第5話コイバナ相談



「友人が、一度フラれている女性に再度交際を申し出ようとしているのです」


 私は蒸し鶏をつまみながら葡萄酒をちびりと口にする。

 庶民価格の食堂は、夜になると酒場に変わり、宵の時間は酔客で大いににぎわっていた。


 カウンター席に一人でいた女性の隣に失礼した私は、今朝聞かされたケインの恋愛話を彼女に聞いてもらっていた。


「それはそれは、情熱的な方もいらっしゃるのですね」


 口元を隠してくすっと笑った。

 特別美人というわけではないが、隣にいれば安心できそうな雰囲気を持つ女性だった。


「知り合ってからもう八年でしょうか……奥手な彼がそんなことを言ったのははじめてだったので反対はしませんでした。それほど、その女性を好いているようでした」

「うらやましいです」

「失礼ながら、あなたは、そういった方はいらっしゃらないので?」


 彼女は、うーんと迷うような反応を見せると、間を繋ぐように杯に唇をつける。


「いなくはないですよ。ただ、私とはつりあわない方ですから」

「諦めていると」

「ええ。そのほうが、たぶんお互いにとっていいんじゃないかなと思っているんです。私ももう二二で、いい大人です。気持ちだけで突っ走れるような子供ではないので」


 苦笑する彼女は、年齢よりも幼く見える。


「今の仕事を辞めて、両親の元で暮らそうか迷っているんです」


 旅人のアルと名乗った私に、彼女は私的な悩みを打ち明けた。

 この地からすぐに離れる旅人だから、逆に話しやすいのかもしれない。


「一人娘の私のことが、両親はどうやら心配みたいで」

「それも選択肢のひとつでしょう」


 口でそう言っておきながら、ケインにとって不利な情報を掴んでしまったことに、私は内心ため息をついた。

 使用人が屋敷の仕事を辞めることは別段珍しくともなんともない。


「……迷っている原因は、その彼のことですか?」


 照れ隠しなのか、彼女は杯で口元を隠した。


 この様子なら、まだ芽はある――。


 私がこの食堂にやってきたのは偶然ではない。


 ケインから、その意中の彼女は休日にここで飲食することを教えてもらっていた。

 私が身分や名前を誤魔化し、彼女がケインのことをどう思っているのか聞き出そうという作戦だった。


「私のせいで、あの人が誰かに嘲笑われたり陰口を叩かれたりして辛い思いをするかもしれません」


 この子は、ケインのことをなんとも思っていないわけではない。

 身分の差ゆえ、思いを受け入れたときにケインに起きるであろう事態を懸念しているのだ。

 なんと言っていいものか束の間考え、私は口を開いた。


「人と人の出会いというのは、偶然であることが大半で、狙ってできるようなものではありません。運命的だとか必然だったなどというのは、振り返ってはじめてわかることです。つまり、人は結果でしか出会いの良し悪しを判断できないのです」


