2,朝ご飯×シャケ×選挙対策委員会【藤谷京子】

 寝起きでぼさぼさになった髪を軽くワックスで整える。暗めのアイシャドウを塗って軽くラメを入れる。ビューラーでまつ毛をバリバリにする。色付きのリップを適当に引いて、まあ、こんなもんだろ。

 台所に行くとビニールのクロスを引いた6人掛けのテーブルの上に私の分の茶碗と焼いたシャケ。パンでいいっていつも言ってんのに。パパはもう仕事に出かけたようだった。現場の仕事は朝が早い。直接現場に出ることはないが、連絡事項だったり色々な用事があったりで同じ時間に出社する。建設会社の社長も板についたものだ。

「京子ぉ、おっきりやすか?あんなへんな頭せって。はよめしゃな」

 奥の部屋からばあちゃの声が聞こえる。

「はーい」

 適当な返事を返す。

「京子、茶碗かして」

「私パンがいいって言ってるのに。ママもそっちの方が楽でしょ?」

「5人分用意するんだったらおんなじ。別にパン用意する方がめんどくさいよ。いいから食べてさっさと出てく」

「はいはい」

 シャケでお茶づけにしてさっとかき込む。廊下を抜けると無駄に広い玄関がある。廊下と土間の段差にちょっとよろめきそうになりながら靴を履き、引き戸をガラガラと開ける。家の周りは背の高さより少し高いくらいの垣根に覆われて、きちんと刈りそろえられている。玄関の脇に置いた自転車に乗り、学校へ向かう。

「おう、京子、今日も頭すっげーな、寝ぐせ?」

「うるせえよ、そうだよ、寝ぐせだよ」

「どんな寝方したらそんなんなるの」

 学校についてそんな軽口で話しかけてきたのは、耕治と千草だ。

 耕治は背が高く、細くもなく太くもなくそれなりに筋肉のついた体つき。顔は少し鷲鼻だけど、全体的にホリが深くて、まあ、及第点だ。ちょっと空気を読まないところがあるけど、コミュ力は高い。千草は、髪を染めたり、パーマをあてたりして頑張っているけれども、顔つきの幼さが隠せてない。でも、笑うと顔がくしゃ、ってなって、そこがすごいかわいいと思う。耕治も千草も、この町ではそれなりに結構いけてる方だ。

 この町に引っ越してきて5年になる。

 5年前までパパは東京でサラリーマンをしていた。パパはもともとこの町の出身だったけど就職のために東京に出た。そしてそこでママと出会った。5年前まで父と母、そして私の家族三人は、東京の郊外のマンションで暮らしてて。でも5年前にじいじが急死したことでそれまでの生活ががらりと変わった。じいじはこの天番町でそれなりの規模の建設会社の社長をしていたので、じいじの急死に伴って誰かが跡を継がないといけない。パパには他に兄弟がなかった。色々あった末、結局パパがその跡を継いで社長をすることになった。そしてパパについて私とママもこの町に引っ越すことになった。今はパパの実家で暮らしている。パパと、ママとアタシとばあちゃの4人暮らし。

 千草と耕治と夏休みの予定の話をしながら教室に入る。どっか旅行でも行かないかとかそんな話。耕治がマクドナルドに行きたい、って話をして笑わせてくるけど、そういえばこの町にはマクドナルドないな。車で2時間くらい行かないとマクドナルドにつかない。教室の中では井村美香と音羽がおばけ屋敷がどうの宇宙人がどうのという話をしていた。子供だなあ。ほほえましい。音羽はいつまでもそのままでいてくれよ。

 旅行の話やテレビの話、最近のyoutuberの話。そういう話をだらだらと話す。けれども、決してそんなに楽しいわけじゃなくて。時間をつぶすためにそういう話をしてる。そしてそういう話題もなくなってちょっとした沈黙、退屈な時間が流れる。こういうのを海外では『妖精が通る』というそうだ。そうだなずっと喋ってたら妖精が通れないもんな、たまには通してやんないと妖精が大渋滞だ。

 ぐるりと教室の中を見渡すと、後ろの方の席で、一ツ橋学が、イヤホンで何かを聞きながらノートに書き留めてる。孤立してる。皆があいつを遠巻きに見てる。でも、それも仕方ない。あいつは、一ツ橋英雄の子供だし、私にパパにとっても敵の息子だ。

 と、その時、耕治が何を思ったか、一ツ橋の方に向かってずかずかと歩いていった。

 机の上に肘を置いてしゃがみ込むと、

「なあ、一ツ橋、お前、何聞いてんの?」

 と話しかけた。

 一ツ橋は一瞬びっくりした顔をしたけれども、イヤホンを外して耕治に何をしていたのかを説明し始めた。

「町の、お年寄りの人たちにこの町の伝承とか言い伝えとか、あと、若いころにあった出来事とかを聞いて回ってるんだ。ほら、僕、郷土史研究会だから。今はその聞いた話を文字起こししてた」

