第9話ククルの覚悟
歩いて五分ほどに位置する質素な家は、周囲には畑がいくつも見え、風に乗って時折家畜のにおいが漂ってくる。
周囲は非常に牧歌的な景色が広がっており、私からすると和むのだが、ククルはそうではないらしい。
私はリビングに通され、使い古された椅子に座った。
これまた古いテーブルの向かいに母親が腰かけ、意地でも同席しないつもりのククルは、つまらなそうに窓から外を眺めている。
「お金持ちの方をお連れするには、失礼な家かもしれませんが」
「とんでもない。お金持ちでもなんでもないただの旅の者ですので、お気になさらないでください。……ククルはどうして出ていこうと? 私には、強くなりたいと言っていましたが」
母親は苦笑して、ククルを一瞥した。
「強ければ、お金が稼げるのだとどこかで聞きつけたみたいで」
非常に大雑把な話だが、間違ってはいない。
「私の屋敷……いえ。腕の立つ者にそれなりの給料を支払って警備や護衛をしてもらう商人や貴族はたくさんいます。危険は伴いますが、稼げるというのもあながち間違いではありません」
縁がありよっぽど気に入られば、貴族が騎士相当の扱いで迎え入れてくれることもあるので、武芸達者であれば仕事に困ることはない。
「今でも、贅沢しなければそれなり暮らせていますから、危険な仕事なんてしなくてもいいと私は言っているのですが」
「嘘つけ。暮らせてないじゃん」
ククルは不貞腐れたような顔でぼそっとつぶやくと、家を出ていった。
困ったように笑う母親は、詳しく事情を話してくれた。
「私のネックレスをあの子が買い戻してくれたときに、お金はどうしたのかと問いただしました」
もっともな疑問だろう。
暮らし向きから考えると、あのお金があれば三か月は何もしないで楽に暮らせたはずだ。
「町で仕事してお金を貯めたのだと言っていましたけど、何をしたのかまで教えてくれませんでした」
亜人種に対して差別感情が残るあの町で、半獣の子が出来る仕事は限られている。思いつく限りだと、ドブ掃除やゴミ処理くらいだろう。
純粋な人族よりも鼻が利く分辛かったはずだ。
何をしたか、みなまで母親に説明しなかったのは、心配をかけまいとする男子特有の意地があったのだと思う。
「後ろめたいことではないはずです。きっと」
「そうならいいのですが」
ククルが外でリオンと遊んでいるのが窓から見える。私は踏み込んだ質問をした。
「失礼ですが、ご主人はどちらに……?」
一拍置いて、彼女は訥々と語りはじめた。
「あの子の父親は、出ていってしまって、もう五年も帰ってきていないんです。以来、私と二人で暮らしています。……私は本当の母親ではなく、あの子は夫の連れ子なのです」
「そうでしたか。正直なところ今の生活はいかがですか?」
彼女は力なく首を振った。ククルの手前、問題ないふうに装っていたが、実際は違うらしかった。
「本当の両親もおらず、継母の私との貧しい二人暮らしは、あの子にとって窮屈で息苦しいものなのかもしれません」
私は、ククルの言動に卑屈さは感じなかった。
気に病んでいるのは、むしろ母親のほうなのではないだろうか。
「ククルは、強くなるためについてこようとしています。私に同行してその願いが叶うとは到底思いませんが、ともかく、彼の目的ははっきりしています。母親として、どうしてあげたいですか?」
人の親になったことのない私に、彼女の気持ちを推し量るすべはなく、ただ真っ直ぐに思ったことを訊くことしかできなかった。
「あの子が、私と離れたいのであれば、止めません」
うつむきがちの母親の顔からは心情が上手く読めない。
「ひもじい毎日でやることは畑仕事。一一歳になったあの子には、退屈でしょうし、血の繋がらない母親の言うことなんて、聞きたくもないでしょう」
「いえ、そんなことはないと思いますが」
と口にしたが、彼女に届いたとは思えない。
「家を出たいと言ったのは、あれがはじめてじゃないんです。アルベールさんと知り合ったから言い出しているわけではなく……」
「突発的なものではなかった、と」
「はい。これまで何度もあったんです。その度に、仕事だなんだと言って、はぐらかして話を聞かないようにしていました」
「こういった言い方は良くないかもしれませんが、ククルがいなくなったほうが、あなたも自由になれるのではないですか?」
ククルと母親に血の繋がりはない。逃げた父親に子供の世話を押し付けられたと感じていても不思議ではない。
「最初はそう思っていました」
最初は、か。
「父親がいなくなり、どうして私が、と思わない日はありませんでしたが……それを上回るくらい、あの子はいい子だったんです」
それに関して、深く同意した。
「私もそう思います」
不義理を働く父親とは正反対だった。
「どうして出ていくのを止めないのですか?」
去ろうとしているククルは、彼女のことを慕っていないわけではない。彼女もまた、毛嫌いしているようには見ない。
「あの子は、一人で出ていくつもりだったので心配でした。危険もあるでしょうし。……けど、一緒にいてくださるのがアルベールさんであれば、安心です」
思いがけず保護者が了承してしまった。
そんなふうに言われると、同行を拒否しづらくなる。
「私のことを信用しすぎではないですか?」
「あの町で半獣の子供を助ける人は、そうはいません。それだけでは、理由になりませんか?」
私は内心困っていた。
ククルは、私でなければならない理由はないだろうから、また別の誰かを見つけて同じことをするだろう。その人が善人ならいいが……。
「彼にも聞いてみます」
私は一言断って、外にいるククルの元へ向かった。
「どうしてそんなに家を出たがるのですか?」
「何回も言ってるじゃん。強くなるためだよ」
ククルは憮然とした顔で、私のほうは見ない。
「鍛錬くらいどこでもできます。畑仕事だって、立派な鍛錬のひとつです」
「そうやって半獣に教えてくれたのは、アルベールがはじめてだよ」
「……」
さりげなく着地点をズラそうとしたが、失敗だった。
「そんなことですら、普通のヒトは僕に教えてくれないもん」
ここの地域柄も大いにあるだろう。場所によっては、気さくに接してくれる地域もあるのだが。
「お母様と離れることになりますよ?」
「うん。いいよ」
「当分会えません。もう戻ってこないかもしれません」
「何年も帰ってこられないなら、そのほうが絶対いいよ」
……私は、この子を子供扱いしていた。
私をまっすぐ見つめる目は腹をくくった男の目をしていた。
一一歳は、案外大人なのだ。
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