1,セロリ×教室×視聴覚室【井村美香】
夏はセロリ。
6月のころは更なり。ひるもなほ、マルチシートが細く敷かれたる。また、ただ一つ二つとうえマクール君が種を植えていくのもをかし。
……全然をかしくない。
をかしくない、をかしくない、をかしくない、つまんない。
私の住む天番町は山の中にある県のさらに山の中にある。
教室の窓から外を見ればそこは一面のセロリ畑た。朝の湿った草の匂いが2階の窓辺にいる私のところまでじんわりと漂ってくる。
今はセロリの苗植えの時期だ。道と垂直になるように畝を作り、その上に黒いマルチシートを張る。黒いじゅうたんのように整然とマルチシートが張ったら、その上を『うえマクール君』というトラクターに腕の生えたような機械でトントンとリズミカルに苗を植えていく。セロリ畑から少し視線を上げるとそこには黒々とした山々。この町はすっぽりと山に囲まれている。
この町には中学校が一つしかない。そいてこの町では幼稚園小学校中学校とメンツは殆ど同じ。つまりこの町にいる限りその人間関係がずっと続いていく。どうしようもない閉塞感。
もう駄目だ。どこにも逃げ場がない空気がこの町には漂っている。
「ねえ、美香ちゃん、おばけ屋敷に誰か引っ越してきた話知ってる?」
後ろの席から声をかけられる。音羽だ。高くて細くて、今にも消えてしまいそうな声だ。この声は別におどおどしているというわけではなく普段からこんなか細い声なのだった。切りそろえられた前髪を揺らしながら机に身を乗り出して話しかけてくる。腰まである髪がサラサラと揺れる。。
「おばけ屋敷って、あの三軒坂の?」
興味を持ったような声をわざとらしく出して、音羽が話しかけてきた話題に乗る。
この町には都会と違って娯楽が少ない。面白い出来事もそんなに起こることもないので、どうでもいいようなことでも話題になるし、乗れるならそれに積極的に乗っていく。毎日の退屈を乗り切る知恵、というやつだ。
「そう、この町に引っ越してくるってだけでも不思議なのに、この6月の中途半端な時期に、ってなんかおかしいよね」
「まあ、そういう人もいるんじゃないの?最近Iターンでこの町に来る人多いじゃん」
そう、過疎化と高齢化の進んだこの町だが、最近は年に10人くらいIターンで都会からこの町に移住してくるという変わり者もいる。市役所のそういう課が、すでにこの町に引っ越してきた移住者と一緒になって人口を増やそうと頑張ってるらしい。生まれてからずっとこの町に住む私は、なんで好き好んでこんな町に引っ越してくるんだろうと思う。
「それがね、どうも女の子ひとりで引っ越してきたらしいの。なんか怪しくない?」
音羽が誰かから聞いた移住者の情報を耳打ちで伝えてくる。もうすでに尾ひれ背びれがついてるっぽい。
「それは……、ちょっと怪しいかも」
「おばけ屋敷に引っ越してきたんだから幽霊とかお化けだって話もあるんだけど、私はねちょっと違うと思ってるんだ」
「なに?」
音羽が声を細めて、さらに耳元に唇を寄せて深刻そうに言う。
「私はね、宇宙人だと思う」
「はあ?」
変な声がでる。
「宇宙人なんているわけないでしょ」
「そんなことないよ、宇宙人って本当にいるよ、人間社会に紛れ込んでるんだよ。youtubeでもそういうチャンネルがたくさんあって」
「音羽、宇宙人なんているわけないよ、全然科学的じゃないし。それに宇宙人がいたとして人間社会に紛れ込む理由は何?」
「それは…地球侵略とか……?」
「宇宙旅行できるような科学力があれば潜まなくっても侵略完了できるでしょうが」
「うう……それは確かにそうかもしれないけど……」
私たちはそうやって意味のないたわいのない会話を毎日繰り返し、退屈な日常を切り抜ける。音羽だって本当に宇宙人を信じてるわけじゃない、多分。ただ、そうやって日々をやり過ごしていくのだ、私たちは。
ガラガラガラ!
