第四話 恒星クジラは朝を迎える

 深い眠りから微睡まどろみへ変化し、そして目が覚める。いつもの朝が始まった。


「ううん……」


 ぐぅっ、と気合を入れて目を開く。いつもいつも、朝目覚めるというのは大変な事だ。ずーっと寝続けられれば良いのに。


ぱちり


 開いた目が大きく綺麗な緑色を映した。それは視界の全てを覆っていて、超が付くほどの至近距離に在る事が分かる。


 綺麗な緑、それを俺は昨夜に見ていた。


 そう、クジラの少女の目だ。


 ん?となるとこの大きさは……?


「な、何してるの…………?」


 問い掛ける。


 ほら、幼馴染とかが朝起こしに来て、中々起きない主人公の顔を覗き込んでくるシチュエーション、アニメとかであるじゃん?それとは違うんだよ、うん、違う。


 仰向けに寝転んでいる俺と同じ姿勢でそこにいるんだ、ただし身体は一切触れていない。触れるか触れないか、そんな至近距離で少女は宙に浮かんでいる。まるでそこに、透明な板でもあるかのような状態だ。


 メモ用紙が、ひゅぱっ、と俺と彼女の間に滑り込んでくる。


 近い、近すぎる、読めん。元々俺と少女の距離は十センチも無かった。読めないのは当然である。退いてもらわなければ。とはいえ、このまま上体を起こせば頭突きしてしまう。


 両腕をゆっくり上げる。人外のナニカであっても、流石に少女の変な所に触れるわけにはいかない。トンっと腹のあたりにちょっとだけ触れる。それで意図を察してくれたのか、彼女はうつ伏せのままで天井まで上昇した。


 うん、もうそんな事で驚いたりしない。人間の適応能力って、怖い。


 目の前にあった紙を手に取り、上体を起こす。そこには。


『おはよ』


 とだけ、書いてあった。


「うん、おはようございます……」


 朝から何だか変に疲れを覚えながら、俺はベッドから立ち上がった。






 着替えようとしているのに、なぜか強硬に寝室に居座ろうとする少女。それを無理やりに排除した事で、俺は猥褻わいせつ犯にならずに済んだ。


 寝室からリビングへ。頼む、どうか滅茶苦茶になっていませんように、という祈りを込めながらドアノブに手を掛けた。


 そこには……!


「よ、よかったぁ……無事だぁぁぁ…………」


 リビングは昨日のまま、生還してくれていた。吐き出すように安堵の言葉を言って、俺は床にへたり込んだ。そんな俺の背中を、少女は不可視の手で擦ってくれた。


 うん、なにもかも君のせいなんだけどね。


ぐうぅ……


 カロリーを求める腹の声が聞こえる。起床から三十分も経ってないのに、半日くらい経ったかのような状態だ。コレが続いたら、ダイエット成功しそうだなぁ。貴方にもオススメ、クジラの少女ダイエット!ただし、精神衛生は保証しません。


 昨日、少女に朝飯用の塩むすびを奪われたので炭水化物が無い。ガチャっと冷蔵庫の扉を開き、中に何かないかと覗き込む。


 …………空の容器があるのですが。


 当然であるが、俺は容器だけを冷やす趣味は無い。となると、当然ながら中身を消失させた存在が居るという事だ。具体的に言えば、俺の後ろで冷蔵庫内を見ている奴とかな。


 あ、ストックしてた味噌汁が蓋の閉まった容器の中から消えていく。犯人は現在進行形で盗みを働いていた。これはマズい、さっさと朝飯にしないと食べる物が無くなってしまうっ!


 密閉容器を二つ取り出して、ちょっと強めに冷蔵庫の扉を閉める。いやまあ、それで盗み食いを止める事は不可能だけど。見ない事にするには十分、精神衛生の為の措置である。


 取り出したのは作り置きしていた二種類の煮物。本当なら弁当に詰める用だったが、週末まで残ってしまったので食べて処理である。


 蓋を開けてその二つを電子レンジに入れようとする。その時。


「え、なんか温かい……?」


 持った容器が既に良い感じに加熱されていた。

 冷蔵庫は冷やす専用の家電製品、取り出す際に温めてくれるスーパー便利機能などない。もちろん、一旦置いたキッチンスペースにもそんな力は無い。


 となれば温めてくれたのは一人……いちクジラしかいない。


「これ、温めてくれた?」

『こちら、あたたたためますか?』

「コンビニ店員か!というかが多い、これ以上の加熱はいらないよ!?」


 この少女、日本文化も良く知ってるな……。


 宇宙に出現して、俺の部屋に現れて。色々な事を知る時間など存在しないはずなのに。超常の存在、もしかしたら一瞬のうちに地球をスキャンして知識得たのかもしれない。


 そんな事を考えながら、隣に座った少女を見ながら煮物を口に放り込む。我ながら良い塩梅に味付けされていると自画自賛。ふっふっふ、料理に関しては一家言あるのだ!……あ、ごめんなさい、そんな事ないです。ちょっとだけ得意な程度です、はい。


 そんな大した量では無かったのですぐに食べ終えた。なんだか途中で、俺が食べる速度以上に減っていた様に感じたが気のせいである。


 ざぱざぱと容器と箸を洗う。少女はそれを横から見ている。いや本当に何がしたいんでしょうね、この子は。


 それでふと思い出した。さっき冷蔵庫を開けた時に食材を切らしていた事を。ああ、買い物に行かなければ。


 はい、また恒例の問題発生です。この子どうするか。


 家に置いておくと何が起きるか分からない。目を離した隙に、家の中どころか周囲をどうにかしてしまうかもしれない。頭の中に生じたのが、料理中に火元から離れて火事になるイメージで怖い。


 となると連れ出す必要がある。だがしかし、この真っ白な少女をそのまま出したら目立つのなんの。ついでに言ってしまえば、俺と似ても似つかない小柄な美少女を連れていたら通報される気がする。


 せめて服装くらいは変えるべきだ。うーん、だが俺は少女用の服なんて持ってないしなぁ……。どうするべきか。


 あ、そうだ。


「服、変えられない?こう、あんまり派手じゃなくて落ち着いた感じに」

『出来る、とらんす●ぉーむ』

「それはやめなさい。というか、わざわざ黒丸で伏せるなら書くなよ……」


 ひゅぱん、と少女の服が変わる。着替えじゃなくて、映像が切り替わる感じ。


 一瞬で着替えた彼女、その服装は茶色の膝丈スカートに白のTシャツ。その上から薄手の前開き青シャツを羽織り、頭にはつば付きキャップを被っている。地味だけど地味過ぎない、大人しめにも活動的にも見える格好だ。


 髪色や目の色までは変えられないのか、そのまま。だが白ワンピースよりはずっとマシである。この姿で堂々としていればよっぽどの事が無い限り大丈夫なはずだ。


「よし、じゃあスーパーに行くか」


 小さな肩掛け鞄に財布とスマホ、そしてエコバッグを詰め込んで、俺達は家を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る