20,煮込み×熱×ハルカナ 【緒方千草】

 熱が出た。朝起きたら38度だった。頭痛がひどいし体もグラグラする。

 お母さんに言って学校を休む。でも丁度良かった。今日学校に行ったらどんな顔をして会っていいのかわからないし、私何するかわからない。布団で寝ていると下の階から仕込みをするお母さんとお父さんの声が聞こえる。このお店の名前、酒処ちくさは、私にちなんでつけられたものだ。いや、本当のところはもしかしたら逆かもしれないけど。私が生まれたときにお父さんが独立してこの店を立てた。それからずっとお母さんと一緒にこの店を切り盛りしてる。両親のことは好きな時もあるし、嫌いな時もある。小さいときは家が居酒屋だっていうことが恥ずかしくて友達を呼べなくて、お父さんにひどいことを言ったこともある。あの時、ちゃんと謝ったんだっけ。熱があって弱って寝ていると、昔のことばっかり思い出す。いい思い出もたくさんあるけど、でも、いい思い出も悪い思い出も全部私の上に乗っかってきて、重くてそれで動けなくなってしまうことがある。美香、どうしてるかな。学校に行ってるんだろうか。あんなことがあってもいつもと同じように何もなかったように学校の席に座ってるんだろうか。

 ハルカナを好きになったのは、本当に偶然だった。短編動画配信SNSで動画をディグってたら、たまたま流れてきた。慌ててその動画で歌われていた歌の歌詞を覚えて、検索してハルカナっていう女の子だって知った。実在しない女の子。私にはそのあり方がとても軽やかで、私もそうなりたいって思った。ただ、そういうVsingerに嵌ってるっていうことを京子や耕治にばれて馬鹿にされるのが嫌だったので(私が馬鹿にされるのはいいけれども、ハルカナが馬鹿にされるのは耐えられない!)ずっと秘密で応援してた。そんな時、偶然に美香を知って、一緒にハルカナのことを好きだって聞いて、そして一緒に動画をみて。でもそれが全部嘘だった。美香は本当はハルカナで、ハルカナを好きだって言ってる私のことを馬鹿にしてて。ハルカナなんてどこにもいなかった。


◇ ◇ ◇


 気が付くと夜になっていた。熱も引いていたようだった。メールでお母さんにそのことを伝えると、部屋でまってるように、ご飯は持っていくから、といわれたので、甘えることにする。間をおかず階段がしなる音がして、お母さんがご飯を持ってきてくれる。じゃあ、忙しいから、といってお母さんはすぐ1階に戻っていってしまった。ちなみにご飯のおかずはもつ煮込みにさば味噌に牛すじ煮込みだった。煮込みが多いな。あと病み上がりに食べさせるメニュ―ではない気がする。

 全て美味しく頂きましたけど。

 時計を見るともう10時半。もうすぐ11時になる。ハルカナの配信が始まる。

 どうしよう。見たくない。見たくないけど、見ないといけない気がした。youtubeのアプリを開く。登録してるハルカナのチャンネルを開く。放送開始前であることを示す画面が表示されている。私は体育すわりでその画面を見つめながら11時にあるのを待っている。11時になる。画面が切り替わり、書き割りの背景の前にハルカナが現れる。ピンクの髪、黄色のインナーカラー。「私は誰?」とハルカナが問いかける。チャットに『誰?』『誰?』『誰?』『誰?』の文字が躍る。いつもならこのすぐ後に、ハルカナが自分の名前を名乗るのだけれども、今日は固まった動かなかった。どうしたのハルカナ。美香。

 突然、画面が揺れて、ハルカナの体が一瞬ぶれて消える。そしてその後に現れたのは私のよく見知った顔。

 井村美香の顔が、そこにはあった。


◇ ◇ ◇


「私は、わ、私の名前は美香といいます。日本の、どこかの田舎に住む、14歳です、わ、私は、ハルカナだけど、ハルカナじゃありません。私は、本当のことをいうと、ハルカナのことが好きじゃありません、嫌いです。ハ、ハルカナになんてなりたくなかった。ハルカナは、ずっと、私のなりたい私でした。素直で、屈託がなくて、人のことを妬んだり恨んだりしなくて、かわいくて、いつも明るくて、楽しそうで、みんながハルカナのことを好きになる。みんな、ハルカナのことを見てる。多分友達とかもたくさんいるんだろうな、って思って。でも、本当の私はその反対で。嘘つきで、意地悪で、人のことなんてどうでもよくて、自分勝手で。あとブスで。だからそんな私のことを誰も見てくれなくて、だから、ハルカナのことがすごく嫌いだった。ハルカナな時の自分が誇らしければ誇らしいほど、本当の自分が惨めだった。昨日、友達にひどいことを言いました。大事な友達です。小学校の時からずっとみていて、友達になれたらいいなって思ってた子です。こんな私に対等に接してくれていたのに、私は小さな優越感のために、ずっと、私がハルカナだっていうことを秘密にしていました。他にも、困ってる友達がいても、平気でどうでもいいって思って、見捨てるような人間です。で、でも、私は、そんな私でも、私のことを見てほしい、好きになって欲しい、ハルカナみたいに。ああ、なんかまたズルいこと言ってる。でも、私、みんなが私のこと見てくれるなら、私頑張るから。ハルカナみたいになれなくても、私が、私がなりたいって思える私になれるように頑張るから。ああ、私まだやっぱり自分が欲しがってばかりだ。ごめんね、私も、みんなに何かをしたい。千草が私にしてくれたみたいに。泉野くんがみんなにしてるみたいに。だから、私も、助けるよ。ネイ、遥子、私も助ける。必ずネイのこと助けるよ。遥子は最初あったときに困ってる人がいたら助けるのは当たり前だって言ったよね。私も当たり前だって思えるようになりたい。ねえ、千草、私を見つけて。また、あの視聴覚室みたいに」


 顔をべしゃべしゃにしながらその放送は終わった。

 そこにハルカナはいなかった。ただ、他の誰でもない、本当の井村美香だけがいた。

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