そんな会話をしていると、騒がしい音を立てて教室の前の扉が開く。髪の色を派手に染めたりピアスを開けたりしてる3人組が入ってきた。緒方千草、藤谷京子、泉野耕治。このクラスで目立つ三人。リア充だ。
「だからさぁ、耕治、夏休みさぁ、どっか行く?って聞いてんの」
「俺、マック行きたい」
「ちゃんと考えてよ耕治、マックなんてどこにでもあるじゃん」
「ねえなあ、この町にはようマックなんてよお!」
緒方千草の金髪に染め上げた髪をふわふわと揺れる。髪がゆらゆらと揺れるたびに甘ったるい臭いがあたりにこぼれる。何か香水をつけているのだろう。あいにく私はそれがなんの匂いかわからないけれども。いつも楽しそうに笑っていて、少し羨ましい。三人は夏休みにどこかに旅行に行く計画を立てているようで、緒方千草が提案しては泉野耕治がボケて、それに藤谷京子が突っ込む、ということをさっきからやっている。
「俺、国技館でコンサート観たい」
「国技館じゃなくて武道館だろーが、相撲みてどうすんの」
「そういやなんでコンサートするところなのに武道館なの?」
「故事とかにちなんでんじゃね?しらんけど」
「普段は剣道の試合とかやってんだよ。コンサートが特別なの」
「ほぼ毎週コンサートとかしてるよ…コンサートが普段だよ……」
「うっさい、あたしに言うな!」
藤谷京子は黒髪ののショートベリィショートで、ワックスで頭をツンツンにしている。、まつ毛もバリバリで、そして耳にはいくつもの小さな穴が開いている。学校にはつけてきていないのだろうけれどもピアス穴がゴロゴロと開けているのだった。もうじき夏だというのに真っ白な肌をしていて、日に焼けないように十分な対策をとっているのだと思う。藤谷さんはちょっと怖い感じがして、私は苦手だ。
「東京ディズニーランドって東京にないんだぜ、知ってた?」
「有名でしょ?その話」
「じゃあ東京ドイツ村も東京にないって知ってた?」
「東京ドイツ村自身知らない。どこにあるのその村」
「千葉県袖ケ浦市」
「村じゃないじゃん!市じゃん!」
「ていうかなんでそんなにドイツ村に詳しいんだよ!」
三人の中のボケ役の泉野耕治は180近くある長身で、茶色に染めた髪を後ろで一つに束ねている。中学に入ってから急に背が伸びて髪も染めるようになった。ボケを突っ込まれながら顔をくしゃくしゃにして笑う。人懐っこい笑い方をするところは昔と変わっていないと思った。
「ちょっと、後ろ行こ、音羽」
「あ。うん」
居心地の悪さを感じて、私たちは教室の後ろの方に移動する。
全校生徒が100人に満たないようなこの学校でもクラスの中にはカーストのようなものが存在する。不可侵の透明な壁。そしてその壁は陽キャ陰キャ以外にも存在する。
教室の後ろ側、壁際にひとりきりの男子がいる。
一ツ橋学。
彼は椅子に座り、イヤホンを嵌めながら机の上に広げたノートになにかを何かを書き留めていた。
少し眼鏡にかかる髪、その眼鏡の奥の黒々とした目。薄い唇。もともと白いだろう肌が薄く日に焼けていて、それが逆に、彼がこの町に似つかわしくない存在だということを強く主張しているようにみえた。
「ねえ、美香ちゃん、学くんまた一人だね」
「うん、…そうだね」
「1ヵ月前まではこんなことなかったのに…」
「仕方ないよ、だって、もうじき選挙だもん」
今月は、4年ぶりにこの天番町の町長選挙がある。
選挙といっても今までは対立候補もなく現職の町長の信任投で決まっていた。
その様子が変わったのは1か月前。一ツ橋くんのお父さんが町長に立候補したのだ。
