第6話ドラスト家のその後

「俺のやり方に不満があるなら辞めろ! 今すぐやめろ! お前の変わりなどいくらでもいるんだからなッ」


 激高したベッケンは、領主の執務室で言い放った。

 言われた側――執事長を長年務めていた初老のロクは、新しい主の放言に微動だにしなかった。


「では、そのように」


 まるで夕飯の食べたいものを聞き入れたかのように、楚々と腰を折って部屋を出ていってしまう。


「あ、あれ……?」


 おかしいな、とベッケンは首をかしげる。


 こういった場合、クビを怖がり下手に出るはずが、反論することも懇願することもなく、あっさりとした反応だった。


 沸点を超えた怒りも急速に冷めて、ベッケンは座り心地のいい椅子に腰を落ち着ける。

 ああなったのは、執事長のロクに家人の減給を大反対されたからだ。


 ベッケンは常々思っていた。

 下働きの連中になぜこれほど高給を取らせる必要があるのか。

 ベッケンなりに考えてみると、すぐ思い至った。答えは単純で、アルベールが無能だからである。

 着手したのは家人の三〇%の減給。使用人も庭師も料理人も兵士も、一律に。


「まったく。頭の固いジジイはとっとと辞めさせるに限るな」


 今回の件は、屋敷内に広く周知されている。

 どのみち、ここでしか仕事がないような連中である。泣いてすがってくるに違いない。数人が去ったとしても、変わりを雇えばすぐに穴は埋まるだろう。

 どれだけアルベールが無能なのか確認してやろうと、領地の財務諸表を探すことにした。

 だが、あるはずのそれは中々見つからない。


「ロク! おい、ロクはいるか!」


 アルベールの相談役でもあったロクを再び呼びつけようとするが、いつまで経っても彼はやってこない。

 アルベールが彼を呼ぶと、一〇秒足らずで顔を見せるはずだが。


「ベッケン様、お時間よろしいでしょうか」


 ロクの声が扉の向こうから聞こえ、ようやく来たのか、とベッケンは不満げなため息を漏らす。


「とっとと入って来い。待っていたのだぞ」

「失礼いたします」

「俺を待たせるとは、そなたもずいぶん偉くなったものだな」


 嫌みを言うと、まるで取り合わないロクは、手に紙束を持っていた。


「ご用件は存じませんが、わたくしが家人を代表し、これを提出したく参りました」

「うん?」


 そっとロクが紙束を置くと、そこには辞表と書かれていた。


「辞表……?」


 まだ事態が呑み込めていない勘の悪いベッケンに、ロクは言った。


「減給はもちろん不満でしたし、変わりはいくらでもいるとのことでしたので、さして困ることもないでしょう」

「辞めるのか」

「はい。全員」


「全員!?」


「我ら家人は、ドラスト家に仕えていたのではなく、アルベール様にお仕えしていた者たちです。あの方がいないのであれば、ここにいる意味もございません。新しい領主様にとって、我らは邪魔なようですし、アルベール様が去ってから、みな、準備をしておりました」


