第二十一話 恒星クジラは滝を眺める
…………酷い目に遭った。
周りの木々がずっと下に見える位には打ち上げられたよ、死ぬかと思った。俺は高所恐怖症、地上に生還しても未だに膝ががくんがくん大笑いしてらっしゃるぞ。
顔には全く変化が無いが、行動から推測は出来る。はしゃぎ始めた奴の周りに居るのは危険だ、俺で遊ばれてしまう。
…………まあ、気付いた時点でもう手遅れなんだがな。人間如きが逃走出来るような
全身がずぶ濡れになったが、そこは流石の上位存在。一瞬で全ての水分を消し飛ばし、服も持ち物も元通りだ。靴に至っては、先程よりもピッカピカになっていた。
だがな、俺は別に沢遊びに来たのではないのだ。というか、この場所は遊泳可能な場所ではない。というか、こんな奥地まで水遊びに来る奴は余程の暇人だ。
俺は暇人ではないぞ、仕事で来たんだからな。暇な奴というのは、宇宙の果てから地球にやって来て、一人の人間を玩具にして水で空に打ち上げるような奴の事を言うのだ。
沢の側は苔に覆われた石だらけ、石から階段までの場所は自生し放題な植物たちの楽園だ。足下ではカエルやらヤモリやら、蝶やら蛾やらが飛び回っている。すまんな、ここでは俺達が邪魔者だ。
ざくっざくっと土になりかけの枯れ葉を踏む。見上げる木から折れ落ちた枝を踏んで、パキッと音が鳴った。申し訳なく思いながら、がざがざと植物たちを蹴散らしていく。
木々の枝葉の隙間から日の光が差し込むが、それでもこの場所は木陰の黒の方が強い。これから真夏へ向かうとしても、沢の近くである此処は涼やかなままだろう。
カメラを構える。先程ずぶ濡れになってしまったが、セイによって無事に回復した俺の商売道具だ。どうだ直してやったぞ、とでも言いたげな雰囲気だったように感じるが、そもそも元凶はお前である。
逆に手刀を頭に叩き込んでやったが、そのお礼に水の塊で顔面をぶん殴られた。水ってな、それで殴られると結構痛いんだぜ?みんな、知ってたか?
色々と納得できない部分はあるが、横に置いておいてファインダーを覗く。先程は
さて、これで沢は十分だろう。俺はカメラのファインダーから目を放した。
ん?セイはどこへ行った?さっきまで俺の横にいたはずだが……?
ここは川の上流域、もう少し進んでしまえば原生林だ。そこへ入り込んでいたら、俺では追いかけられない。放っておいても戻ってきそうだが、流石に置いていくのは気が引けるというもの。さて、何処へ行ったのか…………。
「おーいっ、セイ~。どこ行ったー!」
静かな木立の中へと張り上げた声が吸い込まれていく。元より静かで、人間など俺しかいない。そんな場所で人の声が聞こえれば、誰が誰を探しているかなどすぐに分かるはず。
だが、特に何の返事も無い。そこでふと思い出す。
「あ、あいつ喋れないんだった」
声を発せず、毎回の意思疎通はメモでの筆談……印字談?声を掛けられたからと言って『はーい、ここにいるよー』などという返事が返ってこないのは当然だ。
まだ出会って一週間も経っていないが、文字での会話が当たり前になりすぎていた。脳内で勝手にセイが喋っているような感覚になっていたのだ。
だがしかし返して言えば、メモなら会話が出来るという事。聞こえたならばそれが飛んできても良いものだ。
何のアクションも無し。いや、絶対に聞こえてて無視してるだろ。むーん、仕方がない。とりあえずは目的の場所まで進んでみるか、もしかしたら俺から聞かずにそこに辿り着いている可能性もあるからな。
ざくざくがさがさ、道なき道を突き進む。普通の歩き方では腐葉土になりかけの葉を蹴ってしまう、だから大きく足を上げて歩んでいく。
虫たちが俺から逃げ、危うく踏み潰されそうになったカエルが自慢の脚でピョンと跳んだ。いや、ホントに悪いな、邪魔するよ。
ここは車で目の前まで到達できる場所。だがしかし目立った観光目的地などではないため、人が来る事の方が稀である。それ故に草木が生え、虫や小動物たちが元気に暮らしているのだ。
彼らの住処を荒らしながら、俺は目的の場所へと近付いていく。
そして、次第にその音が耳に入ってきた。
滝の音だ。
とはいえ、大瀑布の轟音ではない。さらさらと流れる沢に似た、さあさあとした落水の声である。数歩進むと、木に遮られた視界が晴れた。
「―――お」
思わず声が漏れた。
そこは俺が目的地とした、木々に隠れた小さな滝。滝の上には樹木は無く、そこから一筋の日の光が差し込んでいる。足元の石は苔むしており、その間を沢に向かって水が流れていく。
それだけでも、何処か幻想的な雰囲気の場所。人が入って良いのか、疑問が生じるような所だ。車で至近まで来られるのが不思議な秘境である。
それを写真に納めに来た。だが今、俺の目には更に幻の様な光景が映っていた。
ゆっくりとカメラを持ち上げ、ファインダーを覗く。息を止め、そしてシャッターを切った。カシャ、という短い音が、その幻想をデータとして現実に焼き付ける。
木々の間を落ちる滝。
苔むす石を打って避けて流れる白い水。
天から差し込む一筋の光。
そして、その中央で宙に浮かぶ白いクジラの少女。
これは何処にも出す事の出来ない、誰にも見せる事の出来ない一枚になる。それは何とも残念で、だからこそ幻想的であるなと考えて、俺はフッと笑った。
カメラを下ろして、俺はその少女へと呼びかける。
「おーい、戻ってこーい」
先程まで無視していた音。
それを認識したセイは、俺の声に引かれてこちらに顔を向けた。
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