一ツ橋家は、3年前Iターンでこの町にやってきた。彼はこの町に移住してきたが農業をするのではなく、農産物を直売する事業を立ち上げた。私にはよくわかんないけれども、付加価値をつけて高値で販売するという仕組みを作ったらしい。他にも、市役所の人と協力して移住者を増やしたり、農地を集約したりと色々としているということだった。ただそれでめでたしめでたしというわけにはいかず、それで潤ったひとたちと、そうでない人との間に軋轢が生まれているということだった。そして、2か月前、一ツ橋くんのお父さんは町長選挙に立候補した。町長選に対立候補が出ることなどこの町始まって以来のことだったので、予想外の出来事に町はざわめき、それぞれの陣営にわれ、一触即発の事態となっている。
そんなこんなで、今、その一ツ橋英雄の息子は、このクラスで微妙な立場にいるのだった。
「…私の、お父さんの、せいなんだよね」
と、音羽が泣きそうな声で言った。そう、その現職の町長というのが、この音羽のお父さん、国府田幸三さんなのだった。音羽の家は先祖代々この町が村だったころから村長を務めてきた由緒ある家柄で、だから選挙で負けるわけには絶対に行かないのだった。
「わかんない。でも少なくとも音羽のせいじゃないよ」
「うん……ありがとう……」
それで少し会話が止まる。静かになると前の方で騒いでる3人の声がよく聞こえるようになる。
「秋葉原いってさ、もえもえきゅん、とかしてもらいたくね?一回、こんなふうにさ、もえもえ、きゅん」
「うわ!キモ!止めろ!犯罪だぞ!」
「もえもえ、きゅん、おいしくな~れ」
「ねえ!止めて、!キモい!キモい、あははははは!」
……楽しそうだな、って思う。彼らは私たちみたいなのと違って、悩みとかないんだろうな。そう思う。
一瞬。緒方千草がと目があう。目が合ったまま、彼女は目の端で私に軽く笑いかけてきた。突然のことに驚いて、私は合図を返すことができなかった。そして、それが誰にも気づかれていないか、そんなことを気にしていた。
◇ ◇ ◇
視聴覚室は旧校舎の西の果てにある。私が入学する遥か昔は、映像を伴う授業で頻繁に使われていたらしいが、それぞれの教室に大型モニターが設置されるようになった今は滅多に使われない。床に固定された机はうっすらほこりをかぶっている。一応掃除当番が掃除をする場所にはなっているのだけれども、掃除に入る生徒は床は掃くけれども机の上は拭かないのだ。一応視聴覚室には貴重品としてプロジェクターとスクリーンがあるが、随分型落ちのそんなものを盗む人間はいないので鍵の管理も適当だ。掃除当番が鍵を持ったまま翌日に帰しても特に問題にならない。そんな殆ど誰も訪れることのない視聴覚室だから、放課後に誰にも気づかれずに待ち合わせをするの場所としては最適だ。
西日がさして暑い部屋でハンディの扇風機をかけながら私は人を待つ。6月だというのにもうこんなに暑い。今年の夏は暑くなりそうだと思った。水筒を鞄の中から取り出す。カラカラと音がする。朝に入れた氷がまだ解け残っている。水筒からコップに中身を注ぎ飲む。冷たい紅茶、砂糖とミルク入り。本当は校則違反だけど今日みたいな日は別にいいって自分に許している。ちょっとした不良行為だ。
ふと、扉の前に気配を感じる、息を殺して扉を注視する。
コン、と扉を叩く音がする。
足音を立てないようにゆっくりと鍵をかけた扉の前まで近寄る。
「私は誰?」
扉をノックした人物から問いかける声。
「誰?」
私は問いかけに問いかけで返す。
「ハルカナ!」
扉の外からの声が答える。
その答えを聞いて、私は引き戸の鍵を開ける。
ガラガラガラガラガラ!
