第十六話 恒星クジラはコンビニへ
ちょっと想定以上に財布が軽くなったが、俺達は夕食を終えて店を出た。腹は一杯になったが、なんだか懐に冷風が吹き込んで寒く感じるね、まったく。
日は落ちて街は薄暗くなっていく。道に立つ街灯は自分の役目を果たそうと輝き始め、行き交う車はライトを点ける。部活帰りだろうか、制服姿の少年少女たちが笑い合いながら横断歩道を渡っていく。
ふと耳に入ってきた彼らの会話の中にもクジラがいた。出現して三日、恒星クジラは段々と地球の日常に組み込まれ始めている。
地球を観測する偵察機だ、いつかアレが地球に衝突してキモイ宇宙人が攻めてくるんだ!そんな話が広がるかと思ったら、人類は意外なほどにロマンチストだった。
やるつもりなら既にやっているだろうから、恒星クジラは地球をどうにかするつもりは無い。それどころか自分のサイズや影響を縮小させて、我々に配慮すらしてくれている。であれば、あのクジラは僕たちと仲良くなりたいんだ!
とまあ、こんな話である。もちろん一部の一部、隅っこの欠片くらいには陰謀論もあるにはあるが、見つけ出す方が難しい程の状態。そこにある事を誰も疑問を持たない夜空の月、いずれはそれと同じ存在となるはずだ。
少し欠けた円が薄暗い空での存在感を増していく。それ以上に、元より自身に光を持っているクジラは自己主張を開始している。数日前であれば、月は何処だろう、と探す時間だが、今ではクジラを探せばその横にあるので迷わない。
俺の隣を少女が歩く。セイは気まぐれに行動する事があるが、はてさて地球にはどの程度滞在する予定なのだろうか。宇宙スケールの話であれば、数億年間ご滞在でも可笑しくはない、のかな?
なんて考えて、俺はくくっと笑う。このクジラちゃんが、人っ子一人いなくなった地球で楽しめるとは思えない。人類が滅びたなら、その時にでも遥かな宇宙の旅を再開するのだろう。
隣を歩くセイの頭を見ながら考えていると彼女は急に足早になって、とある店の中へと突入していった。
「コンビニ……?」
全国チェーンの何処にでもあるコンビニエンスストア。どこか知らない場所に行っても、日本の何処にでもあるので見付けるとちょっと安心するお店だ。
セイにとっては初対面。薄暗くなっていく街の中で、煌々と光を湛える姿を珍しいと感じたのだろうか。なんにせよ放っておくわけにはいかない。俺は後を追って店へと入った。
そのチェーン特有の入店音が響き、店員の気の無いイラッシャイマセーが飛んでくる。うーむ、実にコンビニ、素晴らしい。
さて、セイはどこ行った?そんなに広い店内ではない、レイアウトも大多数の店舗で同じだ。見付けるな、という方が難しいというものである。
入口から右折、右に雑誌コーナーを眺めながら進む。見た目通りの年頃なら立ち読みしていたりするが、当然の如くそこにはいない。近頃は立ち読み対策のためにテープで封がされていたりするんだよな~。
直進すればトイレ。一般的には、走ってコンビニに突入する場合は大体トイレが目的地である。俺も旅先で何度
だがセイはそういった行為を一切しない。我が家のトイレットペーパーの消費量は、ただの一ミリたりとて変わっていないのだ。というわけで、そこに入っていく事はあり得ない。
突き当りを左折、今度の右手はドリンクコーナー。ガラスのウインドウの向こう側には、よーく冷えた飲料が並ぶ。お酒、ジュース、お茶にコーヒー紅茶、そして水。なんでもござれの魔法のショーケースである。
だがその前にいるのは部活帰りの高校生。彼らはどれを取るかと話し合っている。その後ろを通らせてもらい、先へと進む。
レジの中央に突き当たる通路、その左右の棚にはお菓子が並ぶ。入店した子供が真っ先に突撃する楽園、そして一個だけ!と親に現実を突きつけられる場所だ。
む。ここに居るかと思ったんだがいないな。女の子らがワイワイやっているだけ、彼女達は中学生だろうか。中学、高校、青春時代。俺は何をしていただろうか……。
もう一列奥へと進む。左の棚にパンが並んでいる、ラインナップとしては菓子パンが多い。個人的には、北海道のマークがパンに付いてるフワフワな奴が好き。
ここにもいないか。
一番奥の弁当スペースにはいないよな、流石に。…………いない、よな?
パンの棚を抜けるとその先はアイスクリームの冷蔵スペース。そこから弁当スペースも見る事が出来る、このまま進もう。
「あ、いた」
弁当が陳列されている場所……ではなく、アイスクリームケースの前だ。弁当スペース側からセイはそれを覗いており、俺がケースを挟んだ反対側から彼女を見る。
ファミレスであれだけ食っておいて、今度はデザートを御所望ですかい。じぃっと見ている様子から、どれにするかを考えているのだろう。全部一個ずつ、とかやめてくれよ?ケースの中身全部とか、絶対無理だからな?
俺が向かいに立った事を確認して、セイはコトリとアイスを動かす。流石に大勢がいる中で浮かせるわけにはいかないので、俺だけに分かる程度にアイスを揺らしたのだ。
彼女の代わりにそれを取る、と同時に別の種類のアイスもカタリと動いた。こっちもですか、はいはい。二つ目を取った所で、それ以上の反応は無し。二個で満足してくれるとは有り難い。
俺は別に欲しい物は無いので、そのまま会計へ進む。三百円出してお釣りが返ってきた、買ったアイスは庶民派な物なのだ。
袋は貰わずにそのまま店を出る。アリアシターという謎の呪文を店員から送られて、俺達は店を後にした。
人気が無い道まで来た所でアイスをセイに渡す。この時間、ここから先で人とすれ違う事はまあ無いだろう。
二つのアイスが彼女の視線の先に浮かんでいる、上空から糸で吊られているような状態だ。おそらく中身は消えていっている事だろう。
前を見る。既に梅雨は明けて、もう少しすれば夏が始まる。気温は既に上がり始めているが、今の所はまだ涼しいと言える時期だ。
とはいえ、昔から比べれば随分と気温が上がったと感じるな。地球温暖化って、何処まで進んでいるのだろうか。これから先でどんな問題が起きるんだろうか?
「冷てっ!?」
真面目な事を考えていた俺の頬に、南極の風の如く強烈に冷たい何かが接触した。声が出ると共に、ビクッと身体が震える。
頬に手を当てて温め、驚きながら横を見た。そこにはさっき買ったアイスの片割れが浮かんでいる。冷たい固形物が当たったという事は、まだ中身は健在であるようだ。
セイの目が俺を見上げる。メモ用紙が俺に接触したアイスに張り付いた。
『あげる』
「あ、くれるの」
…………金出して買ったの、俺なんだけどな。
有難く受け取って包装を剥ぐ、中身は棒アイスだ。セイの下に残った方も同じく棒アイス。珍しい事に彼女も包装を取って中身を視認している。
さくり、さくり。
猛烈に暑い夏はまだまだ先だが、冷たいアイスは実に良く身体に染みていった。
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