第三十四話 恒星クジラは温泉に入る
肌寒い鍾乳洞を後にして、俺は車を走らせる。
車の中ではセイが謎の物体を身体中から引っ張り出しているが、恐ろしくて何も聞く事は出来なかった。頭からネジネジの金属板の様な物、腕から筒状の木っぽい何か、腰から蜥蜴の尻尾みたいな鱗まみれの謎物体。
聞くべきだったのかもしれないが、多分どれにも名前は無いんだろう。ネジネジ、
のちに学者とセイが会う時が万が一来たとして、正式名称を伝えられた先生方がどんな顔をするのかが恐ろしい。目をパチクリさせて、学名とかどうする?とコソコソ話を始める事になる。
そう考えると、早めにコイツを表に出した方が良いのか?
…………うーん、色んな意味で大惨事になる未来しか見えない。
よし、このまま『ただの変な少女』として過ごしてもらおう。それが多分地球のためだ、そうなのだ。色々食べさせて、様々な所に連れて行けばガス抜きにはなるだろうしな。
とういうわけで、なんて話では無いんだが、今回の旅の最終目的地へと俺たちは向かっている。何を隠そう、一週間前に親類から連絡を貰ったアレである。
ふふふ、これに関しては個人的にも楽しみだ。
およそ一時間半、俺達はとある町へと辿り着いた。
大きな川を挟むようにして造られた、落ち着いた雰囲気の場所。ホテル、旅館が立ち並び、来訪者を歓迎する店が多くある。そして何よりも、ここには特徴があるのだ。
「よっしゃ、着いた!温泉だ!」
ホテル駐車場に車を停めた俺は思わず喜ぶ。
今回の旅の発端となったのは、親類からの一本の電話。とある宿の宿泊券は要らないか?という話だった。もちろん俺は飛びついたのだ。
更に、その宿は昨日泊まったビジネスホテルとは訳が違う。四つ星ホテル、個室露天風呂付きのツインルームだ。個人では絶対に取らない部屋、これは経験して見なければ!と思ったのである。
非常に都合が良い事に、個室露天風呂であればセイを温泉に入れてやれる。俺が絶対に入れない女湯にセイを放り込んで何かあると怖いからな。本人は風呂に何も感じてないかもしれないが、俺だけ楽しむというのはどうにも居心地が悪いのである。
チェックインを済ませて部屋へと入った。
「すっげぇ。流石に広いし、調度品も豪華だなー」
部屋の中の物を見て回る。
ベッドはかなり良い物、椅子からして座り心地の良さそうだ。全体的に落ち着いた印象の装飾となっており、ゆっくりと休む事が出来る空間となっている。
そして何よりも、タイル張りの屋外に露天風呂がある!
初めて見たぞ、個室露天風呂。いつでも入り放題、誰も気にせず使用可能とは、素晴らしいの一言だ。
ざばーっ!
「うおっ!?」
突然、露天風呂の蛇口からお湯が吐き出され始めた。
まだ俺は何もしてないぞ!?故障か?
と思って見てみると、きちんとお湯が出るように操作がされている。つまり人為的に、いや鯨為的にそうなっていた。そう、セイがやったのだ。
「なんだ、温泉が気になるのか?流石にまだ昼間だし、もう少し後でも、ぅっ」
振り向いた俺の目に映ったのは、既に服を消しているセイの姿。俺は咄嗟に目を逸らす、本人は気にしないだろうがそれは別問題だ。
フワッと浮いた彼女は、俺の頭の上を飛び越す形で宙でくるりと一回転してザボンと勢いよく湯船に浸かった。
『入れ』
そっぽを向いている俺の顔面にメモが飛んでくる。
「おい、入れって一緒にか?そりゃダメだろ、倫理的に」
『?』
「あー、そうだよな」
男女の別など、孤独の旅人が持っているはずが無い感覚だ。見られて恥ずかしい、見てはいけない触れてはいけない。そういった事はセイには存在しない。
となれば、自分と同じ事をしろ、と彼女が言うのは極端におかしな事ではないだろう。
だがしかし、はいそうですか、と頷くわけにはいかない。固辞する、断固拒否だ。
問題は男女の別、羞恥心に関する事を説明のしようがないという点。
セイにとっては『人間は人間』でしかなく、そこにオスだのメスだのの分類は無い。おそらく少女の姿をとっているのも、完全ランダムで見付けた何処かの人間を模しただけなのだろう。そもそも、宇宙に在る恒星クジラに性別という物があるかどうかすら分からない話だ。
「うおっ!?」
どうすればいいか、と考えていると腕を強めに引かれる。湯舟の方に。
「こ、こら、止めろ!引きずり込もうとするなっ!」
ぐいぐいと俺の身体を温泉へと誘おうとするセイ。倫理的に拒否しなければという事と、着衣のままずぶ濡れになるのは嫌という両方で抵抗する俺。
どちらが勝つなど、言う必要も無い事だ。
「わ、分かった!分かったから!引っ張るのを止めろ!」
『勝った』
降参の声を受けて、彼女は勝利宣言を書いたメモを飛ばした。
まだまだ真っ昼間。
空には星も月も出ておらず、澄んだ青空と輝く太陽が何とも眩しい。
そんな中で、俺たち二人は並んで湯船に浸かっている。男女の別どころか、種族の別も超越した不思議な湯だ。
さらさらと風が水面を動かす。俺達が伸ばした足の像が、それに応じて揺らぐ。疲れが湯に溶けて、思わず声が出てしまう。
俺が振り回されっぱなしの隣で湯に浸かる少女。これからどうなるのかなんてのは分からないし、考えても仕方のない事だ。そんな無粋な事は今考える必要などない。
ただただ、今は一緒に温泉を楽しめばいいだけだ。
片手でセイの頭をぐしゃぐしゃっと乱暴に撫でてやる。
手のかかる奴ではあるが、人間に対しては悪意の無い存在だ。俺に対してはその限りじゃ無い気もするが、今の所は問題ではない。これからも仲良くやれると良いと、俺は思う。
「うお」
『おかえし』
見えない手が俺の頭をざかざかと撫でてきた。
はは、どうやら気持ちは同じだったようだ。
俺達は並んで湯に浸かって、青い空をゆったりと見上げた。
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