第12話犬語に理解がある



 宿泊することにした安宿の部屋からは港が見え、そこには何隻もの大型貨物船が停泊している。

 ランタンの明かりの下で、荷下ろしの人夫が重そうな荷物を倉庫へ運んでいた。

 遠くを見れば、水平線に漁火がぽつぽつと浮かんでおり、暗闇をぼんやりと照らしていた。


 食堂で満腹になったククルは、部屋に入るなりひとつしかないベッドに倒れ込むようにして眠ってしまった。

 ここまで働きに来ていた彼には、町の景色など別段珍しくともなんともないのだろうが、普段領地を離れることが少ない私にとっては、風景も町の営みも静かな刺激があった。


 テーブルの皿の上にはリオンの餌である生肉を一片置いており、ときどきリオンがツンツンとやっている。

 帰りに買った葡萄酒を杯に注いで、口の中で転がしながらゆっくりと味わう。


「海を見たのは久しぶりだな」


 ぽつりと独り言をこぼした。

 リオンも珍しく思っているのか、私の話を聞きながら窓の外をじいっと見つめている。その頭をくすぐるように撫でて、滑らかな翼を触った。


 珍しい景色を眺めながら、渋みのあるお酒を味わい、ペットを手慰みに撫でて癒される――。

 追い出された身にしては、ずいぶん贅沢な時間を過ごしている。

 夜がゆっくり更けていくのが――何もしないで時間が過ぎていくというのが心地いい。


 思えば、数日完全に休むことなどここ何年もなく、忙しい毎日だった。


 私のあとを引き継いだベッケンは、それに耐えられるだろうか。いや、私の手際が悪かっただけで、もしかするともっと上手くできるのかもしれない。

 ベッケンにそれができるとは思えない。領民に迷惑がかからなければいいが。


「悪徳領主に心配される筋合いはない、か」


 苦笑して残りのお酒を煽って飲み干す。


 気になったことがあったのか、リオンが音もなく窓の外に飛び立った。


 また戻ってくるだろうと窓を開けたままにして、私も眠ることにした。上着と靴を脱ぎ、ククルの隣にお邪魔する。


 酔客の笑い声やしゃべり声がときどき聞こえてくる。


 屋敷の自室との違いがとても新鮮で、耳を傾けているうちにいつの間にか寝てしまっていた。







「アルベール、朝だよ、朝」


 声と体を揺らされて私は目を覚ました。

 視界にはククルの顔が飛び込んできて、窓の外を指さしている。


「海産物の朝市やってるみたい」

「朝市、ですか」


 目をこすりながら私は体を起こす。思いのほか深い眠りだったらしい。さっきベッドに入ったばかりだと思ったが、もう何時間も経っていたようだ。

 窓から入り込む朝日に目を細め、陶製の水差しから入れた水を一杯飲む。


「ほらほら。もう人がいっぱい」


 頭を窓の外に出して確認したククルが、はしゃぐように言った。


「海産物の朝市ですか。面白そうですね」


 ふりん、ふりん、とゆっくりとククルの尻尾が揺れている。

 私は簡単に身支度を整えて、宿を出た。


 窓の外の通りはすぐそこで、私のように朝市を目当てにしている観光客らしき人たちもいれば、普段の買い物としてやってきてそうな地元のお客さんもいる。

 強い磯の香りが活気とともに伝わってくる。

 獲れたての新鮮な魚や貝にタコ、イカ、様々な海産物が店先に並べられていた。


「ね、ね、アルベール、あれ買おうよ」


 袖をちょんちょん、と引っ張るので何かと思えば、ククルは屋台の貝のバター焼きを指さしていた。

 さっきから香ばしいにおいがすると思ったら、その正体はあれのようだ。


「いいでしょう」


 朝食をまだ食べておらず、あのにおいにはさすがに勝てなかった。

 二人分買って、私が座る場所を探そうとしていると、


「こういうのはさ、歩きながら食べるんだよ」


 ご指南いただき、ククルが歩きながらぺろりと食べるのに続き、私も一口で食べた。

 貝自身の甘みとバターの塩っけがちょうどよく、とても美味しい。

 買って正解だった。


 朝市の通りを抜けて閑散としてくると、一軒の家の前で、数人の大工たちが弱ったように顔を見合わせていた。


「どうかしましたか?」


 私が尋ねると、代表者の大工が答えた。


「この家、区画を整理するっていうんで取り壊すことになったんですよ」


 たしかに年季が入っている家で人が住んでいるようには見えない。


「壊さなきゃならないんですがね」


 大工が敷地に一歩足を踏み入れると、すぐさま激しい犬の鳴き声が聞こえた。


「このありさまで、オレたちが仕事しようとするのを邪魔するんでさぁ。噛みつかれて怪我をした奴もいて、困ってるんです」


 私たちも近づき、そっと中を覗いてみると、茶色の中型犬が牙をむき出しにして唸っていた。前足で地面を踏ん張るようにして立ち、尻尾も耳もピンと立てっている。


「相当怒ってるね」

「……のようですね。ククル、彼の言葉はわかったりしませんか?」

「さすがにワンコの言葉はわかんないよ」

「ですよね」


 ダメ元で訊いてみると、思った通りの返答があり、私は小さく笑った。


「けど、なんとなくでいいなら、何言っているかわかるよ」

「え?」

「なんとなくだよ、なんとなく」



 それは、かなりすごいのでは……。



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