで遊びにきたものだとばかり……」


「ええ。事実です。私なりに領民やドラスト家に尽くしたのですが、報われなかったようで」


 はは、と力なく笑うと、ケインは嘆かわしげに首を振った。


「なんてことを。……取り戻しましょう、アル兄。あのボンクラにドラスト家とその領地をいいようにさ

れては堪りません」

「ケイン。私は争いは望んでいません。ドラスト家からすれば、私が異分子であることは確かですし、一時的に預かっていた領地を、本来持つべき者に返した――。そう思うようにしています」


「人が良すぎます」

「そうでしょうか。……隣領のケインからすれば、彼が領主だと不安かもしれませんが、仲良くしてあげてください」

「あいつの態度次第です」


 いい印象を持ってないのは知っていたが、あからさまな言い草に思わず苦笑で口元がゆるんでしまう。


「アル兄は、これからどうするのですか?」

「リオンと旅するつもりです。各地方を巡りながら、気ままにね」


 呆れたようにケインはため息をつく。


「執着しないのも、アル兄らしいというか……。俺やあの方が放っておかないのは、そういうつかみどころのない性格ゆえなのでしょう」

「まあ、またこちらに寄ることがあれば、お土産のひとつでも持ってきますよ」

「お構いなく。立ち寄ってくれるだけで十分です」


 そこで、ケインが何かに気づいた。


「ちょ、ちょっと待ってください。アル兄がもう貴族ではないとしたら、晩餐会にはもうお出になられない……?」

「当然です。頼まれてももう行きませんよ。あんなつまらない金持ちの自慢大会なんて」


 うらやましい、とケインは苦笑する。

 そんな彼に私はひとつ頼みごとをした。


「これから旅をすると言いましたが、実は、手荷物のみで領地から追い出されたので通行手形は持っておらず……」


 察したケインは、大きくうなずいた。


「アル兄のおかげで俺はトーリと結ばれることができました。そのくらい、お安い御用です」

「ケイン、ありがとうございます」

「よしてください。むしろお返しができる好機だと思っているくらいなので、ちょうどよかったです」


 快活そうな笑みを浮かべて、執事を呼び出した。用件を伝えると、執事は部屋を出ていき、すぐに手の平ほどの証文を持って戻ってきた。


「アルベール様、こちらです」


 証文には、ククリシュラ伯爵家の紋章と所持者の身分を証明する簡単な文言が記されていた。


「ありがとうございます。伯爵様にも、お礼を言わなければ」

「大丈夫ですよ。父上もアル兄にはいつも世話になっているんです。この程度、何ほどのことでもありません。これがあれば、よっぽどの事態が起きない限り、どの町にも入れるでしょう」


 よっぽどというのは、領地同士で争いが起きているときのことだ。

 近領ほどそういった諍いが起きやすく、険悪になると敵方の証文を持つ者を領内に入れないようにすることがある。


「証文、助かります」

「アル兄。手紙を下さい」

「いいですよ」


 旅の経過やどこで何をしているのか、知りたいのだろう。

 そう思ったが違った。


「結婚式の招待状を送るので」

「……ああ、そっちですか」

「あれ。なんだと思ったんですか」


「いえ、なんでもありません。どこかの町に滞留することがあれば、そのときは手紙を書きましょう」

「楽しみにしてます。あと、あの方にもきちんとご報告なさったほうがいいですよ。まだドラスト家の当主が変わったことは、王都まで届いていないでしょうが、陛下はアル兄の口から直接聞きたいはずです」

「心に留めておきます」


 王都は旅路に含んでいなかったが、ケインにこう釘を刺されてしまっては寄らざるを得ないだろう。


「旅は、半年ほどですか?」

「どうでしょう。決めてません。行きたいところに行き、見たいものを見て、食べたいものを食べて……そんなあてもない旅ですから」


 今度こそ会話が終わったことを感じて、「それじゃあ、また」と私は踵を返す。

 開けた扉の向こうには、私の荷物を持ってくれていた執事がおり、お礼を一言伝えてそれを受け取った。


「アル兄!」

「なんですか?」


 呼ばれて首だけで振り返った。


「旅が終わったあと、ドラスト家にもう戻らないのであれば、ククリシュラ家に来てください。じきに当主となる俺の右腕になってください」


 思った以上に真剣な口調だったので、私はからかいの意味も込めてふっと笑った。


「乗っ取るかもしれませんよ?」

「アル兄はそんなことしませんよ」


 即答。ほんの冗談だったのに真面目に返されてしまった。


「……考えておきましょう。それはそれで、楽しいかもしれませんし」


「あ! 陛下が同じことを言っても、先約は俺ですからね!?」


「はいはい」


 後ろに向けて手を振って、廊下を歩き出す。

 窓の外では、私を見送ろうというククリシュラ家の人たちが見えたので、窓を開けて解散するように言った。

 大ホールを抜けて外へ出ようかというとき、私を待っていたククリシュラ伯爵と軽く挨拶を交わす。


「多くはないが、持っていってくれたまえ」


 上等な革財布を渡され、中を覗くと金貨五枚と銀貨が一〇枚入っていた。


「伯爵様、これは」

「何も言うな。今までドラスト伯爵の世話になった礼である」

「私はもう伯爵ではありませんよ」

「細かいことはよい」


 私の両肩をがっしりと掴んで、ククリシュラ伯爵は慈悲深い目をする。


「気をつけるのだぞ」

「はい。お気遣いありがとうございます」


 寝食に三か月は困らないであろうお金だった。もっと渡すこともできただろうが、あれ以上は私の性格上受け取りを拒否すると思ったのだろう。


 ククリシュラ伯爵に見送られ私は屋敷をあとにした。

 リオンが肩に停まり、また次の旅路を歩き出す。

 振り返ると、屋敷の中からケインと使用人の彼女が私に手を振っていた。微笑ましい光景に笑みがふっとこぼれ、私は小さく手を振り返した。

 親切にしてくれたあの親子に、私は何か返せるだろうか。

 そう思いながら、ククリシュラ領を発つのであった。



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