聖戦

第46話 教皇聖下

「気配が消えた」


 そう呟いたカイン様は、警戒しながら布に包まれた手鏡を確認し始めた。

 おそらく、急に声が聞こえなくなったのは私の腕輪同様に、高魔力媒体とも言えるカイン様が近づいたからだろうと、焦りつつも冷静に考えていた。


 お父様が何を言っていたかまでは聞こえていなかったかもしれないが、警戒をやめないカイン様を見て、正直に話した方が良いと思い「じ、実は……」と恐る恐る声を絞り出した。


「その箱は、先程お父様から届いたものなんです」


「メンシス侯爵から?」


「はい。その、鏡越しにお父様と連絡が取れるみたいで、さっきまでちょうどお父様と話をしてまして……その……お父様がいつもの如く穏やかでは無い物言いをするので……えっと……」


 「封印しました」と、目を右から左へと泳がせながら告げると、カイン様は警戒モードから急にきょとんとした表情になり、緊張が途切れたように声を上擦らせた。


「ふ、封印した!?」

 

「そう……ですね。邪悪な物を包み隠したという点では同じようなものかと」


 私がそう言葉を返すと、状況を把握したカイン様は堪えきれなくなったように「クックックッ」と口を押さえて笑いだした。


「笑い事ではありませんよ!! 皇家への侮辱は処刑されてもおかしく無いんですから!」


 私がこれまでどれだけ肝を冷やしてきたかなんて、カイン様には想像もつかないだろう。


 呑気に笑っているカイン様に向けて口を尖らせると、カイン様は「ごめんごめん」と目尻の涙をぬぐいながら答える。


「今さっき話してた内容までは聞こえなかったけど、想像したら笑っちゃって。なんていうか、メンシス侯爵の言う悪口って面白いよね」


 この発言から、今回は聞いてないとしても、過去に対面した際に、直接言われたのだろうことが伺い知れ、より一層、私の顔面は蒼白し、カイン様は何で笑っているんだという気持ちが大きくなる。


「そ、そう言う問題ではありませんよ! 過去の歴史で皇家を侮辱した発言や、威厳をおとしめる発言をしてきた者はどんな家格の者でさえ処罰されてきたんですからッ!」


 ことの重大性を分かってないと、私は半分怒りながら意見するが、カイン様は相変わらず笑いながら、諭すように言葉を続ける。


「そうだね。でも、セレーネはもうすぐその皇家の人間になるわけだけど……どうする?」


(どうするって……)