鍵が開いた途端、視聴覚室の入り口の引き戸を勢いよく開け、彼女が廊下から踊るように飛び込んでくる。長い金色のふわふわの髪と太ももギリギリまで折り曲げたスカートが翻る。あたりに軽く香水の匂いを振りまいて。彼女が入ると同時に急いで扉を閉め、ガチャリと鍵をかけた。
緒方千草。
目立つグループの女子。教室では私とは不可侵のカースト。
「ごめん待った?美香」
「待った。遅いよ」
「ごめん、京子とちょっと話が長くなってて」
「さ、準備しよ」
教室の隅に立てかけてあるひっかけ棒を使い天井からぶら下がってるプロジェクター用のスクリーンを引き下げる。最初のころは降ろした後止めるのに戸惑ったけれども今ではなれたものだ。教壇の下にある操作パネルからプロジェクターの電源を入れる。窓を閉めて暗幕を兼ねているカーテンもしっかりと閉じる。真っ暗な部屋の中にスクリーンの青い画面が大写しになる。
「今月ちょっとギガがもう苦しんだ」
千草にそう素直に言うと、
「じゃ、私の使う」
そういって千草はプロジェクターの外部接続コードに彼女のスマホをつなぐ。彼女のスマホの壁紙が大写しになる。彼女の壁紙はテレビでも人気の韓国グループだった。
「ちょっとみないでよ、恥ずかしい」
「好きなの?」
「ポーズ」
千草の手がアプリのアイコンを探る。youtubeのアプリをタップする。youtubeのアプリ画面ががスクリーンに大写しになる。そこからさらにチャンネルに入り、動画を選択して再生する。CMが再生され、5秒待ってCMをスキップ。モデリングされ表面をテクスチャで覆われた仮想のステージが現れる。そして、そのステージの上に一人の少女が立っていた。
彼女もまた生身ではない。ポリゴンとテクスチャで作られた体だ。腰まであるピンク色の髪に、黄色のインナーカラー。90年代をモチーフにした衣装。彼女が軽く体をゆするたびに、物理エンジンが設定された重力を計算して彼女の髪や服が左右にゆっくりと揺れる。この電脳上に作られた体が彼女の入れ物。でも、それがすべてではない。彼女には、魂が宿っている。
彼女が問いかける。
「私は誰?」
春が始まる前に水面に張った薄氷のように澄んだ声。その声が、静かに、響く。
画面の隣にあるコメント欄が、『誰?』『誰?』『誰?』という言葉で覆いつくされる。いつもの決められたプロトコル。
「ハルカナ!」
右腕を強く突き上げて、彼女が自分の存在を定義する。
ピアノの音。曲のイントロが始まる。彼女がその音に合わせて体を揺らす。微笑む。彼女が歌いだす。彼女の歌声が二人しかいない視聴覚室に響いた。
「やっぱり大画面はいいねえ。うちじゃあ、テレビで見れないから。家族にばれたら死ぬ」
横を見ると千草が狭い視聴覚室の椅子に体育すわりになって画面をみていた。
「うちは、家族にばれても大丈夫だけど。というか全部バレてる。でも、一人で見るより千草と一緒に見れた方が」
「なに私のこと好きなの?」
「ちげーし。好きなものが一緒の人間がいるって、それだけで嬉しくなる。ていうか、千草がハルカナ好きだったって意外」
「動画共有snsで偶然流れてきて、それで、もう、一気に落ちた。持ってかれた」
「持ってかれるっていうのわかる。歌に、命が入ってるって、みんな、そういってる」
「Vなんだけど、存在感がすごいっていうか、そこにいる、そこで生きてるっていう感じがする」
Vの歌い手。
ヴァーチャルシンガーと言われている人たちがいる。
仮想現実の肉体を着て、人間の魂と声を持った彼、彼女たち。彼らは現実にはいない。でも存在しないわけじゃない。仮想世界には確かに存在している。確かにここにいる。命がある。そう強く思える。春が叶う、と書いてハルカナ。ハルカナは、そんなVの歌い手の一人だ。そして、私と千草にとっては特別な一人だった。
◇ ◇ ◇
およそ1か月前のことだ。
視聴覚室での時間は、私一人の物だった。
