29,英雄×幸三×学と音羽【一ツ橋学】
登山道を駆け下りる。
先頭は耕治、僕は音羽の手を引いてその後をついていく。空から見たときには近く見えた休憩所は実際に走り降りるとそれなりに遠かった。額に浮かぶ汗をぬぐう。もう少しだ、と耕治が言う。道の横をみると、下の方に開けた場所が見えて、そこに僕の父さんと音羽の父さんと、藤谷さんがいた。
◇ ◇ ◇
休憩所について僕らの姿を確認した僕の父さんと音羽の父さんは体を預けていた手すりから体を起こし、こちらに向き直った。丁度休憩所のベンチを挟んで向かい合うような形になった。
「よく、もどってきてくれた、音羽」
「よかった、正気に戻ったんだな、学」
二人が泣き出しそうな声で僕らに言う。
近づいてくる二人に、しかし耕治が体を差し入れて近寄るのを防ぐ。怪訝な顔をする二人。遠くのベンチに腰かけていた京子さんが憎々し気な目でこちらを見つめ、そして声を上げる。
「あんたたち、一体何のために戻ってきたの!」
強く、音羽の手を握る。音羽も強く握り返してくる。
「今日は話をしに来ました」
いくぞ。
「まず、自分がこの町の家々を回って話を聞いているのは、父さんの手伝いではないということ。父さんのいうご機嫌取りのようなことをしているのではなく、純粋にこの町の話を知りたい、歴史資料としてまとめたいと思って、活動をしているということ。そのことを父さんにも音羽のお父さんもわかって欲しい。京子さんにも」
「そして、お父さん。お父さんが何と言おうと私は学くんが好きです。いくら反対されても、絶対にこの手を離しません」
「そして、今日はお願いがあります」
お父さんたちがなんだ?という怪訝な顔をする。
「僕たちは、父さんと音羽のお父さん、二人に話し合いをして欲しいと思っています。この町についてどう思っているか、この先どうしようと思っているのか。僕は、お二人の話を聞いていて思うのですが、方向性で対立することはあってもいがみ合う必要はないと思います。どうか、ここで、話し合いを行ってください」
この“お願い”自分自身を人質にとるやり方で卑怯だというのはわかっている。父さんと音羽のお父さん、憔悴してる様子が目にとれる。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。でも、今、この状況は絶好のタイミングだった。今この場を逃したらこういう場はもう取れない。だから、今やるしかないと思った。勝負を決めなければならない。
「父さんは、市長になって、何がしたかったの。ちゃんと話して」
父が、ぼそぼそと、話し出す。
「えっとな1次産業や2次産業を効率化、大規模化して人が移住しやすいように、また、この町から高校を卒業したら人が出ていってしまうのを防ぐことにもなる。産業がないからこの町から出ていって、人が出ていくから産業がなくなるという悪循環を防ぎたい。とにかく移住者を増やすこと、移住した人間が暮らしやすいことを優先的にしようと思っていた」
「それのどこがダメなの。お父さん」
音羽が自らの父に聞く。
「言ってること自体は間違ってはいない…。人口を増やすことが一番の課題で、それに対して移住者を増やすというのは必要なことだ。ただ、町には町のルールがあって、一番優先されるのは住んでる人間の意志だ。それに通さなければならない筋というものがある。それを無視して何かを始めるというのが、そもそもいかん」
「それはわかりますよ、どこにだってそういうものはある。だから、この5年間あちこちを回って挨拶もしたじゃないですか、でもどうにもならなかった、よそ者はずっとよそ者扱いだ、じゃあ、こういう風に、強引に市長になるようなことをしないとならなくなったんじゃないですか。あなたが、ずっと私たちをよそ者あつかいするから。住んでる人間の意志が一番大事といいますけど、じゃあ、移住してきた僕らはこの町に住んでる人間じゃないんですか?」
「私がよそ者かどうかを決めるんじゃない。この町の皆がお前らをよそ者と思ってる」
「お父さん、みんなって誰?」
「津村の爺さんは、僕をこの町の人間として認めてくれた。大船神社の紙屋さんも。もっと話し合ってお互いを知ろうとすれば、そういうことは関係なくなるよ」
「学……ああ、確かにお前のいう通りかもしれない。今回の選挙でこの村の多くの人と飲む機会があって、それで町の人とも大分と距離が近づいた気がする、自分がいかにこの町を知らなかったのかも思い知らされた」
「そんなことをいまさら…そんなこともわからず町長に立候補したのか、あんたは!」
「ですので、今回学んだじゃないですか、人生ってずっと学び続けて変わり続けるものでしょう」
「お父さん、父さんは変わらないの?他の人を変えて、自分だけ変わらないのはおかしいよ」
「音羽!お前は口をはさむな!」
「ううん、黙らない。お父さんも間違ってるし、学くんのお父さんも間違ってると思う、でも正しいところもあって、だから今、ちゃんと話し合ってっていってるの」
「父さんは、別に自分自身の利益や権力のために町長になろうとしているわけじゃないんでしょう。音羽のお父さんも、今話を聞いて、そういう方だと思いました。だから、二人で力を合わせることはできないんですか?この町のために」
「それは…」
「それは無理だ、子供だからお前たちにはわからないだろうが、一度決まってしまったことはもう覆すことはできん。覆水盆に返らずだ。一度選挙という形で敵対してしまった今、どちらかがどちらかを排除するしかない。あの、池の埋めたてだってそうだ。決まってしまったことは俺一人の意志ではどうにもできん」
その時、藤谷さんの携帯が鳴った。
「え?もしもし?お父さん?そんな、なんで……」
藤谷さんが当惑の声を上げる。スマホをおろして、力なくこちらをみる。
「お父さん、工事中止するって」
覆水が盆に返った。
「工事が止まった。同じように、お父さんの意志でどうにかすることができるんじゃないの?お父さんは本当はどうしたいの?本当はどうするのが正しいと思ってるの?」
「父さん」
僕の父さんが音羽のお父さんに向けて右手を差し出す。ゆっくりと。
音羽の父さんも、それに答えるように腕を上げる。
「ちょっとまってよ、なんで今更なのよ!私はちゃんとやってた、正しいことだと思ってちゃんとやってたのに、なんでそれなかったことにするの。音羽にも、みんなにも、私、酷いことして、それが間違ってましたってなによ!大人だったら、最後まで責任取ってよ!」
「京子ちゃん…」
藤谷さんが叫んだ。
「京子、間違ったっていいじゃねえか、みんな気にしねえって」
「いやだ!私は間違ってない!」
…とん………とん………とん
何かを叩くような小さな音が聞こえた。そして。
どん!
体が地面から浮き上がったと思ったら次は地面に叩きつけられた。2度、3度。必死で地面にしがみつく。地震だ。物凄い地震が起こっている。
どん! どん! どん! どん!
足元に巨大な地割れが走る。左手をつないでいる音羽が飲み込まれる。音羽が手を伸ばす。必死にその手を掴んだ。そして、それに引きずられて僕も地割れに飲み込まれる。
「学!」
「音羽!」
耕治と藤谷さんが必死で手を伸ばしてくれたけれども、僕の両手は音羽を抱きとめるのに精いっぱいで二人の手をつかむことができなかった。
そして、僕らは底の見えない奈落へと落下していった。
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