第四章

第十八話 恒星クジラは車に乗る

 朝食を終えて、俺は着替える。


 クローゼットの中の服が鳥か蝙蝠こうもりの様に部屋中を飛び回ったが、何とかなった。うん、良い運動になったよ。ちくしょうめ。


 今日は自室での作業じゃない。鞄とカメラを手にして、外出である。


 そして、セイはお留守番!


 ……といきたい所だが、家に置いておいて自由気ままに行動させたらどうなるかが非常に心配である。というわけで、仕事ではあるが同行させる事にした。まあ、出版社さんへ顔を出したり、打ち合わせに行くわけじゃ無いから大丈夫だ。


 セイに服を着替えさせる。だが、スーパーや散歩に行った時とは違う格好になった。薄青のフリルブラウスに黒のハーフパンツ、足下は白のハイソックスと茶色のパンプスである。


 服装、気分で変えるんだ……。その辺には頓着しないと思っていたから意外である。まあ毎回同じ服だと近所の人から変な目で見られそうだしな、良い事だ。


 部屋の扉を開けていざ出発。アパートの階段を下りて駐車場へ行き、我が愛車のドアを開く。俺は当然運転席へ、セイは助手席に掛けさせた。


 エンジンを始動し、ギアをドライブに。サイドブレーキを解除し、ゆっくりとアクセルを踏んだ。ゆるゆるとタイヤが地面を転がり、駐車場から道路へと車体を運んでいく。


 右と左の双方を確認して道路に出る。それほど車通りの多くない道を進み、すぐにとある場所の駐車場に停車した。


 先日買い出しに来たスーパーである。言っておくが、ここが最終目的地じゃないぞ?ここは徒歩でも苦も無く来られる場所だからな。ここへ寄ったのは移動中の飲み物確保のためだ。


 俺はブラックコーヒー、セイはオレンジジュースを買った。……二リットルの。


 外出時の車の中で飲むようなもんじゃないだろ、ソレ。


 二リットルペットボトルを助手席には置いておけないので後部座席に。蓋が開いていないのに、中身がじわっと減った。飲み物が後部座席にあろうがセイには問題ない、なんとも便利なものである。


 再びエンジンを始動させ、今度はナビを設定する。目的地までの途中で最低一回は休憩するべきだな。途中の休憩地は……ここにするか。


 旅の行程を考えながら設定を終える。さて、今度こそ出発だ。


 大通りへと出て、ナビの誘導の通りに進んで行く。一時間程度で奥まった場所じゃないならナビ無しでも良いんだが、今回の行先はそれなりに掛かる上に奥まった場所にだからな。


 それ相応に時間もかかる、休憩なしのぶっ通し運転で二時間だ。途中で休憩を挟むのと道路状況も考慮するなら片道三時間弱といった所か?もう少し短いかもしれない。


 一般的なドライバーにとっては中々の距離と時間かもしれないが、俺は旅を中心に記事を書いているライター。この程度は何するものぞ!である。


 町の中心に近い幹線道路はやはり車通りが多い。渋滞とまでは言えずとも、信号にぶつかる度に長い列が生じるのだ。


 十台程度前方の車が赤のランプを光らせる。それに応じて九、八、七、六、と俺の前の車が同じようにブレーキをかけていく。遂には前の車にもそれが点った。それに呼応して、俺はアクセルから浮かしていた足を僅かに左へずらしてゆっくりとペダルを踏み込んだ。


 思い切り踏み込んでしまうと、慣性の法則によってガクンと衝撃を受けてしまう。俺はともかく、本日は隣に同乗者がいるのだ。そうした『ちょっとの乱暴運転』は普段から気を付けておかないと、こうした時にすぐには切り替えられないものである。


 で、その助手席のお客様はというと。ぼんやりと……いや普段からそうなのだが、まあそんな感じで窓の外を眺めていた。前方には赤い車、左隣にはバイク。車体に塞がれていない左側は、道路沿いに建つビルが見えている。


 ふとバイクに跨るライダーがこちらを見た。彼のヘルメット越しの目には、俺の車の助手席に座って自分か歩道を眺めている、何とも愛らしい少女の姿が映っている事だろう。


 我々を止めていた赤の信号がに変わる。先程赤ランプの始点となった車からそれが消え、ゆったりと車の列が動き始めた。


 ライダーがひらひらとセイに向かって手を振る。声が届かない中で、バイバイ、という挨拶だ。隣に居た彼は左ウインカーを点らせて、背中を見せて走り去っていった。


 気さくな人物だ。彼が何処に行くのかは分からないが、道中の安全を祈っておこう。まあそれよりも俺が安全を心がけねばならない。他者の安全を願っておいて、自分が事故を起こしてしまっては元も子もないからな。


 アクセル、ブレーキ、アクセル、ブレーキ。どちらも急には行わず、まったりゆったり。俺が操っているのは重量一トンの鉄塊、横着をすれば殺人兵器である。それをしっかりと自覚してハンドルを握り、そしてアクセルを踏み込むのだ。


 隣に停止した乗用車の運転手は発進と停止の度に変わるが、彼ら彼女らは代わる代わるセイに目を向けている。それだけ彼女は特徴的、見る人にとっては人形の様な美少女なのだ。


 『どこどこへ行く途中で、隣の車に乗ってる可愛い子を見た』って誰かと話をするんだろうな。何も知らない人はいいなぁ。皆のちっちゃな幸せの反対側で、その美少女クジラに振り回されている俺。…………誰か同情して?


 歩道の向こうにビルが並び、頭上には高速道路の高架が繋がる。ここはまだまだ都市部、共に走る車たちはまだまだ多い。彼らは何処へ向かっているのだろうか、少なくとも俺と同じ場所へ行こうとしている人はいないだろう。


 次の信号を左折とナビが指示を出す。左車線の状況をしっかりと確認して、余裕をもって左ウインカーを点す。チカチカという音が車内に響き、ゆったりと車線を変えた。


 曲がる交差点の信号が赤に変わる。今度は俺が始点となって赤ランプ。後続車たちも同じように停止していく。


 歩道に近付いた事で、セイの目には道を行く人々が映っている。先のライダーと同じように、視線に気づいた歩行者がちらりと彼女を見た。前方の横断歩道を行く人の中にも同じように目を向けている人もいる。


 月の隣に在るクジラと同じく、なんともまあ人気者だねぇ。当事者な少女はそんな事、欠片も気にしていないだろうけど。


 歩行者信号が点滅を始める。歩いていた人々が小走りになり、渡ろうとしていた者は歩みを止めた。垂直に交わる道を行く車たちは停止し、右折する機会を待っていた車両が矢印信号に従って曲がっていく。


 正面の信号が青に変わった。


 俺はゆっくりとアクセルを踏み、ハンドルを左へ回す。横断歩道を行く歩行者や自転車に気を付けて、右と左をしっかり確認。問題無しを判断して、横断歩道を垂直に跨いだ。


 目的地はまだまだ遠い。ゆったり安全第一で走っていこう。

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