第41話
皇后陛下は光るネックレスの石を両手で強く握ると、ぼんやりと灯る程度だった灯りがメラメラと燃える焚き火のように強い光を放った。
「太陽神の言葉をここに継承する––––––犠牲となった月国の民、そして太陽国の民、皆に謝罪する。我らは和解を望む。この意思が皆の元へ届くよう、我が子孫よ、勤めを果たせ」
そう言い終わると共に皇后陛下は目元に溜めた涙を溢れさせた。
鉄格子の向こうからアベル殿下に向かって両手を広げ、優しく慈しむように殿下の頬を包む。
先程までの凛々しい
アベル殿下もその顔に安心したのか、張り詰めた緊張が途切れたように、静かに涙を皇后陛下の手へ伝わらせた。
「母上……逃げましょう……ここで死ぬには早過ぎます……」
涙声で訴えるアベル殿下に対して皇后陛下は優しく笑ってアベル殿下の前髪をかきあげた。
「今、この時から貴方は太陽国の皇帝となりました。この血筋をどうするかは全て貴方に任せます……」
背後の階段からコツ、コツ、コツ、と何やら人が上がってくる気配がする。私は焦りを露わにするが、皇后陛下は気にしていないかのように言葉を続ける。
「皇位を継いだ今、私の命の
そう言って皇后陛下は格子越しにアベル殿下の頭に自らの頭を近づけ、震える唇で祈りのような呪文を唱え始めた。
「熱き太陽よ、決して燃え尽きること勿れ。陽を与え、震える者に温もりを纏わせよ。闇を分かち、月を照らせ……」
アベル殿下は皇后陛下がしようとしていることを察したのか、首をゆっくりと左右に振って
「いらない……そんなのはいりません……! 俺は……ッ私は、貴女が居ればそれでよかった!!」と叫び、頬に添えられた両手を掴んだ。
そんなアベル殿下にお構いなしで皇后陛下は申し訳なさそうに笑う。
コツコツコツと階段を上がる足音はもうすぐそこまで来ている。
「アベル……ありがとう、私のもとに生まれてきてくれて……––––––ずっとこの先も愛してるわ…………」
皇后陛下が消えそうな声でそう言ったと同時に、コツンと階段を上がりきった足音が聞こえ、皇帝が曲がり角から姿を見せた。
まずい! と思ったが、先程と同様に皇帝にはこちらの姿が見えていないらしく、驚いたような表情で私達の合間を縫って皇后陛下の牢の前に駆け寄った。
「お前、どこにそんな力を残していたんだ?」
皇帝は魔力の流れを察知したのか皇后陛下に問いかける。
「貴方には分からないでしょうね。自分の命よりも大事なもののことなんて」
皇后陛下がやり切ったような凛々しい声で返すと、皇后陛下の身体は炎に包まれたように燃え上がり、足元から徐々に崩れ始めた。
「お前も皇妃のように息子に守護をかけたのか。戻って来たカインにアベルを殺させて闇魔法を完成させようと思っていたのに……小癪なことを……」
皇帝は余程想定外だったのか、歯を食いしばり、怒りに満ちた表情で灰になって消えゆく皇后陛下を睨みつけると、最後に残った上半身を魔法で吹き飛ばし、荒々しい足取りで踵を返した。
不機嫌そうな足音はどんどんと遠ざかり、牢には行き場をなくした灰が踊るように宙を舞う。その様子をアベル殿下は片膝をついたまま静かに見つめ続けた。
今、目の前で人が一人亡くなったというのに、私は悲壮感とは全く違う感情を抱いている。
それを噛み締めるほどに、私のお腹の底の奥深くから何か熱いものが込み上げてくるようで、思わず身震いする。
この短い時間で皇后陛下はやるべき事をすべてやり遂げた。皇后として、太陽国の旧皇帝として、母として、全て抜かりなく次世代に託して皇帝に一泡吹かせてやったのだ。
何も知らないのは罪だ。知る機会を得られなかったのだから仕方がないことかもしれない。それでも私は今日見た光景を仕方がなかったことで終わらせたくはない。
皆が平凡に暮らしていた裏で剣も盾も持たずに戦っていた人達がいた。その功績を無かったことにはさせたくない。せめて私だけでも、ドゥンケルハイトが塗り潰した歴史を最後まで見届けなければ。皆が報われる結果にしなければ。
きっと、それをするために私はここに遣わされたのだ。
舞っていた灰が落ちて地面を白く覆う頃、アベル殿下は殆ど乾いた涙を袖で拭った。
「行こうか」
殿下は立ち上がると、両手をポケットに入れ、私達が上ってきた階段へと歩き始めた。
「大丈夫……ですか?」
大丈夫なわけが無いだろうが、他に言葉が出てこなかった。でも、何も声をかけないわけにもいかない雰囲気だったから探るように声を投げると、アベル殿下は想像よりもあっけからんとした声を返す。
「あー、うん。なんか……思ったより大丈夫そうだわ。さっき、カインもそうだったけど、多分、俺らの中であの人たちはもう既に過去の人になってんだろな。たまに夢に出てきて、その度にああやって言葉を交わすが、目が覚めたら何事もなかったかのように朝がくる。今も、そんな夢の続きみたいな感覚だ。……ただ––––––」
そう言ってアベル殿下は立ち止まる。
「多分、今見た夢が、母上に会える最後の夢だったんだと思う」
そう言葉を続けて再び足を前に進めた。
淡々と語る口調だったが、目の前の広い背中が少し寂しそうに見えるのは私の勝手な思い込みだろうか。
何と言葉を返すべきか悩んでいると、私の視線に気がついたのか、殿下は振り返り、赤く腫れた目のままフッと顔の表情を緩め私の頭に手を置いた。
「本当に大丈夫だから気にすんな」
一言だけそう言うと、再びポケットに手を入れて前を向き、いつもと変わらぬ足取りで階段を降りて行く。
心配不要とでも言うように伸びた背筋と以前より一回り大きく見える背中。
あぁ、この人もあの皇后陛下から生まれた皇家の人間なんだ––––––
頭に置かれた手の後が妙に温かい。根拠のない安心感を感じるこの気持ちは弟しかいない私には今まで知ることのなかった感覚だ。
本当は大丈夫ではないのかもしれない。でも、本当に大丈夫なのかもしれない。真意は分からないが、私は大丈夫だという殿下の言葉をそのまま受け止めたら良いのだということだけは分かった。
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