3,雷×神楽の練習×図書室【国府田音羽】
人を好きになるということを、雷に打たれることと例えた人がいる。
いやいや、それはおかしいでしょう。と私は思う。
だって、雷に打たれるって大けがじゃん、事故じゃん、死ぬじゃん。
恋っていうものは、もっと、柔らかで、暖かくて、春の兆しのように訪れるものだと思っていた。
―――自分が恋をするまでは。
3年前。その雷は急に私の前に訪れた。
「国府田さん、初めまして。この町に引っ越してきました一ツ橋です」
「いやいや、これはご丁寧に。別にこんなこと結構ですのに」
「いえ、これから私はこの町で事業をさせてもらうのですし、よろしくお願いします」
「そちらのお子さんは」
「私の息子で、学といいます、5年生です」
「5年生ならうちの娘と同じ年ですわ。9月から同じ学校に通うことになるでしょうから。音羽、挨拶しなさい」
玄関の外に陽炎が立つ、夏蝉のうるさい8月のある日。その陽炎の前に彼は立っていた。彼の父親が父に菓子折りをわたし、それを父が受け取る。その隣に彼がいて、その彼を私は父の後ろから見ていた。物憂げな目、夏なのに白い肌。彼が口を開く。まだ声変わりのしていないピアノのような声。
「はじめまして、一ツ橋学です。よろしくお願いします」
「こら、音羽、ちゃんと挨拶しないか。…すいません、人見知りみたいで」
何か言わないといけない、と思いながら、喉に紙が張り付いたみたいに声が出せない。私は玄関の衝立の後ろに隠れたまま何も話せずにいて、そして、彼は玄関を出て去っていった。
雷だった。
彼と再会したのは9月。話そうと、なんとか近くに行きたいと思って、でも、何もできないまま時間は3年が過ぎてしまった。その間に彼の背は伸びて、眼鏡をかけるようになり、声もピアノではなくなった。それでも私の気持ちは変わらなかった。
そして、2か月前。彼の父親が選挙に立候補して私の父の敵になった。雷が、私の内側を焼いている。
◇ ◇ ◇
多目的室のドアを開けると、換気されてない部屋独特の熱気がむわっ、と襲ってきた。教室のドアと同じの引き戸の奥に三和土と障子でできた戸があり、その奥が畳の部屋になっている。
「うへえ、あっちいなあ!」
そういって耕治くんが率先して部屋の中に入り、窓を開けていってくれる。すべての窓を開けて空気が入れ替わった後、また窓を閉めて今度はクーラーのリモコンを入れる。涼しい空気が流れ、やっとひと心地つける。
「じゃあ、ま。そろそろ練習始めますか」
「うん」
そういって私と耕治くんのふたりは神楽の舞の練習の準備を始める。
舞台の四隅がわかるように、カバンやノートを置いていく。かわりばんこに外に出てジャージに着替える。借りてきたラジカセをコンセントにつないでテープレコーダーをセットする。再生ボタンを押すと、お囃子と笛がゆっくりと流れ始める。
お祭りが近いので、私と耕治くんは放課後の時間を使って練習をすることにした。本当は学校行事ではないので学校の施設は使えないのだけれども、お祭りの神楽の練習だと言ったら快く貸してくれた。
耕治くんが画用紙で作ったお面を被る。お面といってもちゃんとしたではなく、まっすぐな紙に目のところに小さい穴を開けただけのものだ。お面は視界がすごく悪いので、それに慣れる必要がある。けれども本物のお面は本番前の練習でしか使うことができからこうやって工夫しているのだ。でもその光景がシュールでつい笑ってしまう。
「音羽、笑ってね?」
「笑ってない笑ってない」
声に笑い声が混じってしまった。しまった。
そんなことを言いながらも練習は真剣に。囃子と太鼓で構成される音楽は慣れるまで拍子が取りにくい。耕治くんとあわせられるようになったのはつい最近だった。摺り足で上半身を固定して動く動き、くるくるとよどみなく回る動き。去年まで舞台の下で見てた時は静かでゆっくりな動きで、そんな大変に見えなかったのに、実際にやってみると信じられないくらいハードだった。すぐ動きがヘロヘロになるしクーラーが効いてても汗だくになる。一時間も練習したら手もあげられないくらいへとへとになった。本番の衣装は結構重いっていうの本当?