 そして、先ほどの放言が引き金となったのだ。

 ベッケンが辞表を一枚一枚確認していく。


「ぐぬう……」


 あとで好き放題可愛がってやろうと思っていた数人のメイドたちも、一級品の腕前を持つ料理人も、外出時頼りになる護衛の警備兵も、例外はいなかった。


 数は約二〇人ほど。


 ベッケンは意外だった。全員でたったこれだけ。

 そうであれば、二〇人前後の人員の穴埋めは簡単にできるはず。


 ベッケンは、叔父が領主の頃、この屋敷に二〇〇人務めていたことを知らない。そんな広さを持つ屋敷なのに、全員で二〇人と聞いて、違和感を持たなかったのである。


「いいだろう。やる気のない者に務めてもらいたくはない。早々に出ていくがよい」


 不遜に言い放つと、了承を得たロクは静かに一礼してまた部屋を出ていった。


「使えんやつらめ」


 ロクが言っていたように、元々そのつもりだった家人たちは、半日足らずで全員が屋敷を出ていった。

 苛立ちながら、アルベールが残した書類を見つけたが、見方がわからない。項目の意味もぼんやりとしかわからず、答えを持っているアルベールもロクももういない。


「重要なことであろうッ! こういうことはッ! なぜ去る前に引き継ぎをしようと思わんのだッ!」


 追い出したのは自分であることを棚に上げ、人のせいにして不満を吐き出すベッケン。


「食事は!?」


 部屋から顔を出し、叫んでみても誰も答えない。


「ぐぬぬぬ……」


 地団太を踏んで屋敷の中を確認して回るが、本当に誰もいない。

 そして、辞めた家人の人数とこの屋敷がつりあわないことにようやく疑問を持った。


「こんなに広い屋敷なのに、なぜたった二〇人なのだ……?」


 普通に考えれば、警備だけで二〇人は軽く超す。


「ま、まさかな……」


 アルベール……孤児野郎にそんな人望や能力があるはずがない。

 超がつく精鋭が、あんな奴を慕うはずがない。

 だが、そうでなければ辻褄が合わない。


「フン。辞めたことの奴などどうでもよいわ。新しく雇わねば」


 隠居している両親を頼り、それなら、と親のコネで家人を一〇〇人ほど集めてもらった。

 これで一安心。


 ……そう思われたが、人手不足で屋敷の管理がまるでできない。


 庭の芝は不規則に伸び散らかり、屋敷の隅には埃が溜まり、手入れが行き届いていた屋敷は、次第にみすぼらしくなっていった。

 半分は警備兵を雇ったのだが、気づけば人数が減っており、家財の一部と一緒に姿を消していた。

 執事もメイドも、呼んでも来ず、楽しみにしていた食事の質も悪い。


「なぜ出来んのだ!?」


 叱責すると、みなが口を揃えて言った。


「この給料では、限界があります」と。


 支払っているのは、減給する前のロクたちと同じ額だった。

 舌打ち、貧乏ゆすり、募る苛立ちはベッケンの表情をますますしかめっ面にさせた。

 極めつけは度々訪れる領民たちのことだった。


「領主様ぁ。橋がボロくなって不安定なんですよ。補修工事を頼みたいんですがねえ」

「不満があるなら、自分でどうにかせよ!」


 自分も同じことが言えるのだが、ベッケンはまるで取り合わない。

 またある日は、農夫がやってきた。


「畑にイノシシがやってきちまって、困ってるんですよ」

「そのようなことを、なぜ領主である俺に言う!?」

「アルベール様んときは、一緒に対策を考えたりしてくれたんですよ」

「やかましいッ。俺をあんな無能と同じにするな!」


 似たようなことが何度か続き、ベッケンは領民の意見陳情の対応はしなくなった。

 やがて、領民たちはひそひそと話すようになっていった。


「アルベール様が、オイラたちから搾り取った税金で贅沢してるってのは、本当だったんだろうか」

「名前書けって強引に脅されて紙に名前書いたが、もしかしてアレのせいか……?」

「アル様が贅沢してるところ、見たやついんのかい」

「ベッケン様に変わってから、屋敷の優秀な執事たちはみんなすぐに辞めていったってよ」


 悪を滅ぼし暮らしを今以上に向上させるとしたベッケンだったが、早々にメッキが剥がれていた。

 一方屋敷では、ベッケンはずっとイライラしていた。


「クソクソクソ。無能どもめ。俺の足を引っ張るのがそんなに楽しいかッ」


 新任の執事は、この悪態にもう慣れたのか宥めるようなことはもうしなくなっていた。


「ベッケン様、盗人を警備が捕らえたそうですが、いかがなさいますか」

「なんでもかんでも俺に聞いてくるなッ! 少しは自分で判断できんのか!?」

「以前はアルベール様がすべてお一人でなさっていたと聞きますが」


 アルベール、アルベール、アルベール……。

 口を開けばみんながアルベールと呼ぶ。


「前領主は、民の意見陳情に耳を貸し、超精鋭の家人が慕うような人望があり、法と税を整備し民の暮らしの満足度を大きく向上させたと余所の領地では周知されております。あのようなお方は、一〇〇年に一人でございましょうな」




「黙れぇぇぇぇええ! チクショォォォォッ!」




「領主というのは、非常に多忙を極めるものでございます。葡萄酒を片手に昼間から女性を侍らせイイコトをするのは、王族とその血を継ぐ大貴族くらいのものでしょう。決して豊かではないこの領地で、そういった生活はさすがに高望みというものでございます」


 執事は失笑し、暗に『おまえの考えは甘い』と痛烈に非難した。




「うるせぇぇぇぇええッッッ! わかってるわい、そんなことォォッ!」




「わかってないからそんなにイラついているのでは」


 ボソりと言うと、ギン、とベッケンから鋭く睨まれた。


「辞めさせたいのであれば、どうぞご自由に。いくらでも従います」

「ぐぬぬぬぬぉぉぉ……!」


 何もかも上手くいかないベッケンは、それから彼なりにではあるが奮闘した。

 結果、財政は悪化し民は貧しくなり代々暮らした地を去っていき税収は激減。


 なぜこんなに上手くいかないのか……。というか、何ひとつ上手くいかない。

 悩みに悩んだそのダメージは頭皮に集まり、生え際を大きく後退させ、ため息の数以上に毛根が死んでいった。


 二七歳だというのに、晩餐会では五〇代に間違われ嘲笑の対象となった。




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