 私は勢いのまま、すぐに言い返すことができなかった。


 どうする? というのはニュアンス的に、処罰するのか? ということを聞いているのだろう。


 それに対する答えはノーだが、そんな選択肢があっていいのかと疑問に思う節はある。


 皇家というのは帝国にとっての絶対的存在で、皇家の敵は国家の敵なのだと、そう教えられてきたのだ。


 どんなに理不尽だろうがそれが身分というもので、逆らう人に落ち度があるのだと信じて疑わなかった。だが、いざ自分がその処罰する立場になると言われたらどうだ。


 たかだか言葉一つ、態度一つで人の命を奪う権利を私が持つだなんて、そんな烏滸おこがましいことか許されて良いのかと嫌悪感すら覚える。


 しかし、こけにされて侮辱されて許すというのも、七百年の歴史を持つ皇家の威厳を考えるとどうなのだと、私は眉をひそめて、答えを求めるようにカイン様の目を見つめる。


 しかし、カイン様は何も言わず、手に持っていた手鏡を箱に戻し、静かに蓋を閉めた。


 相変わらず優しい口元をしてはいるが、何も答えない私に呆れてしまっただろうかと少し不安になる。


 もやもやと考えていると、カイン様は一言「困らせてごめんね」と言って私の頬に触れたが、その手はすぐに離れ、さっき入ってきた扉の方へ足を進めた。


「じゃあ、聖下が来られる日が決まったら連絡するから。多分明日か明後日にでも来るって言うんじゃないかな?」


 そう何ともないように言ったカイン様だが、どこか少し寂しそうな顔をして扉の向こうへと行ってしまった。



***


 ワールス教皇聖下が訪れたのはそれから二日後のことだった。


「初めまして、セレーネ・メンシス侯爵令嬢」


 目の前の白いローブを着た教皇と呼ばれる老人はよわい八十は超えているだろうか。


 どことなく不安定なバランスで椅子から立ち上がり、ヨロヨロと歩いて私の前まで来ると、ゆっくりとした口調で挨拶をした。


「初めまして、ワールス教皇聖下。お会いできて光栄です」


 私が挨拶を返すと、教皇聖下はとても嬉しそうに笑って話を続ける。


「皇太子殿下の婚約に立ち会えるだなんて、いやはや、大変喜ばしい。私が生きているうちにはもう無理だと思っておりました」


 そう言ってカイン様に目を向けると、仮面をつけたカイン様は、軽く口元に笑みを浮かべたまま会釈をした。


 雰囲気を見る限り、お互いそれなりに知った仲なのだろう。


 何も知らなかった私は、皇帝と初めて会う時くらいの心持ちで今日を迎えたが、存外和やかな雰囲気に良い意味で期待を裏切られた。


 なんだ、普通に良い人そうだわ。


 肩の力を抜くと同時に教皇聖下の横に立っている人物に視線を向けた。


「セレーネ、こちらはサペルマン枢機卿猊下。教皇聖下はもうお年だからね。猊下が式典を取り仕切ってくれるんだ」


 カイン様が紹介してくれると、サペルマン枢機卿猊下は会釈をし、言葉を続けた。


「初めまして、セレーネ・メンシス侯爵令嬢。この度はご婚約誠におめでとうございます」


 すらっと背が高く、頬がこける程の痩せ型で表情の乏しい中年の男性。教会内の内政には詳しくないが、おそらくこの人がワールス教皇聖下の跡を継ぐのだろう。


「初めましてサペルマン枢機卿猊下。お祝いのお言葉ありがとうございます」


 女性は喋りすぎない方が品があるように見える。

 そう叩き込まれたマナーを反芻はんすうするように最低限の挨拶を返し、控えめに教皇聖下へと視線を戻した。


「では、こちらに食事を用意しておりますので、食べながらゆっくりと打ち合わせをしましょう」


 カイン様がそう言うと、教皇聖下は笑いながら

「肉はあるかね? まさか年寄り扱いしてないだろうな」

 と、口角を上げていたずらっぽく問う。


「えぇ、もちろん。教皇聖下の好きな物はちゃんと覚えていますよ」


 カイン様もにっこりと言葉を返した。


 教会と皇室の関係はズブズブだと言われているが、蓋を開けてみれば、ただ仲の良い祖父と孫のような関係性に見える。


 外から見たものと中から見たもので、こんなにも感じ方が変わるものなのかと、楽しそうに話す二人を見ながら思わず頬が緩んだ。


 そんな私に気がついたのか、目が合ったカイン様の口元も僅かに上がると、教皇聖下は私達を見ながら目を細め、

「本当に良かったのう」と目なのかシワなのかわからない線を弧を描くように浮かべた。


……――――

 

 食事をとりながらの打ち合わせといっても、蓋を開けてみれば懇親会のようなものだった。


 婚約式当日は、サペルマン枢機卿猊下の後ろを着いて歩き、壇上にいるワールス教皇聖下に聖水を振りかけてもらい、誓いの言葉を述べるという流れだと説明されただけで、あとはずっと関係のない世間話で盛り上がっている。


 話を聞く感じでは、カイン様がノクタスの森から戻ってきて、皇太子の立場を確立する際に教皇聖下のお世話になったそうだ。


 そう聞くと、ただの政治的な関係性のようにも感じてしまうが、ワインを飲んで顔を真っ赤にしたワールス教皇聖下が何度も

「本当によかった」

 と、目に涙を浮かべながら言う言葉は、心からの言葉のように思える。


 カイン様もそれを分かっているのか、いつもの他人への貼り付けたような笑顔ではなく、不器用ながらも嬉しそうな笑みを浮かべて答えている。


 サペルマン枢機卿猊下はといえば、正直何を考えてるのかわからない。野菜を数口、口に運んで二人の会話に合わせてゆっくりと頷いている。


 そういう私も、常に口角を上げ続けている違いくらいでサペルマン枢機卿猊下と同じようなものだ。


 食事の中盤にさしかかったところで、教皇聖下おまちかねのメインの肉料理が運ばれてきた。


「おお! 羊の肉かね」


 そう言った教皇聖下が慣れた手つきでステーキにナイフを入れ、小さく切られた肉を口へと運んだ時だった。


「うぅ……ッ……ごぼッ!!」


 教皇聖下が突然胸を押さえてうめき声を上げたかと思えば、赤い液体を口から吐き出した。


 喉に何か詰まらせたのか? 赤い液体はワインか?


 現状から考えられる可能性が頭を駆け巡るが、それを全て否定するかのように、上半身がテーブルに並ぶ食器の上に重力のままに倒れこみ、ピクリとも動かなくなった。


 僅か十秒に満たない間の出来事だった。

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月の女神の神隠し〜訳あり皇太子に溺愛されて皇室の謎に迫る〜 瀧本しるば @silvery00

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