「大変だけどさあ、俺、天狗に選ばれて結構嬉しいんだ。ずっと舞台の下から見ててかっけーって思ってたから。音羽は?」
「私は、踊るのが決まってたから、ほら。楽しいとかあんまりわかんなくて」
「そっか、国府田の家だもんな」
大船神社の例大祭は七月の頭にある。この町一番のお祭りで近所の町からも多くの人たちがくる。その中の一番の目玉はこの天狗神楽だ。言い伝えによると1000年続いているらしい。
大船神社に、そしてこの町に古くから伝わる天狗の伝承。その伝承をもとに舞われる神楽で、曰く千年の歴史があるらしい。その物語は要約するとこんな話だ。天狗が空から降りてきて、村の娘に恋をした。村の娘も天狗のことを好きになったが、天狗と人間なので結ばれない恋だった。村の人々は強く反対したが、二人の説得に負けて二人の結婚を許すことにした。その後、天狗の持っている神通力でこの村は末永く栄えたという。
ロマンチックじゃないか。少し身に染みる。
「今日はこれくらいにしようぜ、俺も疲れた」
そんなに疲れた様子でもない耕治くんがいう。感謝。
「じゃあ、俺帰るけど、送ろうか?」
「ちょっと図書館に本を返すようがあるから、後で一人で帰る」
「そっか、じゃ、あんま遅くなんなよ」
「うん」
◇ ◇ ◇
多目的室で少し休憩してから、着替えて廊下に出る。図書室へ向かう廊下は夕暮れの光も届かず少し気味が悪い。やっぱり本を返すの明日にすればよかったかな、と思いながらもここまできてしまったので仕方なく図書室へ行く。明かりが消えていて、そういえば木曜日は図書室放課後やってない日だっけ、と気づいて気持ちが落ち込む。未練がましくもしかしてと思って図書室の扉の取っ手を引くと、ガラリと音がして扉が開いた。鍵を閉め忘れたのか、このまま本を置いて帰ってしまおうか、そう思った時、部屋の奥の方でガサリ、と人の動く音がした。心臓が跳ね上がる。
「だ、だれかいるんですかぁーーーーー」
よせばいいのに声を出してしまった。こういうわかんないことを私はよくしてしまう。
「その声、国府田さん?」
あ。
よく知る、でも最近はあまり聞くことのできなかった声が返ってきた。もうピアノではない声。弦楽器のような、響く、優しい声。
「ごめん、驚いた?資料を探して読んでて。ちょっと暗いね、ごめん」
一ツ橋学。彼が本棚の後ろから歩いてきた。私の方へ近寄ってきて、そして脇を抜けて部屋の明かりをつける。チカチカと音をたてて蛍光灯が付き、夕闇を窓の外へ押し返す。
「どうしたの?」
「あ、あの、本を、本を返しに」
「ああ、じゃあそこに置いといて。後で返却手続きしておくから」
「ま…ひ…一ツ橋くんはどうしてここに?」
「地元の歴史でちょっと知りたいところがあって。禁持ち出しの本だったからここで読んでたんだ。ほら、僕、郷土史研究会だから。部員僕一人だけど」
「く…暗いと、目に悪いよ」
「ああ、そうだね。気を付けるようにするよ」
違う、そんな話をしたいんじゃないのに。うう。手に汗をかいてきた。ていうか、さっき練習ですごい汗かいたのに。汗臭くないかな。わかりませんように。
「ひ、一ツ橋くん、今大変だよね?だ、大丈夫?」
一ツ橋くんは、一瞬、何のこと?みたいな顔をして、そして、ああ、と気づいて。優しく微笑みながら。
「大変だけど、でも、大丈夫。一人でも。僕は、僕で自分の好きなことができるから、そんなに大変じゃないよ。この町の人全部が僕を嫌ってるわけじゃないし、話せばわかってくれる人も多い。そもそも父と僕は別の人間だから。自分のすることは自分で決められる」
「そ、そうなんだ」
そうなんだ。やっぱり一ツ橋くんは偉い。自分で自分の立ち位置をちゃんと決められるんだ。誰かに影響されることなく。孤独になるのが怖くないんだ。
「それよりも、国府田さん。国府田さんこそ大丈夫?」
「え?」
「僕には、国府田さんも大変そうに見える」
と、言った。
そして気づいた。
ああ、私は、大変だったんだ。
私は、この町で。お父さんの手伝いをして、お父さんのいうことを聞いて、それが当然だと思ってた。国府田の家の娘として振舞わないといけないし、それが当然だと思ってた。お祭りの神楽のことだってしなきゃいけない当たり前のことだと思ってた。私が、何をしたいとか、何になりたいとか、好きなことって考えたこともなかった。私には、自分自身で望んで手に入れたものが一つもなかった。怖くて、そういう“あるべき自分自身”から外れるのが怖くて。
「こういうこというの、ちょっと違うかもしれないけど。僕と国府田さん、少し似てると思う」
「そんなことないっ!」
声が大きくなる。違う、そういう風に言いたいんじゃないのに。
「わっ、私よりも、一ツ橋くんの方が頑張ってるし、私よりも大変だし、私よりも偉いと思う」
「ありがとう。僕、ずっと、国府田さんに嫌われてると思ってたよ」
その瞬間、駄目だ。涙が溢れそうになった。
駄目だ。胸の奥がドロドロで、空っぽで、ぐちゃぐちゃになる。もう無理だ。これ以上は無理だ。この感情が何なのかもわからない、もしかしたら劣等感なのかもしれない。視界が歪む。気づいたら私は図書館から駆けだしていた。胸の奥の穴を強い何かが焦がしていく。雷だ。これ以上はこの雷を一人で抱えられそうになかった。
下駄箱で靴を履き替える。涙で顔がぐちゃぐちゃだけどもういい。学校の玄関を飛び出したところで、見知った自転車があった。
「おう。俺もついさっきまで寝ちまってて、今から帰るんだ。送ってく…てどうしたんだよ、その顔」
耕治くんが私を待っていた。こういうやつなのだ。
彼になら話せる。私のこの胸を焼く何かを話せると思った。
「耕治くん、実はね、私好きな人がいるんだ―」
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