第八話 恒星クジラはテレビを見る
昼食に使った食器とフライパンを洗って片付け、水出し緑茶をコップに注ぐ。
昨日の夜、自宅襲撃犯に麦茶を飲み干されたが緑茶は無事だった。朝に冷蔵庫を開けた時に飲み干されなかったのは幸いだ。パックから煮出したり、水出しで作るの、それなりに時間かかるからな……。
コップは二つ、俺の分とセイの分。知らないうちに大元から飲むのは勘弁してほしい。こうして習慣づけしないと、飲みたいと思った時には空になってるだろうからな。
実際、さっき開けた時に空容器が幾つか冷やされていたからね。またやりやがったな、窃盗犯め。弁当用に常備菜は欲しい、これ以上食われるとちょっと厄介だ。
ソファの前のローテーブルに、既に座っているセイの分の緑茶をコトリと置く。俺は隣に座り、テレビを付けた。
やはり番組構成は変わらない、月探査機での恒星クジラ着地が可能かどうかが議論されている。NAOJ……国立天文台の人が出演して、現時点で確認できている情報と探査機の性能について解説中。
ここまで多くの人々が一斉に宇宙を見上げ続けた事は、歴史上で無いんじゃないかな?近い所だとハレー彗星が世界的な天文ショーだと思うけど、簡単に見る事が出来る場所に常駐するようなものでは無かった。
恒星クジラは、三千円くらいの天体望遠鏡キットでも簡単に観測が出来る。もっと言ってしまえば、姿だけなら肉眼でも大丈夫だ。多分いま、天体観測が出来るキットとか望遠鏡が飛ぶように売れている事だろう。
そんな事をテレビを見ながら考えていると、ふと気になる事が頭に浮かんだ。
「なあ、セイは探査機が体にくっついても何にも思わないのか?」
恒星クジラの大きさからすると、探査機程度はノミ以下の大きさ。皮膚、で良いかは分からないが、上に載ったそれは好き勝手に自分の体を調べるはず。自分の身を勝手に見られるわけで、どう感じるものなのだろうか。
『別に』
コップの横に滑ってきたメモ用紙にはそれだけが書かれている。つまりは気にしない、と。まあ言ってしまえば世界中の人間から、好き勝手に全身を見られているのだから今更なのだろう。
そもそもが太陽系よりも巨大な存在なんだから、人間は塵のようなもの。違うな、地球が塵で人間はゾウリムシ以下、いや未満だ。
さてそんなゾウリムシに負ける存在感の俺に、神の様な少女は次は何をしてくるのか。一応は死なないように手加減はしてくれている様子だが、いつ
机に置いたコップの中身がじわじわ減っていく。
だがセイはテレビの画面を無表情のまま見つめているだけ。俺は彼女の横顔を見ながら考察に
セイは食べ物飲み物を経口摂取しない。そもそもが手で何かを持ったりもしない。全て念動力というか、見えざる手というかで動かし、飲み食いをしている。
更に瞬きや呼吸などの、人間が自然に行うそれをしない。流石に胸に触れるわけにはいかないから確証はないが、おそらくは心臓の鼓動も無いのだろう。
十二時間以上経ったが、セイは一度もトイレに行っていない、排泄も必要ないという事である。食ったり飲んだ物、どこ行ってるんだ……?
恒星クジラは元は太陽系よりも大きかったのに、今は月の大きさになっている。つまり、自分の体を自由自在に変化させられるという事。
クジラが自分の身を分割して地球へ送り込んだ……と思われるセイ。今の彼女は俺よりも小さいが、元のクジラの大きさから考えるならば、地球を簡単に握り潰せる程の巨体であるはず。
そんな存在が人間の食べ物などを摂取したとしても、塵を呑み込んだ程度の量にしかならないのか。腹減らないのかな……?