 そうかもしれませんね、と彼女はぽつりとつぶやいた。


「迷うほどの大きな選択肢であれば、勇気が必要なものを選んだほうが後悔が少なくて済みますよ」


 私が言えるのはここまで。

 背を押したつもりだが、選択するのは彼女自身だ。

 私はカウンターの内側で忙しくしている店主に二人分のお会計をしてもらい、経費としてケインからもらった銀貨で支払った。


「私の分まで?」

「色々話せて楽しかったです。そのお礼です」

「もう行ってしまうのですか?」

「ええ。素敵な夜をありがとうございました」

「こちらこそ」


 店を出ていくと、わざわざ店先まで彼女が見送りに来てくれた。

 何か言いたげな彼女に私は言った。


「貴族と使用人の関係は抜きで、貴方がケイン・ククリシュラをどう思っているのかだけで、彼に聞かせてあげてください」


 驚くかと思ったが、そういった素振りは見せなかった。


「ありがとうございます。アルベール様」


 なるほど。

 わかった上で私と会話してくれていたのか。


「わかったのなら、そうだと言ってくれれば良かったものを」

「お互い様です。途中からもしかすると、と」


 にこりと彼女は人の良い笑みを浮かべた。


「つまらない話を聞いてくださって、ありがとうございました」

「そんなことありませんよ。……ケインが、もう一度貴方に思いを伝えます」

「……はい」

「煩わしいと思えば、断ってもいいのです」


 彼女は店先で正式なお辞儀をした。

 屋敷でよく使用人がやるような、正しい敬意の表し方だった。

 私は会釈を返して、歩き出す。

 どこかで私を待っていたリオンが音もなく飛んでくると定位置に止まった。


「どうなるでしょうね」

「むっむぅ」


 くり、くり、とリオンは首を左右に傾けた。

 ひとまず、今夜はククリシュラの屋敷に泊めてもらえるそうなので、宿と朝食の心配はせずに済む。


 まずは、眠る前にさっきのことをケインに報告しよう。

 体を休めるせっかくの機会だが、寝かせてもらえるだろうか。

 屋敷に帰ってきた彼女に、勢いそのままに再告白するかもしれない。


「身分の違いだけが二人の邪魔をしているのなら、勢いでもなんでもいいのかもしれませんが」

「むー」


 リオンが翼で自分を抱くような仕草をする。


「恋は、理性でするものではありませんからね。きっかけさえあれば、とんとん拍子で進むでしょう」


 酔い覚ましにはちょうどよかったので、私はゆっくりと坂の上にある屋敷を目指して歩いた。

 ふと、ケインから、帰りは馬車で屋敷まで送ると言われたことを思い出す。


「御者には、申し訳ないことをしてしまいました」

「むー」


 ふわっと私の肩を離れたリオンが、どこかへ飛び去っていった。

 ククリシュラ家の馬車にフクロウが止まったと知ったのは、屋敷に到着してからだ。なんとなく意図は伝わったらしく、御者は無駄足を踏まずに済んだそうだ。

 まったく、フクロウにしておくにはもったいない鳥である。

 そして、案の定私はケインに質問責めされ、一から十まで説明させられることになった。


「アル兄……彼女は俺を受け入れてくれるでしょうか」

「嫌なら断ってもいい、と言っておきましたよ」


「なんてことを!?」

「主人から半強制的に従わされる彼女が見たいと?」

「そういうわけでは……」


 あぁぁぁ、とケインは頭を抱えていた。

 本当に嫌なら彼女はあんなに悩まないのだが、それがわからなくなるほど心配や不安が上回っているらしい。


 ふと窓の外に目をやると、帰ってくる女性の姿があった。

 そしてしばらくすると、部屋がノックされた。


「ケイン様。トーリです」

「っ……」


 ケインを窺うと、緊張で押しつぶされそうな顔をしていた。例の彼女がやってきたようだ。

 邪魔な私は、お暇することにしよう。

 バルコニーを伝えば、用意してもらった客室に戻れるはずだ。

 私が席を立とうとすると、ケインが袖を掴む。


「アル兄、いてください」

「嫌です。……彼女のほうがよっぽど勇気がある」


 手を払って私は静かに窓を開けて外に出る。


「は、入って構わない。どっ、どうぞ……」

「失礼いたします」

「お、お、遅くにどうした?」


「夜分に申し訳ありません。先日のお話ですが……ケイン様のお気持ちが変わっていないようでしたら…………その……」

「い、いいのか……?」


 声は聞こえなかったが、イエスの意思表示したようだった。

 立ち聞きするつもりはなかったが、私も事の顛末は気になる。

 私の下に帰ってきたリオンも静かに耳を傾けているようだった。


「と、トーリ」

「はい」

「……辛いこともどんな困難からも、君を生涯守ることを誓う。交際などとぬるいことは言わない。――俺の妻となってほしい」

「はい」


 ほう、と胸を撫でおろすと、はふはふ、とリオンが興奮していた。


「むむむ、むむぅ!」

「こら。静かになさい」


 立ち聞きがバレるとまずいので、そそくさと私は立ち去った。

 似たもの同士で相手のことを思いやりすぎて、互いに一歩踏み出せなかっただけなのだ。

 私が手を貸さずとも、いずれ結ばれる二人だったのではないだろうか。

 まったく、今夜はよく眠れそうである。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る