第二章

第七話 恒星クジラは料理を手伝う

 昼前、となれば当然食事を作らなければならない。先程スーパーで買い出しをしたので、冷蔵庫の中の物資は潤沢だ。さーて、今日~は、な~にを作ろっかなー。


 よし、決めた。


 冷蔵室から深めの白トレイに入れられた挽肉ひきにくを取り出した。牛豚の合い挽きである。牛肉百パーセントで作りたいけど、資金的にちょっとねぇ……。


 ボウルを用意して、そこに卵を二つ割り入れる。ちゃちゃっとかき混ぜたら一旦放置。


 野菜保管用になっている金属ラックから、タマネギをひと玉。パパっと茶色い皮を取り払って表面を水洗いする。まな板の上に置いて、さてさてここからが大変だ。涙なしには語れない、みじん切りである。


 と、その時、脇腹をドスッと強めに突かれた。思わず「ングッ」と声が出る。


「ちょ、包丁持ってるんだから危ないっつの!」


 セイに突き刺さったとしても問題は無いだろうが、俺に刺さったら大問題だ。𠮟りつけようとした俺の顔の前に、いつも通りメモ用紙がスッと現れる。


『手伝う』

「え、手伝ってくれるの?」


 自由気まま、やりたい放題。常識無視で時々素直。そんな少女が手伝いを申し出てきた。なんだろう、この……子供が親の家事を手伝おうとするみたいな感じは。


 だが援軍を出してくれると言うならば、断わる理由などない。


「そりゃ助かる。じゃあ、このタマネギをみじん切りにしてもらおうか」


 ふっふっふ。いつもやられ放題では面白くない。瞬きをしないセイにとって、タマネギが生じさせる硫化りゅうかアリルはさぞ目に効く事だろう。俺だったら、涙どころか鼻水も出る程に強烈な催涙成分だからな!


 差し出した包丁、だがセイはそれを握ろうとしない。


 手伝うと言ったのは嘘だったのか?また俺はおちょくられたのかと溜め息を吐き、自分の作業に戻ろうとする。


「あれ?」


 まな板の上にはのままのタマネギ、だったはず。それがいつの間にか、いい具合の粗さのみじん切りに変わっていた。自分でやった記憶は無い、となると手伝ってくれた者のおかげである。


「セイ、やってくれたのか」

『すぱぱぱ、すぱーん』


 音も何もなくタマネギ一個をみじん切りにした。刃物は使っていない、目に見えない手は鋭い斬撃も繰り出せるようだ。…………怖い。


 気にしても仕方ない、ケセラセラの精神でいこう。


 ひき肉をボウルに放り込み、セイが一瞬でみじん切ったタマネギをまな板の上からザザッと流し入れる。続いて塩と胡椒をいい塩梅で振り入れて、下準備は完了だ。


 さて、じゃあ次は混ぜ合わせだ。


『やる』

「あ、やってくれるの?混ぜ合わせ」


 俺が聞くのが早いか、セイの行動が早いか。目の前のボウルの中身がグネグネと動き出した。不可視の手で混ぜ合わされている事から、何とも不思議な光景である。


 ちゃんと人肌の暖かさを発しているようで、挽肉の油が溶けて混ざっていく。赤と白、そして黄色だったボウルの中身は、全て混ざって粘り気のある赤い球となった。


 セイの手伝いに礼を言い、次なるステップへと進む。


 一個の大きな球を二分割して平たくし、小判型に整える。右手から左手、左手から右手へ宙を飛ばして、パパンパパンと空気を抜く。ステンレス製のバット浅い容器に二つを置き、真ん中を少し窪ませて下準備完了。