 耕治が一ツ橋の渡したイヤホンを耳にはめる。

「え?なにこれ?何ってるかわかんねえんだけど、日本語?」

「方言がきついからね。慣れると聞き取れるようになるよ」

「おもろいの?こういうことして」

「面白い、っていうのもあるけど。なんか誰かがしないといけない義務感みたいなのもちょっとあるよ」

「なんかよくわかんねえなあ、まあ、でもなんか面白そうじゃん」

 耕治が仲良く一ツ橋とお話をしている。

「ちょっと!耕治!何してるの!」

「方言の録音を聞いてる」

「そうじゃなくて!」

 といって、耕治を教室の前の方まで引っ張っていく。

「わかってんの?あいつは、敵、だよ」

「それってあいつだってあいつの父親の話だろ?大人の問題じゃんか」

「アタシは関係あるの。アタシのパパと音羽のお父さんが仲いいの知ってるでしょ?」

「仲いいっていうか、ああ、うん」

 耕治が少し言いよどむ。そう市長と建設会社の社長の関係だ。そういう仲良しだ。公共事業を回してもらったりと、そういうのは子供でも分かる。だからこそ、一ツ橋には負ける訳にはいかないんだ。

 一ツ橋は、公共事業に頼った現在の市政を改革し、新事業の開拓を政策に掲げている。この町には現在、少なくない数の人間が外から引っ越してきている。もちろん人数が多いといってもこの町にもともと住んでいる人間の数に比べたら圧倒的に少ない。しかし、一ツ橋が市や県と一緒になってやっている事業がいくらかうまくいっていることもあり、一ツ橋派に寝返る町民も少なくない。実際の票が読めない状態なのだ。今年の選挙は荒れている。

 パパだけじゃない。この町の少なくない人間が公共事業で生活をしている。町長が変わったり、政策が変わったりしたら困るのだ。

「音羽だって困るよ。それでもいいの?」

「それは、困るな」

 耕治が耳をほじりながら言う。こいつと音羽は幼馴染だって聞いてる。

「みんな、仲良くできたらいいのにな」

 耕治がいう。でも、それは、無理だ。


◇ ◇ ◇


 音羽の家はとにかくでかい。

 屋根の乗った白い漆喰の塀がぐるっと建物を囲っていて、でっかい門扉にも瓦屋根がかかっている。100坪くらいある屋敷は茅葺きでその上に銅板の屋根が乗っている。古くて恥ずかしいから…って音羽は言っていたけれども、すげー家だっていうのはもう見てわかる。今日は家の前にいくつものセダンが止まっていて、門をくぐるとさらにたくさんの車がアプローチのギリギリまで止まっていた。屋敷の中からの騒がしい声がここまで聞こえてくる。いつもは正面玄関から入るのだけれども、今日は屋敷の周りをぐるっと回って、裏の勝手口から中に入った。

「こんにちはー手伝いに来ました」

「あ、京子ちゃん、ありがとう」

 音羽のお母さんと挨拶を交わす。

 やたらと広い三和土を上がる。あたりを見渡すと、近所の手伝いに来たおばさんたちが慌ただしく料理を作ったり、仕出しできた料理を皿に盛りつけたり、運んだりしていた。私を見つけた音羽がトコトコと私のところまで駆けてくる。

「あ、京子ちゃん、ありがとう、来てくれたんだ」

「うん、音羽、なに手伝ったらいい?」

「それじゃ、ビール出したり、空になった瓶を下げてきてもらっていい?」

「了」

 エプロンをつけながら音羽にするべきことを教えてもらう。

「悪いね、手伝ってもらって」

「お互い様」

 廊下を歩く。よく掃除された板の廊下はキュッ、キュッと音を立てる。廊下に、いや、この家中に騒がしい声が響いている。広間の襖を開けるとぶわっとさらに声が大きくなる。今、この家は“選挙対策事務所”であり、今行われているのは“選挙対策会議”のはず、だけど。これでは宴会とかわらないね。8畳ほどの部屋4つの襖を全部外して、大きな部屋にして使っているみたいだった。会議に参加している全員が赤ら顔で、一ツ橋陣営の悪口やら、最近の娘の態度がどうやら、結婚相手がどうやら、どうでもいいことで盛り上がっている。パパは『選挙対策会議』と広げられた横断幕の下で、音羽のお父さんと隣り合って酒を注ぎあっていた。


「ビール、どれくらいからが空なの?」 

「三分の一くらい。あと、ぬるくなってたら下げちゃっていいから」

「わかった」


 音羽、こういうの手慣れたものだな、と感心する。

 音羽と、パパたちのところのビールを交換しに行く。去り際にパパに呼び止められた。


「京子、京子、まあ、お前もこっちに来て飲め」

「京子ちゃんか!久しぶりだなあ、ずいぶんおっきくなって。いやあ、べっぴんさんになったなあ」

「普段はこんなんじゃなくて、爆発したみたいな頭しとるよ。今日だけ」

「まあまあ、座んなさいよ」

 断ろうとしたが、音羽が二人の前に座ったので、自分も一緒に座ることになった。ビールを勧められたが、断って麦茶にしてもらった。やたら泡の多い麦茶のような気がしたけど気のせいだろう。

