第4話弟分のケイン


 半獣の子供にもらったタダ券を使い、希望よりもランクが高い宿で一泊した。ベッドは柔らかくて清潔で、床に寝ころぶつもりだった私にとっては非常にありがたかった。


 宿が大通りに面しているため、今朝は市場の活気で目が覚めた。

 裏手にあった井戸水で顔を洗い、部屋に戻って出立の支度を整えていると「サービスです。よかったらどうぞ」とやってきた宿屋の主人にパンをいただく。


 起きたときから小麦の良い香りがしていたが、その発生源はどうやらこの焼き立てのパンだったらしい。

 腹を空かしていたリオンが、興奮したように翼をばたつかせた。


「いいのですか?」と私が訊くと、主人は小さく笑って首を縦に振った。

「フクロウを連れている品の良い方っていやぁ、このあたりではあの方しかいませんから」


 私が誰かわかっていたようだ。


「私のことで、何か耳にしましたか?」


 ちぎったパンをリオンに与えると、クチバシでつつきはじめた。


「噂程度なら」

「それは、一体どういう?」

「領民から巻き上げた金で豪遊してるとかなんとかって……」


 この町ではそんなふうに伝わっていたのか。

 困惑しながら誤魔化すように笑っていると、主人はなんでもないように、にかっと笑った。


「タダ券使ってぼちぼちの宿に泊まるような方だ。豪遊なんて信じちゃいませんよ。噂が本当なら、もっと良い宿に泊まるでしょうし」

「この店は、十分良い宿ですよ」

「ありがとうございます」

「ところで、私を訪ねてきた者はいませんか?」


 もしかすると、私の動向を探るためベッケンが追っ手を放ったかもしれない。


「一人だけ。ククリシュラの一番上の坊ちゃんです」

「ああ。ケインですか」


 残ったパンを口に運びながら、ケインの風貌を思い浮かべる。

 ケインは、この領地を治めるククリシュラ伯爵家の長男で、たしか二五歳だったはず。


 なぜか彼とはウマが合い、領地が隣同士という縁もあって、顔を合わせれば公務や私生活のことなど話し込んでいた。

 晩餐会で会うことが多かったので、私とばかりしゃべっているケインに不満があった父のククリシュラ伯爵は、何をしに来たのか、とケインに苦言を呈すほどだった。


「昨日坊ちゃんが、明日迎えに来るとかなんとかって」


 すなわち今日だ。

 外から馬蹄が聞こえてくると、宿の表のほうで止まった。


「アル兄――! いつまで眠っているのですか!」


 間違いなくケインの声で「いらっしゃいましたよ」と気づいた主人が笑った。

 ドラフト家のお家騒動はまだこの町に届いてないのだろうか。

 窓から顔を出すと、ケインと目が合った。


「起きていらしたのですか」


 ケインは朝日のように輝かしい笑顔を浮かべて、私に手を振った。

 眩しいくらいの金髪は短く、今日の空のように青い瞳はしっかりと私を捉えている。


「アル兄、水くさいですよ! キューレルにお越しなら、我が家を訪れてくれればよいものを」

「人通りが多い往来でアル兄と呼ぶのはやめてください」

「なぜですか」


 心底わからん、と言いたげにケインは眉根を寄せた。


「静かにして待っていなさい。すぐに下りますから」

「はい!」


 ケインは、ククリシュラ家を継ぐ人物で、いずれはお隣同士協力して領地を豊かにしよう、などと青い理想を語ったこともあった。

 身支度を整えて上着を羽織ると、出入口まで主人が見送ってくれた。


「もうお越しになることはないかもしれませんが、機会があれば、どうぞいらしてください」

「パンのご恩は忘れません。またいつか顔を出します。美味しかったです」

「お口に合ったようで何よりです」


 いってきます、と私は宿屋をあとにする。

 ケインは自分が乗ってきたのとは別にもう一頭馬を連れてきていた。


「私の顔を見るためにこんな朝早くやってきたのですか?」

「……連れはリオンだけですか?」


 ようやく異変に気づいたケインは、周囲を見回して表情を曇らせる。この様子からして、お家騒動はまだ伝わってないようだ。


「ククリシュラ領とはいえ、きちんと供をつけてください。アルルハイル王国の至宝にもし何かあれば事です」

「至宝だなんて大げさな。そんなふうに言っているのは、貴方とあの方くらいでしょう」


「そんなことありません。仕事熱心なのもいいですが、ご自分の立場も十分にご理解してください」

 私は、身分を伏せて町にふらりとやってきて視察することが何度もあった。自領でも他領でも。ケインは、今回もその一環だと思っているらしい。

「ここではなんなので、人目のないところへ行きましょう」


 私が提案すると、ケインは二つ返事をした。

 そのつもりで馬を一頭別に連れてきていたのだろう。

 私が乗馬すると先導するようにケインが馬を駆けさせ、町外れまでやってきてようやく足を止めた。

 馬から降りて、私たちは手綱を近くの木に繋いだ。


「馬術が上手になりましたね、ケイン」

「本当ですか?」

「ええ。後ろから見ていて、安定感がありました」

「遠乗りするときは、アル兄に追いつけずいつも迷惑ばかりかけてましたけど、もうそんなことはないはずです」


「それで、世間話するために朝早くやってきたのですか?」

「そうしないと、アル兄は、また知らないうちにどこかへ行ってしまうので」


 実際そのつもりだったので、彼の予想は当たっている。


「アル兄に、聞いてほしいことがあるんです」


 頬をかきながら、ケインは目をそらす。


「好きな女性ができました」

「おぉ、それはそれは。おめでとうございます」


 人のことは言えないが、ケインの年頃であれば、妻の二人や三人いてもまったくおかしくない。慎重といえば聞こえはいいが、こう見えてケインはかなり奥手だ。たくさんお見合いをしてきたそうだが、ピンとくる女性はいなかったという。


「どこの家の方ですか?」


 言ったあと、私は、質問を間違えたことに気づいた。

 貴族同士であれば、人けのない場所でわざわざ改まって報告する必要はないのだ。


「彼女は、ククリシュラの屋敷で働いている使用人で、平民なのです」


 かなり雑にくくると、職場恋愛ということだろう。

 よくあることだが、ここで問題なのは思いを寄せる彼女が一人目ということだ。


 貴族は、世間体を何よりも大切にする。

 数多あった見合い話を断って、ケインが選びに選んだ娘が平民となると、断られた家はどう思うだろうか。それに、跡目を継ぐ長男の正妻が平民の出となると、後ろ指をさす貴族もいるだろう。


「覚悟があれば、まったくもって問題ないのではないですか」


 私の言葉に、ケインの不安げな表情が一気に晴れた。


「ククリシュラ家は、じきにあなたが継ぐことになる。誰に何を言われようともあなたの裁量で彼女を守ってさしあげればいい」

「アル兄……! そう言ってくれると思っていました!」


 興奮気味にケインは私の手をぐっと握ってぶんぶんと振った。


「思いを打ち明けて一度フラれているのですが、勇気が出ました」

「ふら、フラれている?」


 目を丸くする私をよそに、ケインは何事もなかったかのようにうなずいた。



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