第五話 恒星クジラはスーパーへ
「ちょっとお時間良いでしょうか」
アパートから出て三分。公園の横を歩いていた時に声を掛けられた。
青いシャツに紺のベスト。はい、警察の方です。さも任意の声掛けだが、断る選択肢など存在しない。強硬に拒否したら、何かやましい事があるんじゃないかと疑われるだけですからね。
誰だよ、この格好なら問題ないとか言った奴!俺だよ!くそったれ!
「はい、なんでしょうか?」
努めて冷静に。
「その子、キミのお子さん?それにしては大きいようですが」
「あーっと、遠い親戚の子でして……」
我ながら中々に苦しい言い訳だ。俺は生粋の日本人、対するクジラの少女はどう見ても日本人ではない。どれだけ血縁を遡って平行移動すれば、こんな外国人以上に異常な子に繋がるんだろう。
そもそも人類じゃ無いんだから、ヒトの始祖まで遡っても誰とも繋がらないんだけどねぇ……。
「遠い親戚ですか」
うん、凄ぇ疑われてる。まあ、逆の立場であっても百パーセント疑うよ、こんな不審人物。さーて、どうするか。
………………………………どうにもできんのだが!
「失礼、身分証明書を確認させて頂いても?」
「ああ、はい……」
未成年者略取誘拐、監禁、その他諸々。
俺の罪状はどの程度のものになるんだろうか。前科一犯、少女を
俺は今、冷静である。緊急事態にあると人間はこうなる。あれ、なんだかデジャヴ、昨日もこんな感じになった様な。
鞄に手を突っ込み、その中にある財布を取り出そうとする。
そんな時。
つんつん
「ん?なにかな?」
クジラの少女が警察官の事を突っつく。少しだけ屈んで表情を和らげつつ、警察官は彼女に顔を近づけた。
とんっ
少女の指が警察官の額を突く。本当に軽い、触れただけという威力の一撃だ。事実、警察官には特に何も変化は無く、突かれた額を擦るだけだ。首を傾げながら、警察官は俺へと向き直る。
「ええと、免許証で良いですか?」
「あっと、すみません。身分証は結構です」
これは即時で捕まる感じ……?
終わった、何もかも終わった。デスエンド。さよなら
「お時間頂いてしまって済みませんでした。では、失礼します」
「へ?」
微笑みながらそう言って、警察官は去っていった。
疑い度MAX状態からゼロへ。なにが起きたのか分からないが、とりあえず俺は助かったようだ。ほっと一息つくと同時に、先程の事を思い出すと一つだけ変な事が起きていた。
「あの~……何かした?」
クジラの少女に問いかける。
この子が警察官の額を突いた瞬間から状況が変わったのだ。疑問形で言葉を発したが、少女は確実に何かをしている。
『認識
彼女に渡していたメモ用紙から一枚飛び出て、俺の手の中へ滑り込んできた。そこに書かれていたのは、確実に恐ろしい言葉だった。
つまり彼女は、人間の脳を弄れるという事だ。
「こ、怖ぁ……」
流石に身震いする。そんな俺の手に、またもやメモ用紙が飛んできた。
『あんまりやらない』
もう一枚。
『めんどくさい』
……とりあえず頻繁にやる気は無いようだ。だがそれは人間の脳を弄るのは良くないという倫理観ではなく、彼女が面倒だからという個人的理由。
超常の存在は、実に自分本位である。
近場のスーパーは激安店。そこそこの物がかなり安い、庶民の味方である。
入る前に少女に厳命、絶対に店の中の物を食べないように。昨日今日で感じたが、妙に食い意地が張っているんだよなぁ。宇宙空間にいる存在に地球の食い物、必要なのかねぇ……。
『りょーかい』
一応、分かってくれた様子。
人類が初遭遇した地球外知的生命体、窃盗容疑で逮捕!少女の姿を使って油断を誘った模様。とか報道される危機は免れたようだ。
店内へ。いつも通りに客が多い、当然の如く安い商品が棚から消失している。お目当ての品を探してあっちへこっちへ。手にしたカゴに野菜を入れ、肉を入れ、魚を入れ。左手に掛かる重量が段々と大きくなっていく。
さて、あと買い忘れている物、わぁっ!?
ズシンと左腕に想定外の重量が伝わり、ガクンと左に身体が傾いた。こ、腰が……。
「なんじゃこりゃぁっ!?」
周囲の客がサッと俺から距離を取った。だがそんな事はどうでもいい、カゴの状態を考えれば
俺の目に映っているのは、カゴに入れられた四本のサラダ油と三本の二リットル飲料水。肉やら野菜やらを潰さないように、ご丁寧にカゴの中を整理して下に入れられていた。
突然、十キログラムが片腕にかかれば当然身体が傾くに決まっている。そして、それをやったであろう存在も決まっている。周囲を見るが犯人の姿は無い。どうやら逃走したようだ。
ああ、しまった。服装を変えさせた事で店内の客に紛れられてしまう。パッと見で分からなければ捕まえるのは無理、となれば仕方がない。
「おーい―――」
店内で彼女の名前を呼ぶ。
いや、呼ぼうとした。そこで気付いた、名前が分からない。
クジラの少女、と頭の中で呼んでいたせいで投げかける名前が分からない。流石に『クジラ~』『少女~』と呼ぶわけにもいかないからな。
ふーむ、どうしようか。まあとりあえず、カゴの中に放り込まれた油と水を戻しに行こう。ぐっ、十キロは流石に重いなっ!よっこいせっと!
一つ一つを棚に、ようやく全部戻し終えた所で気配を察知した。あえて振り返らず、その気配が横に置いたカゴへと近付く瞬間を待つ。
―――そこだ!
がしっ
振り返ると同時にカゴへと伸ばされた手を掴む。そこにはコッソリと犯行をしようとしていた少女がいた。その手には筒状容器のポテトチップス、そして抱えるようにして持った大量のお菓子があった。
『しっぱい』
すうっと俺の胸に飛んできたメモ用紙にはそう書かれていた。
やってる事は親と買い物に来た子供が、スニーキングお菓子放り込みをするのと同じだ。この少女には、地球外知的生命体としての自覚は無いのだろうか。
とりあえずポテトチップスだけは買う事を認め、他は一緒に元の場所へ戻しに行く。いや本当に買い物に来た親と子供じゃねぇか、こんなデカい子供がいるような歳じゃねえぞ、俺は。
買い物を終えて、俺達は店を出る。
さて、家に帰ったら真っ先にやらなきゃいけない事が出来た。
この子に、名前を聞かないとな。
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