第十二話 恒星クジラは外を見る
夕食を終えて少し。
そろそろ月が出る時間、そして昨日からは恒星クジラが現れる時間だ。街の中が俄かに浮足立ち、テレビでも月を観測するイメージを出して解説している。まだ二日目、クジラフィーバーはアッツアツだ。
我が家のクジラちゃんはと言うと。
冷蔵庫に保管したホールケーキから三角形を一つ切り取って皿に乗せ、ソファに掛けてテレビを見ている。時折三角形の一部が消え去るので人間がそうするように、ながら食べをしている様子。
なんとも人間らしい宇宙人、身近に触れ合える超常存在である。ただし常識は持ち合わせておらず、遊びの感覚で人間を危機に陥れるがね。
窓の向こうが俄かに騒がしくなってきた。夕焼け空が黒へと変わり、よりしっかりと月が見えるようになってきたのだ。そして同時に、月の隣で真空の
…………そういえば。
昨日、家に帰ったらクジラの少女がいた。そこから怒涛の出来事が連続して疲労困憊……肉体的疲労は抜き取られたが精神的に疲れて就寝。で今日は、朝飯食って、買い出しに行って、昼飯食って、洗濯して。おやつにして、総菜作って、そして今。
俺、夜空に漂ってる恒星クジラ、見て無くない?
身近にそれ以上に不思議なのがいたから気にして無かったが、折角ならフィーバーが起きている時に見ておきたい。いやまあ、明日だろうが明後日だろうが見える
よし、じゃあ今日観測するとしよう。人類の中で、空のクジラと地のクジラの両方を直接見た人間は俺だけになるのか。実は俺、海のクジラを直接見た事ないんだよねぇ……。
特殊な方を先に経験する事になるとは、人生はよく分からないものである。多くの人にとって一寸先は闇、俺の場合は一瞬先にクジラだったわけだ。
さてさて、流石に天体望遠鏡は無いから双眼鏡を出してこよう。寝室に置いてある鞄、その中に入れてあったそれを取り出してリビングへ戻った。
うちのクジラは変わらず、自身の事を報道しているテレビ番組を見ている。何が楽しいんだろう。彼女から見て『へんないきもの』である人間が騒いでいるのを、俺達が動物園の動物を見るような感じで面白がっているのだろうか。
まあ、大人しくしてくれているならそれで結構。ガラリと掃き出し窓を開けて、リビングからベランダへ出る。その縁に寄り掛かり、夜空へと双眼鏡を向けて覗き込んだ。
肉眼で見るよりも大きく月が見え、そしてその横に更に大きくクジラが見える。おお、これは中々壮大だ。ゆったりと胸びれを動かし、時折尾びれも動かしたりする。何よりも真っ白な体が神々しく、テレビの出演者が神様がどうたらと言うのも頷けるな。
三つ見える緑の目、これもまた綺麗。ライトグリーンを濃くした深みのある緑で、どこか黒っぽさもある艶やかな
流石に安物の双眼鏡程度では限界があるが、天体望遠鏡で見たとしたならクジラと自分が見つめ合っている様に感じる事だろう。今年の夏休み自由研究は、九割以上がクジラ天体観測になると思うぞ。
双眼鏡を一旦下ろして夜空全体を見る。それにしても、月と同じ大きさの物が夜空にあるという違和感よ。今までの人類が当然の風景としていたものが急に変化したのだから、当然と言えば当然だ。
月は地球の
ふと周りを見てみると、多くの建物の部屋から灯りが漏れている。俺と同じようにカーテンを開けて外に出て、空のクジラを見上げているのだ。ご近所さんも遠くの誰かも、みんなみんなが同じ夜空を見上げる。なんとも詩的で良いではないか。
もう一度双眼鏡を装備する。
…………うん?倍率を変えたかな?というかそんな機能あったっけ?
緑の珠しか見えないんだが。視界が深いライトグリーン一色、瞳孔と
「うおっ!?」
気付いた。双眼鏡の反対側からセイが覗いている事に。そりゃ人間の目に見えるわ、人間?の目を見てたんだからな!
それはそうと、俺はベランダの縁に寄り掛かる形で空を見ていた。その目の前に居る、つまりは宙に浮いているという事だ。もう戸惑わなくなってしまったが、まだ遭遇から丸一日しか経っていない。本当に慣れって怖い。
周辺住民は一昨日とは違って、積極的に外に出てきている。月明かりに照らされた真っ白な少女が宙に浮いていたらひときわ目立ってしまう。
「こらっ、空中に浮くなっ。周りの人に見られたら面倒な事になるだろがっ!」
怒鳴って注目を集めるわけにはいかない、声を抑えながらも強めに指示をする。俺の言葉に納得したのか、セイは大人しくベランダへと着地した。
『てへぺろ』
「気に入ったのか?ソレ……」
開けられた掃き出し窓の向こうから、手裏剣の様に回転しながらメモ用紙が飛んできた。そこに書いてあるのは茶目っ気たっぷりの言葉だ。
本心から反省しているとは思わない。というか思えるわけが無いだろがっ、絶対に俺を焦らせるためにやったんだろうからな!
俺の隣に並んだセイは月を見上げる。
兎が餅
人には出来ぬ事を容易く行う空と地のクジラは、お互いを感情の無い緑の珠で見ていた。
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