 それを冷蔵庫の中へと安置する。次のステップは二十分後、それまではセイ居候と遊んでやろうではないか。


「さて、じゃあ二十分待機だ。時間があるから遊んでやろうわっ!?」


 後ろから前へと両足が払われる。身体が宙に浮き、そのまま後ろへと倒れ……る事は無かった。身体が宙に浮いた状態で静止しているのだ。


 とりあえず後頭部から転倒しなくて良かったが、仰向け状態で天井を見続けるのは寝る時だけで十分である。そう思って立ち上がろうとしたのだが。


「身体がっ、動か、ないっ!?」


 足をバタつかせる事も、腕を振り上げる事も出来ない。首から上だけは動くが、それでどうにか出来るような状態ではないのである。


『捕まえた』


 この上なく恐ろしいメモが、ちょうど読みやすい距離で顔の前に滑り込む。気遣い上手なお嬢さん、気を使うべき箇所はそこじゃねぇんだわ。


 スッ転んだ仰向け姿勢のまま、俺は連行されていく。キッチンからリビング、その真ん中へ。何をする気だ…………?


 ゆらっと身体が左右に揺れる。ゆーら、ゆーら、ゆーら、ゆーら。ゆっくりと身体が弧を描く。そうだ、ハンモック。それに寝て揺られている感じだな、コレ。


 あ、もしかして俺の事を労ってくれているのか。導入はちょっと乱暴だったが、こうしてゆったりさせてくれるのならば悪い気はしない。問題は、寝てしまって二十分後に調理再開出来なかったらどうしよう、という事である。


 ゆら、ゆら、ゆーら、ゆーら、ゆぅぅーら、ゆぅぅーら、ゆぅぅぉぉんっ、ぉん、ぅぉん、ぅぉん!


 うん、知ってた。

 遊んでやると言った通り、セイは遊んでいる。ただし『俺で』な!


 ハンモックの様に揺られていた身体は、鉄棒の大車輪の様に回転している。目に映る部屋の中が、見た事の無い動きで通り過ぎていく。三半規管が悲鳴を上げ、なんだか胸にこみあげてくるものが……うぇぷ。


 ちょっと待ってくれ、コレが二十分続くのか?確実に吐くぞ?ゲロ水車になるぞ?どうにかして止めなければっ!


「あぁっ、あぁっ、ちょ、セイ、さんっ。やめ、て、くれ、ません、かっ、!?」


 体内が揺さぶられるせいで、断続的にしか声が出ない。


「ぐっ、ちょ、やめっ、こらっ、やめ、なさ、いっ、!」


 まずいまずいまずいまずいまずい。胸にこみあげていたものが、喉辺りまで来ている気がするっ。どうする、どうすれば止まる?あーっ、あーっ、もう駄目だぁ。


「もう、駄目、だっ、吐くぞ、吐いて、やるぞ、セイ、お前も、みち、づれ、だっ!」


 キキィッ!とでも表現するべきか。大車輪だった回転が、それくらいの速度で急停止。肺から無理やり空気が排出され、んぶっ、と変な声が出る。とりあえず、液体と固形物が宙に舞う事は無かった。


 身体の拘束は解かれ、なんとかかんとか立ち上がる。おそらく今の俺の顔は真っ青だろう。よろよろと歩いてセイに近付き、その頭にトツンと手刀を落としてやった。


 その後、俺は実に有意義な休憩を取る事になる。寝室でもリビングでもキッチンでも、風呂でも玄関でも廊下でも収納でもない、とある場所で。


 食事の前に完全なる空腹となった俺は、料理の続きへと取り掛かった。


 フライパンに油を引いて熱する。冷蔵庫からバットを取り出し、二つの肉小判を温まった鉄の上へと送り込んだ。じゅわぁ、と音がして肉の油が溶けだした。


 片面を焼いたらもう一面を。そちらも焼けたら、少量の水を注いで蓋をする。しばし待つ事で完成だ。焼き上がったそれを器に移し、フライパンに残った肉汁を使ってササっとソースを作って掛けてやる。


 それを机に運び、炊きあがったご飯を器に盛った。


 今日の昼食はハンバーグ。


 うむ、実に旨そうだ。惜しむらくは、口の中のどこかが酸っぱい事だな!

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