第六章

第二十六話 恒星クジラはモーニングを食す

 恐ろしい夢を見て、それよりも恐ろしい現実を食らってから数日。セイは大人しくしてくれていた、肉をしこたま食って満足だったのだろう。わんぱくな子供を百人合体させて濃縮させたみたいな奴だよ、このクジラちゃん。


 クジラ給付金くれないかな、マジで。


 ライターの仕事は順調、これなら破産は回避できそうだ。


 しかし、そろそろセイが暇にかして動き出す頃合いだろう。先手を打っておかないと、今度は飯だけで済まされない可能性がある。爆発する前にガス抜きである。


 さぁて、次は何をしてやるべきか……。


ボイン、ボイン、ボイン


 破裂する前にガス抜きが必要なクジラは、水風船のように弾力を持たせた水の塊を俺の頭にぶつけて遊んでいる。当たる度に強制的に頷かせられているが、そろそろ叱るべきだな。


「おいこら、やめんばぶっ!?」


 振り向いた俺の顔面に、投げつけられた水の球が直撃した。






 黒のTシャツに紺のジーンズ、足下は茶色のブーツ。

 今日のセイは活動的な格好だ。まあ、俺がそうするように指示したんだがな。というのも今回の行先にヒラヒラした服は不適切、悪目立ちしてしまうのだ。


 車を運転する俺の隣で、セイは大人しく雑誌を読んでいる。これから訪問する場所の情報が載ったものだ。


 一般的には車の中で本を読むと車酔いをするものだが、セイに関しては問題無し。もしお口からリバースしたら地球がヤバイ、ブラックホールが吐き出されてもおかしく無いのだ。三半規管が丈夫で助かるよ、マジで。


 以前の奥地の滝ほどに奥まった場所へ行くわけじゃ無い。それどころか町のど真ん中にある場所だ、アクセスは容易も容易である。


 幹線道路を進む。車は多いが他車の車線変更や信号機の色に気を付けておけば、大きな問題は無い。こういった道は運転しているとストレスが無くて気持ちいものだ。


 山と川に挟まれた道も楽しく、細くねじくれた道も趣深いんだけどな。


 車線を左に変える。ウインカーも移動も余裕をもってゆっくりと、だ。信号で停止したら、隣のセイをちらりと見た。こっちも余裕をもって確認しておかないと悪戯される可能性もあるんでな……。


 万が一にも何かされたら、俺はともかく他の人に迷惑が掛かる。ハンドルが振れたら危険すぎるからな、怖い怖い。


 何度目かの信号停止で、セイがこちらを見た。そしてフロントガラスにメモをペトリと貼り付ける。そこに書かれていたのは一つの矢印。


 ここで曲がれ、という話ではない。交差点の向こう側の店を指しているのだ。俺の視点でそこを指している事が分かるように貼り付けるとは、何ともお願い上手な事で。


 仕方ない、昼食にはずっと早い時間だが入るとしよう……。今回は俺は何も食わんぞ、朝飯食ったばかりだからな。


 交差点を超えた所でウインカーを出し、歩行者に気を付けながらハンドルを切った。朝とも昼とも言えない時間なのにも関わらず、店舗駐車場はほぼ満車である。端っこに唯一空いていた場所へ駐車し、俺達は店へと入った。


 入店票に名前を書いて、少しばかり待つ事になる。一人ならばカウンター席などでも大丈夫だが、隣の至近距離から見られる状態にセイを置くのは流石に良くない。テーブル席となると時間が掛かるのは当然だ。


 年配の方々が会計を済ませている、そろそろ俺達の番だろう。スマホに落としていた目を上げて、名を呼ばれるのを待つ。


 レジ対応を終えた店員さんに牽かれて席へと辿り着き、やはり俺達は向かい合わせに座った。流石にまだ注文は決まっていない、あとで呼ぶ事を告げて俺達はメニュー表を机に広げた。


 飲み物、パン、軽食にデザート。メニュー表は綺麗で、そこに載せられた写真はまさに宣材写真だ。どれもこれもが自身の事を選べと主張し、客の目はどうしても迷ってしまう。


 ここは先に訪れた老舗喫茶店とは違う、チェーンの喫茶店である。幹線道路沿いである事も相まって、客の入りはかなり多い様子だ。それでいながらゆったりとした雰囲気があるのは、ファミレスとはまた違った店舗の姿であろう。


 流石に何も頼まないわけにはいかない、俺はコーヒーにでもするか。


「セイ、どれにするんだ?」

『これ』


 ヒュッと飛んだメモが文字を指す。フルーツジュースとは、何とも外見と似合った品である。


「んじゃ、それを―――」

『これと、これと、これも』

「んなっ」


 ペラリと捲られたページに次々とメモが滑り込む。


 ナゲットにポテト、更にはサンドイッチまで。おいこら、さっき朝食食ったばかりだろうが。ブラックホール胃袋にしたって、ちょっとは手加減しろっての。


 …………お財布が。


 ガクンと肩を落とした俺の頭をセイが見えない手で撫でる。うん、元凶であるお前のせいでこうなってるんだが、慰めてくれて、ありがとよっ!


 声は張らず、手をあげて目で示して近くに来た店員さんを呼ぶ。こちらに気付いてくれてサッとテーブルまで来てくれた。


「コーヒーとフルーツジュースと、コレと、これと、これ……」


 諦めの境地にありながら、注文する。


「ええと、サンドイッチは結構量がありますが大丈夫でしょうか」

「何の問題もありません」


 俺の即答に店員さんは思っただろう、朝食に寄ったんだろうな、と。残念ながら違うんだなぁ、これが。


「モーニングはどうされますか?」


 ああそうだった。


 今はモーニングサービス時間、飲み物を頼むとパンが付いてくるお得タイムだ。普段であればパンとゆで卵を頼む所だが今回は……。


くいくいっ

「ん?」


 ほんの少し、店員さんに気付かれない位の強さで俺の袖が引かれた。


 セイが俺の事を、じいっと見ている。何を言いたい、モーニングも頼めってか。まあいいパンと卵は無料だ、思う存分食いやがれ。


「お願いします」


 どれだけ食うんだこの人。多分店員さんはそんな感じの事を思って、俺の事を健啖家けんたんかだと思っているだろうな。


 生憎だが、その対象は俺ではなく向かいの少女だ。


 運ばれてきた料理達は、俺がコーヒーを一杯飲み干す間に机の上から消失した。

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