誰もいないのを確認して、一人でスクリーンを下げ暗幕を引き、プロジェクターの電源を入れて、携帯を入力端末に差し込む。お菓子と紅茶とペンライトを用意して、お菓子と紅茶で動画配信を楽しみながら、ライブではペンライトをゆっくりと振る。誰にも秘密の、私ひとりだけの時間だった。いつも鍵をかけて誰も入れないようにしていたのに。よりによってその日、私は鍵をかけ忘れていたのだった。
「だれかいるの?」
ガラガラと扉が開く。入ってきたのはよりによって緒方千草だった。クラスでも陽キャのグループの一人。その彼女が視聴覚室で誰にも秘密の時間を過ごしている私の前に現れた。
スクリーンに映るハルカナの電子の肉体。教室に流れるハルカナの歌声。そしてこともあろうに私はペンライトを振っていた。一瞬の空白、そして状況を理解して顔が真っ青になる。次の瞬間、頭で考えるより早く体が思考し最適な行動を選んでいた。即ち、窓から飛び降りる。私は窓に向かって全力で走り、窓から飛び降りようと暗幕に全力でジャンプした。そして、その裏側にある窓ガラスに全身を強かにぶつけた。目の前が真っ白になった。ガラスは割れず、私は視聴覚室の床に転がり落ちた。全力でぶつかったので全身が殴られたように痛い。もんどりうって倒れていると、上から緒方千草が話しかけてきた。相変わらず画面からはハルカナの歌が流れている。
「あの…、これ、ハルカナだよね…?」
返事ができない。しかし緒方千草は続けて言った言葉は、ちょっと信じられない言葉だった。
「あの…私も、ハルカナすごく…好きなんだ…、今日、視聴覚室にきたのは、こんな風に、映像大写しにできないか、って思って……。あの、あなたもハルカナ好きなんだよね。もしよかったら、友達にならない?」
「え?はあぁ?!」
何言ってんの?ねえ?
「あの、ところで」
「なに?」
「名前、なんだっけ?」
体の痛みが引いて、自分の名前、井村美香を名乗ることができたのは、それから10分後のことだった。
◇ ◇ ◇
そんな千草は今、私の隣で目を輝かせて動画を見ている。手元には小さくペンライトが揺れている。
「尊い……」
「尊いって…」
「美香が移った。ハルカナが、困ったときにする鼻の両側から押さえて、ぷう、ってなるの、あれすごい好きかわいい」
「かわいい」
千草が鼻の両側を人差し指で抑えて、ハルカナの真似をする。
「ハルカナ、一四歳って噂本当なのかな。どんな一四歳なんだろう。私たちと同い年だよね、ねえ、美香、会ってみたい?」
「ハルカナはハルカナだよ。中の人なんていないよ。こうして、ここで、こうやって歌ってるハルカナが全てだよ」
「ライブチャットもいつも聞いてる、水曜日の夜の。きっといい子だよ」
「それだけじゃわかんないでしょ」
「まあ、それは、そうかも、だけど」
視聴覚室の中は暗くてよくわからなかったけれども、時間をみるともう5時。結構いい時間だった。カーテンを開けると夕焼けの赤い光が差し込んでくる。外と違う時間の流れの中で酔ってしまいそうになる。この感覚がちょっと好きだ。千草がスマホを回収して帰る準備をしている。
「じゃ、わたし、先出るから」
「うん、私時間差ででる」
「…ごめんね」
「いいよ」
視聴覚室の窓から眺めていると正面玄関から出た千草が校庭を横切っていくのが見える。
十分な時間と距離がとれたことを確認して、私も視聴覚室を出た。
この学校には、いや、この町には。見えない壁がたくさんある。その壁の中では許された振る舞い以外は認められない。その壁を越えて友達になるとか一緒に遊んだりとか、そういうことをするととても目立つ。目立つことは、よくない。だから、私と千草はこんな秘密の行為をしている。誰にもばれないように、気づかれないように気を付けながら。
ハルカリの曲の一節を思い出し、そっと口ずさんだ。
誰にも、誰にも聞かれてはいけない歌。
『見えない、聞こえない、あなたを見つけられない』
『だれか私を見つけて、私はここにいないから』
『助けてっていっても、いつだって誰にも届かない』
千草もどこかで、同じ歌を歌っているだろうか。
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