第十七話 恒星クジラは雑誌を読む

 無事、帰宅。

 袋、貰っておいた方が良かったな。食べ終わったアイスのゴミ持ったまま歩く事になっちまった。帰宅と同時にゴミ箱へ直行させたが、なんかベトベトする……。


 洗面所でハンドソープ付けて手を洗う。アイス汁付けたまま部屋の中の物に触りたくはねぇからな。ちなみに家の入口ドアはセイに開けさせました。


 タオルでキッチリと水気をふき取り、リビングへと向かう。


 本日のセイはソファに掛けて待機中。テレビを付けていない所を見るに、自分の事ばかり報道されているのに飽きたのかもしれない。


 このまま放っておいても良いが……いや、良くない。絶対に俺遊ぼうとするはずだ。何かしら別の事に興味を向かせなければっ!だがしかし何が良いだろうか、家の中にある物は限られている。


 あ、そうだ。ちょうど良い物があった。


 思い付いたソレを取りに寝室兼仕事場へ向かう。書棚の扉を開けて一冊の本を取り出し、それを携えてリビングへと帰還した。


「退屈ならこれなんかどうだ?」


 手渡しした本、それは旅行雑誌である。資料のついでに、個人的な旅行のために買った物だ。中部地方にフォーカスした内容で観光スポットや店等々、参考になる内容ばかりである。


 差し出したそれが俺の手から離れ、宙に浮いてセイの前で止まった。ペラリとページが捲られ、クジラはそれの中身をじぃっと見つめている。どうやらお気に召したようだ、これで俺の安全は保障されたっ。


 さて、俺も何か読みますかね。


 セイの隣に掛けて、適当に持ってきた数冊の本をローテーブルに置いた。普段がPC作業だからか、電子書籍よりも紙の本を求めちゃうんだよなぁ。


 お互いに本へと集中する。

 部屋の中には鳴るのは紙を捲る音だけ。ここ二日、かき回されて混乱しっぱなしだったので、穏やかに過ごせる時間というのが尊く感じてしまう。


 俺が読んでるのは小説、いわゆるライトノベルである。ハードカバーの小説も持っているが、こっちも分け隔てなく好きなのだ。異世界転生ファンタジーとか、結構好きなのよね。


 活字をんでいると、文字が動いていく感覚がある。乱視やゲシュタルト崩壊の事じゃないぞ?頭の中で文字が形となり、それが行動していくのだ。


 そして登場人物や世界観の骨格が構成され、その後に鮮やかに姿を成していく。そこまでいってようやく、物語の中央に自分が入り込んでいる感覚を覚えるのだ。


 まあ今はこんな事を考えているが、別に眉間に皺を寄せて読んでいる訳ではない。肩の力を抜いて、ただぼんやりと楽しんでいるのである。みんなもそうだろ?そうでもないか……?


 一冊読み終えた頃、セイはまだ雑誌の半分まで到達していなかった。随分とゆっくりじっくり読んでるな、そんなに気にいったのか。今後は各地の情報誌を与えておけば静かにしてくれるだろう。


 …………いや、早々に飽きて俺に興味が向くな、間違いなく。


 紙の音はまだ続く。外からは時々、車やバイクの音が響いてくる。ほぼ動きの無い室内とは異なり、窓の向こうではまだまだ人々は動き続けているのだ。


 外からの音ををBGMとして、俺は異世界の住人になる。主人公自体になって経験するというよりも、それを横から見る第三者という目線になる事が多い。今もそうして、主人公たちの一歩半後ろから物語の世界を歩いていく。


 危機に遭遇してそれを乗り越え、心強い仲間を得て巨悪に立ち向かい、最終的には強敵を打ち倒す。全ては円満に、ハッピーエンドで物語は終結した。


 次なる一冊はミステリー。導入は平和そのもの、だがしかし突然の殺人事件が発生する。舞台は逃げ出す事の出来ない密室状況クローズドサークル、誰が犯人か分からない疑心と恐怖が登場人物たちを包んでいく。


 一人、また一人と物語から消えていく中、主人公は些細なきっかけから犯人のヒントを得る。俺はそれが誰なのか、そして物語のあらゆる場所に散らされたヒントは何なのかを考えていく。


 犯人はお前だ!そう言い放った主人公が指さす先。そこには意外な人物が立っていた。滔々と述べられていく動機とトリック、俺の平凡な頭では予想もつかなかった驚愕の手法である。


 これを頭に入れたうえで初めから読み直したなら、また違った楽しみ方が有るだろう。そう考えつつ、名探偵の推理を見終える。


 立て続けに二冊、ちょっと目が疲れた。そうだな、コーヒー……いや、もう夜だ、ココアにしよう。ソファから立ち上がる所でふと隣を見ると、セイはまだ雑誌を読み続けていた。


 そこまで分厚い雑誌じゃない、それを深く読み込んでいるのは意外だな。ササっと読み終えて、次を催促されるものと踏んでいたが。まあ、静かにしてくれるならば助かる助かる。


 小さめの鍋を取り出して、そこに純ココアの粉末と砂糖を入れる。弱火にかけて少量の牛乳を注いで、まったりまったり混ぜていく。滑らかなペースト状になったら次の工程へ。


 火の勢いを中火に変えて、今度はしっかりとした量の牛乳を入れる。ただし、ペースト状のココアを混ぜながら少しずつ少しずつ、だ。良ーくかき混ぜて熱していくが、沸騰させてはダメだ。


 ちゃんと温まったら出来上がり。


 二つのカップに注いでソファへと帰還する。お、セイが雑誌を少し読み進んでる。それにしてもゆっくりだな、そんなに見る所あったか…………?


 コトリとローテーブルにココア入りのカップを置いてやる。


「ココア置いておくぞ」


 ひと声かけるが反応は無い。しかしカップの中身が、ほんの少しだけ減った。こちらの呼びかけは聞こえている、だがそれ以上に雑誌の中身が気になる、という感じか。


 …………待てよ?セイは俺の部屋に突然現れた。


 それはつまり、地球上のどこへでも出現できる、という事なんじゃないか?まさかとは思うが、旅行雑誌を見ながらその場所を覗きに行っているのでは。もしそうなら読むのに時間が掛かっている理由になる。


 まあいい、今それを聞くのは無粋ってもんだ。


 本を読む時は自分のペースで、誰にも邪魔されないのが一番だからな。


 俺はココアをひと口啜り、ソファに掛け直す。


 一冊の世界を手に取り、それを一歩半後ろから眺め始めた。

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