19,おにぎり×仮病×ハルカナ【井村美香】

 始めて学校をズル休みしてしまった。

 お母さんに熱はないけれども物凄く体がしんどくて風邪みたい、と言ったらすんなり休ませてくれた。ただ、具合が悪いのは本当だった。昨日の夜は悔しかったり腹が立ったりなんだかよくわからない感情でぐるぐるして殆ど一睡もできなかった。風邪なんだから風邪の振りをしようと思って布団に横になっていたらいつの間にか寝てしまっていたみたいで、目が覚めるともう昼の12時を回っていた。窓の外を見ると雨。朝から降り続けた雨はまだ止みそうになかった。梅雨が近づいているのかもしれない。リビングに降りると机の上におにぎりが置いてあった。お母さんはもう仕事に出た後のようだった。テレビをつける。地上波の民放は2局しかない。チェンネルを回すけれども面白そうな番組はやっていない。ケーブルテレビを回しても同じような感じだった。結局地上波のNHKにする。丁度道徳の番組をやっていた。3,4年生の道徳。友達とは仲良くしましょう、人に優しくしましょう、嘘はつかないようにしましょう。くだらないくだらない。おにぎりをかじりながら、ずっと見るのを戸惑っていたスマホを確認する。メッセージが2件。一つは市の防災の連絡で、もう一つは泉野くんからだった。風邪で休んでいる私を気遣う文章の後に、昨日のあれから起こったことが簡潔にまとめてあった。UFOの場所は見つかったけれども、結局鍵がなくて宇宙船は動かなかったこと、ぼやかして書いてあるけれども鍵が見つかる可能性は殆どないこと、そして明日からふたつ池の工事が始まって、そうしたら宇宙船を掘り出すことはもうできなくなるということ。

 もう、どうでもいい、と思った。

 ネイのことはかわいそうだけれども、でも、この地球の上にだってネイよりかわいそうな人はたくさんいる。帰る場所のない人、戦争で故郷を失った人、家族を事故で失った人、そういう人を全部助けれるわけじゃない。結局他人だ。ほんの数日前に知り合った他人。そうだ、私はこういう人間なのだ。他人がどうなったってかまわない。自分のことしか興味がない、自分のことがいっぱいいっぱいで他人のことなんて考えてる余裕なんてない。これが本当の私だ。学校で気を使って優等生を演じてる私だって本当の私じゃない。

 午後、することが無くなって手持無沙汰になった私はTwitterを開く。ハルカナのアカウント。@ツイートを確認、いちいち返信はしないけれどもそこに書かれているコメントは必ず確認する。好き、好き、大好き、時々ディスるコメントもあるけれども、基本的にハルカナに対しての好意にあふれている。検索窓にハルカナと入力してハルカナについて書いてあるツイートを確認。噂や推測、ファンアート。いつもはそれで悦にいったりしているのに、今日はどうにもそれが辛い。結局、私はハルカナではないのだ。昨日みたいなことがあると、そんなことを思い知らされる。

 憂鬱が重なる。そして、今日は、もう一つ憂鬱なことがある。


◇ ◇ ◇


 夕飯が終わり、食器を台所に下げた後、お母さんに具合がよくなったから明日は学校に通うということを告げて2階へ上がる。自室へこもり今夜の準備を始める。クラスの子が持っているのよりも比較的高性能なパソコンの前に座り、マイクとカメラをセットする。組み立て式の段ボールの簡易な防音室を被り、外の音が中に入らないよう、中の音が外に漏れないようにする。カメラとソフトをリンクさせて、ちゃんと動いているか確認。私の腕の動きや瞬きに合わせて画面の中のピンク髪の少女が合わせ鏡のように動く。いつもは自分のように感じられるその子が、今日はとても遠い。この私の動きを3Dモデルに変換させるソフトが上手く動かないと、私本人の顔が大写しになってしまうので注意しないといけない。

 今日、水曜日の夜はハルカナのライブチャットの日だ。夜の11時から12時までの1時間。ハルカナがチャットの質問に答えたり近況とか最近嵌ってるものの話をしたりする。話すことはたわいのないこと。答えられる範囲でファンの質問に答えたり、最近遊んでるゲームの話やアニメやその他コンテンツの話。サーバーの問題か、うちの家では少し反応が遅くて、マイクで話してそれが画面から流れるまで、ちょっとのタイムラグがある。

 10時55分になる。youtubeに接続する。ちゃんとつながってることを確認して、そして11時。いつも通りのハルカナの配信が始まる。

 そして、ハルカナの、いつも一番最初にいう言葉。

「私は誰?」

『誰?』『誰?』『誰?』『誰?』

 いつものプロトコル。私は私の存在を定義する。自分の名前を呼んで、存在を確定させる。私は誰?私は誰?私は、誰なんだろう。

 インターネットのタイムラグ。私の声に少し遅れて、画面の中の少女が問いかける。

『私は誰?』

 そうだ、彼女の名前はハルカナ。彼女が彼女自身でその存在を定義したからだ。いつも明るくて、人を元気づけられる、決して間違わない女の子。彼女が自分で自分がハルカナだって決めた。じゃあ、私は?そうだ、私も、私自身を私で決めればいい。決めなくちゃいけない。

『誰?』『誰?』『誰?』『誰?』『誰?』『誰?』『誰?』『誰?』とチャットはいつものやり取りで埋め尽くされていく。ハルカナの次の言葉がないのでみんなが不安がっている。

 ごめん、みんな。ごめん、ハルカナ。私は、私を、自分で決める。

 だから、みつけて。


 そして私は、私をハルカナに変換させるソフトのスイッチを、切った。

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