「しかし、本当なら今頃は祭りの準備をしてるころなのに、まったく、あの一ツ橋のせいで」

「そういや、今年の神楽、音羽ちゃんと泉野のところの耕治が舞うんだろ?いやあ、楽しみだなあ、音羽ちゃんの舞。耕治も、背ェ高いし、天狗にぴったりだ」

「いやあ。まだまだ、全然練習してる風もないし、とちらんか心配だぜ」

 神楽か。

 毎年、7月の頭に私たちの町では大きなお祭りがある。大船神社の例大祭で、この町に伝わる天狗伝説にまつわる神楽が舞われることになっていた。踊り手はこの町の子供たちから選ばれるが、大体旧家の家の子供たちが選ばれることになっている。

 神楽の話がでたその後はアタシたちの学校の話になった。そしてさらに話があっちこっちいった後、選挙の話に戻っていった。

「あの、よそもんの一ツ橋が、大きな顔をしやがって!町長選挙に立候補と来た!あいつは町のルールってやつをわかってない、だから、よそもんをうちの町にいれるのは反対だったんだ!」

「こーちゃん、今そんなこと言っても始まらない。今はとにかく選挙戦しよう。よそにもんには負けるわけには行かないからな」

 パパは、酔ってくると音羽のお父さんのことを“こーちゃん”と呼ぶ。二人は子供時代からの友人らしかった。

「負けるわけないだろう、一体どうやってまけるんだ。いくらよそものが増えたって言っても、200人もいないだろう」

「それが、上谷のところは一ツ橋に寝返ったらしい。他にも影響されとるのも出てる」

「町おこしとか新事業とかっていうが、そんな霞みたいな話信用できるか。20年前にも町おこしをして失敗しとる。仕事っていうのは地味で堅実なものだ。県や、国や、政治家の先生に頭を下げて、工事を取ってくる、補助金をもらってくる、そういう地味な積み重ねが、町長に求められる」

「そりゃそうだ。こーちゃんがいないと、うちの会社も立ち行かん」

「そうだろ」

 二人が、ちりんと、コップを合わせる。こういうのをみると本当に仲がいいんだな、って思う。

「今、念願の国道につながるバイパスの話がうごきそうなんだ。道路先生にも話が通ってる」

「パイパスってあれか?20年前の町おこしの時に途中まで通ってそのままになってる」

「あれが通れば、今みたいに山を回る必要がなくなる。町まで2時間も走らんでもよくなる。便利になれば人だって入ってくる。まずは道路だ。一ツ橋の奴はそれがわかっとらん」

「しかし、よく通ったなあ、そんな話」

「引き換えにゴミ処理場をつくる。あの池を埋め立てる」

「あの池か?」

「あの池だよ」

「まあ、仕方ないよな、こーちゃん」

「俊二。それが俺たちの仕事だよ」

 私たちがいないかのように二人の話は盛り上がっていっていたので、音羽のすそをそっと引いて、大広間を後にした。裏方はやることがいっぱいあるのだ。


◇ ◇ ◇


「こちらが樋口さん、こちらが長谷さんで、こちらが弟の方の長谷さん。こちらが大石さんの妹さんで……」

「どうも、藤谷の娘です」

「いつもお世話になってます」

「え、あ、いやこちらこそ」

 宴会…選挙対策会議の跡片付けが終わった後の台所で、音羽に近所のおばさんたちを紹介してもらった。でもこんな人数一度に覚えられないぞ。ああ、というより、これはアレか。アタシが紹介されてるのか。

「それじゃあ、お疲れ様!」

 そういっておばさんたちが、手に手にキンキンに冷えたビールを持って乾杯する。私たちは冷たいサイダーだった。今度は普通のサイダーだょ。おばさんたちの話題は、夫の愚痴とか、子供たちの中二病を心配する話ばっかりで、選挙のことはどうでもいいようだった。おばさんたちの打ち上げも終わって、お土産といってちらし寿司を渡される。さっき、お父さんたちも持たされてたものだ。なるほど、これが今日の晩御飯になるのか。おばさんたちが家に帰ってもご飯作ったり何もしないで済むように。この町では、こういうことを何百年もやってきたんだろうなあ、って思った。

 家の玄関の先まで音羽に送ってもらう。あんなにたくさんあった車は1台もなくなっていた。あんなにみんなしたたかに飲んでいたのにどうやって帰ったんだろう。あんまり考えないことにした。

「ねえ、京子ちゃん」

「何?」

「一ツ橋くんのことどう思う?」

「どうって…敵でしょ?」

「私、もっと仲良くなれたらいいのに、って思う」

 音羽が少し寂しそうな顔をする。黒くて長い髪が揺れる。なんで音羽はこんなことをいうんだろう。少し不思議に思った。

「それは、無理だよ」

 アタシが、そう答えると、音羽は、そうだね、また明日学校でね。といって微笑んだ。夕日に、音羽の輪郭が滲んでみえた。

 

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