彼女は言葉を発さない。全てメモ用紙に印字した物を俺に見せるだけだ。発音するという器官が無い可能性がある。もし地球上のクジラと同じ性質を持つならば、エコーロケーションで意思疎通を行うのかもしれない。
言葉や意思を交わす相手が生まれて
『昨日未明、都内で発生した無差別殺傷事件に関して―――』
宇宙について報じていたテレビ番組がニュースに変わった。有り得ない事へ目を向ける事は楽しいが、俺達は日常を生きている。いつまでも空を見上げ続ける事は出来ないのだ。
恒星クジラの出現によって霞んでしまった大事件、都内のとある場所で発生した通り魔だ。死者一名、負傷者は五名で犯人は刃物を持ったまま逃走中。警察も報道関係も大騒ぎである。
「酷ぇ話だよなぁ。どうせ動機は『誰でもよかった』とかだろうし……死んだ人は生き返らないんだよ、クソ犯人め」
手にした茶をずずずっと啜る。
非日常であるが、クジラと違って悪い方のそれ。刺殺された人とその遺族にとっては、宇宙のクジラなんて何の意味も無い。世間が浮かれて事件が霞む、むしろ恒星クジラの事を恨んでいるかもしれない。
遺族に同情する。どうにかならないかとも思うが、自分に出来る事など無いのだ。
あ、そうだ。
「なあ、セイなら犯人が何処にいるかとか分からない?」
試しに聞いてみた。探偵モドキをやるつもりは無い、ただの興味である。
『ここ』
「マジか」
すいっ、と机を滑ってきたメモ用紙。そこには住所ととある名前が書かれていた。とはいえ、これを証拠として警察に連絡しても信じてもらえないだろう。
どうにかして事件解決に繋がらないか。メモを手にして悩むが、流石にどうしようも……。俺が直接訪ねるわけにもいかないし、セイを連れて行ったとして守ってくれるとも限らない。
うーん、と唸っているとクルクルと回りながらメモが滑ってきた。
『火事』
「は!?」
バッと立ち上がる、俺んちが燃えてるのか!?
部屋の中を見回すが、特に異常はない。外でも騒ぎは起きていない様子。疑問符を頭に浮かべながらストンとソファに掛け直すと、追加でメモが置かれていた。
『犯人の家。ニュースにどーん』
意味が分からない内容に、俺は首を傾げる。どういう事だろうと考えていると、ニュース番組の画面が切り替わった。
『現場近くの住宅、火事です、火災発生!消防による消火活動が始まっています』
アパート二階から赤々と燃え上がる炎、噴き出す黒煙。事件現場を撮影していた現地スタッフたちがすぐさま駆け付け、映像をリアルタイムで視聴者へと送ってくる。
その住居から逃れてきたであろう住人が、その光景を見て呆然としている様子が映された。不幸な事件の隣でまた不憫な人間が、と世間の人は考えるだろう。
だが、俺だけは違った。
『これ』
テレビ画面に貼り付いたメモ用紙。ご丁寧に矢印まで書いて、焼け出された男性の事を指している。
画面に火災現場の住所が出た。それはさっき見た文字の羅列。
火事、犯人の家、ニュース。さっきセイはそんな事が書かれたメモを俺に見せてきた。火事が起きる事を予知したのか、それとも発生を教えてくれたのか。
それとも。
「やった……?」
『やった。ボッとファイア』
さも当然の様に少女はメモを飛ばす。
犯人が分かるからその家を燃やして追い出し、テレビに映させる事で捕まえさせる。事実、画面の中では警察官が焼け出された男と取っ組み合いを始めていた。防犯カメラの映像とニュース映像、双方に映る男に気付いて駆け付けたのだろう。
しかし、それにしてもスムーズすぎる。まさかとは思うが、この流れもセイが何かをした結果なのかもしれない。そして、更なる情報がニュースに追加された。
『死亡が確認されていた被害者の○○さんが、病院で息を吹き返したとの事です!』
三連発の奇跡が同時に発生する確率とは、果たしてどのくらいだろうか。
それこそ、天文学的数字が出るに違いない。
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