第一章

第一話 恒星クジラは茶を盗む

『えー、恒星クジラについてですが、現在分かっている事をお伝えします』


 テレビの中のJAXA職員が解説を始める。だが彼らもまた異常事態に混乱している様子で、手元の資料をあちらへこちらへ移動させている。


『この物体ですが、日本時間二十二時ちょうどの時点で確認出来ていました。ですがそれは、太陽系の外から巨大な何かが接近している、という事で……ああ、ええと』


 スライドが次へ進む所が戻ってしまい、職員は慌てながら操作する。


『観測時点では、太陽系よりも巨大な何かが突然現れた、と。太陽系の様に恒星を中心とした星の集まりではなく、大きな一個の何かが、という事です』


 本来は俺なんかが理解出来るわけの無い天体の話。それを訳が分からないながらかみ砕き、なんとかかんとか理解できる状態で送ってきてくれている。


 宇宙に関わる人は凄いと改めて実感させられる話だ。


『ですがそれが突然消失、これが日本時間二十二時二十分。そして二十二時二十二分には地球周回軌道上に出現しました。ですが……』


 スライドが次へ移る。


 そこには鯨のサイズ比較資料。一つはシロナガスクジラ、だがもう一つが見当たらない。緊急事態故に資料作成ミスだろうか?


『この資料では見づらいかと思いますが、どう表現しても比較がしにくく……。最初に観測した大きさが上、現在観測しているものが下です。え~、ここのゴマ粒の様なものがそうですね』


 職員も見つけられない様子で、眼鏡を外してスライドが映っている画面を凝視。それほどまでに大きさが違う、という事らしい。


『現時点では二つが同一かどうかは判断できませんが、特徴は似通っています。ですがもし、ああと、これはあくまで仮定ですのでご安心して聞いて下さい』


 焦りながらも、心配の必要は無い、と呼びかける。それはつまり、この後に発せられる『何か』が驚くべき事なんだろう。


『もし二つが同一だった場合、いま空にある鯨は途轍もない質量を持っている、という事になります。それはつまり地球が鯨に、いえ、太陽系が鯨を中心にして振り回される事になるはずです』


 俺の平凡な頭ではどういう事か、ちょっと想像が出来ない。


『ですがそうなっていない、我々がこうして生きている。恒星クジラが自身の質量を変化させる力を持つのか、それとも何か別の……。ああと、端的に言ってしまうならば―――』


 何を言われるのか、俺は少女から目が離せずとも耳はテレビに集中していた。


『地球に対して影響が無いように質量を変化させているのであれば、恒星クジラは意思を、知性を持っている事になります。それはつまり恒星クジラこそが、人類が発見した最初の地球外知的生命体である、という事です』


 地球外知的生命体、それをたった三文字で言い表すなら。


 宇宙人。


 JAXAという公的機関の公式会見で、衝撃の情報が放たれた。記者団からは「おおっ」と声が上がり、おそらく会見を見ていた日本中の人々からも驚きの声が出ているんだろう。


 そんな中で俺はただ一人、声も発せられずにクジラの少女と対峙している。


 なんだ、この可笑しな状況は。そう考えると何だか、もうどうでもよくなってきた。


「あーっと……。って、ソレ?」


 絞り出すようにして口から出た質問とテレビ画面をさす指。


 少女は俺を見つめたまま、またメモを破く。そして宙に浮いた紙に、返答が出現した。たった二文字。


『そう』


 と。






 なんとか一息ついた俺は、とりあえず夜飯を腹に入れた。空腹時に緊張状態にらめっこでカロリーを消費した身体に、カルボナーラは実に良く染みる。


 エコロジーの為にプラフォークや割り箸を貰わなかった。だがら俺は今、箸を洗っている。ここからリビングを見る事が出来るのだが……。


 女の子はとりあえずソファに座らせているのだが、一切動かない。身じろぎ一つもせず、ジッとしている。頭が少し揺れるといった事も無い、まるで人形のようだ。


 暴れられるよりは百倍マシだが、不気味すぎて怖い。


「あ~っと……なにか、飲む?」


 冷蔵庫のドアを開けながら少女に聞いてみた。背を向けるのは怖いので、身体は女の子の方を向けたままだ。


 少女は、くるり、と首だけ動かしてこちらを見る。その動きが滑らか過ぎて、作り物のような感じでゾワッとした。


 じぃっ、と彼女はこっちを見ている。俺を見ているのか、それとも冷蔵庫の中なのか。正直よく分からないが、何かを見ているようだ。


ピー、ピー、ピー


 ドアを開け放った状態のままであるため、警告音が部屋に響く。テレビは付けっぱなしだが、その音よりも警告音の方が遥かに大きく感じる。


 ふっ、と少女は目を逸らした。こちらを向いていた頭は正面へ戻り、再び動かなくなる。


 疑問に思いつつも、俺は冷蔵庫の中から麦茶を取り出した。

 が。


「ん?あれ?」


 プラスチック製の縦長ポットに麦茶が入っている。いや、底の方にちょこっとだけ残っている、と言った方が正しい。


 昨日の夜に麦茶パックで作っておいたんだ。朝に一杯飲んだ程度、空になっているのは変だ。と、ついさっきの記憶がフラッシュバックする。


 おにぎり空中消失事件である。手を使わずに封を開け、中身を取り出し、消失させた多分食べた。それと同じ事が今起きていたのだとしたら。


「断りなく飲みやがった……」


 ちょぽぽ、と最後の麦茶をコップに注いで、俺はそれを飲み干した。


 すぅ、と手元に一枚の紙が滑り込んでくる。そこには。


『ごめん』


 とだけ書かれていた。

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