第42話

 階段を降りた後も殿下は足を止めずに真っ直ぐどこかへと向かっているようだったが、好きなところへ自由に行けるほど扉は開門していない。


 この空間では人物などには干渉できないようにすり抜けてしまうが、扉や壁、置物など動かない物はすり抜けることも動かす事も出来ないようだ。


 皇后陛下がいた牢まで行けたことが奇跡だった。まるで誰かに導かれていたかのように。


 案の定、殿下が向かおうとしている方角には扉があり、しっかりと閉め切られている。誰かが偶然通りかかることなど無いに等しいだろう。


 どうするつもりだろうと見つめていると、アベル殿下はポケットから出した自分の手のひらを見つめたかと思えば

「セレーネ嬢」と言って私に手を取るように差し出した。


 そういえば、いつから私の事をセレーネ嬢なんて親しげに呼ぶようになったのだろう。


 差し出された手が何をしたいのか分からないまま大人しくその手を取ると、アベル殿下は反対側の手で閉まっている扉を押し開けた。


 まさか開ける事ができるとは思わず、驚きつつ殿下を見上げると、殿下も一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにいつもの表情に戻り扉の向こうへと歩みを進める。


 迷いなく進んだ先でようやく足を止めたのは今まで見た中でも特に高貴な扉の前だった。


 扉の前には皇室の近衛騎士が一人立っており、こちらが見えていないとはいえ、扉を開けて入るのは騒ぎになるのでは無いかと二人で顔を見合わせた。


 すると、アベル殿下は何か閃いたのか私の手を引き、私を扉の前に立たせたのだ。


「え? どうしろっていうんですか?」


 思わず小声で問いかけると、殿下は開けてみろと言わんばかりに顎で私に指示をする。


 こちらの姿は見えていないのだし、誰が開けても大丈夫だとは思うが、何故今になってまるで身代わりのように私を前に立たせるのか。


 私は何があってもいいようにとしっかりとアベル殿下の手を握り、死なば諸共の視線を送りつつ扉に手をかけた。


 すると、黄色い光の輪郭を纏った手はスルスルと扉をすり抜け、私とアベル殿下は何事も無かったかのように部屋の中に入ることができた。


「なるほどな」


 アベル殿下は私の手を握ったり離したりしながら反対側の手で扉に触れる。少しはレディの手を握っていることに躊躇いなり恥じらいなりを覚えて欲しい。


「どういう原理なのですか?」


「わっかんねぇけど、俺らが手を取り合ってる間は俺はこの時代に干渉できて、お前は干渉は出来ないけど阻まれることもないみたいだな」


 私はふーんと納得しながらアベル殿下と同じように手を握ったり離したりしながら扉に触れてみる。手を離している時は扉は動かすことができないただの石のような壁になるが、手を握ると立体的な映像のようにすり抜けることができる。


「月の女神の時空干渉能力的なことは関係してそうですけど太陽神の加護はどういう風に影響しているんでしょうね」


「嘘を見抜ける……つまり、真実を映すとか実態に触れるとかそういうのかもな」


 なるほど! と思わず手を打った。たまに見せる何かを考える時の表情は研究者のような知性が垣間見える。地頭は良い人なのだろう。アベル殿下のことをアホっぽいとか思っていた自分は本当に表面しか見ていなかったようだ。


「言葉通り、この先は月と太陽、手を取り合っていくしかないですね」


「何上手いこと言ったみたいな顔してんだ。ドヤ顔やめろ」


 アベル殿下の皇族とは思えないきつい言葉遣いにも慣れてきてしまったので、特に萎縮することもなく

「そういえば、ここは誰の部屋ですか?」と何事も無かったかのように辺りを見回した。


 暗くてよく見えないが、柔らかい絨毯の感覚と高い天井、右奥にあるのは天蓋のついたベットだろうか。扉の前の近衛騎士にしろ、皇族の部屋であることは間違い無いだろう。


 アベル殿下はつかつかと歩みを進めてベットの枕元に立とうとしたが、私と手を繋いでいない時の天蓋は、柔らかさなど皆無なのか、殿下は思い切り頭をぶつけると、声にならない声を出して頭を堪えるように座り込んだ。


 先程見直したばかりなのに格好のつかない人だ。そういうところがどうにも憎めず、つい気を許してしまうのかもしれない。


「殿下、大丈夫ですか?」


 私が頭を押さえて座り込む殿下の横に腰を下ろすと、少し涙目ながらも恥ずかしさを誤魔化すように私をキッと睨みつけた。


「こういう時は気づかないフリをするのが本当の気遣いだろーが」


「そうでしたか、わかりました。次回からは気をつけます」


 大丈夫ならいいやと、気持ちのこもっていない適当な言葉を返すと、殿下は視線を逸らして何事も無かったかのように立ち上がり、私に手を差し出した。


 私もその手を取り立ち上がると、殿下は私の手をギュッと強く握りしめ、天蓋に手をかけると今度は柔らかく揺れ、寝ている人物の顔が現れた。


 暗いし、布団を被っていて誰かまでは分からない。


 アベル殿下は寝ているその顔に

「おい、起きろ」と叩くように触れる。

 寝ていた人物は夢と現実の間を数回行き来した後、目の前の現実が視界に入ったのか目を大きく見開いて飛び起きた。


「なっ、なっ、なんだ!?」


 アベル殿下と同じ声、同じリアクションでこちらを見る男は間違いなくアベル殿下だ。この時間軸だと十六歳くらいだろうか?髪の毛が跳ねているせいもあるが確かに少し幼く見える。


「よぉ、お前、今の自分の立ち位置が分かってるか?」


「な、な、なんだよ急に、つーか、え!? 俺!?」


 十六歳のアベル殿下は咄嗟に枕元にあった護身用の剣に手をかけたが、アベル殿下の顔を凝視したまま困惑している。


 そんな過去の自分に優しさなどは無いのか、アベル殿下は相変わらずのやからのような口調で言葉を続ける。

 

「静かにしろ。太陽神がわざわざお前にお告げに来てやったぞ」


「は!? 太陽神!?」


「だから静かにしろって!」


 アベル殿下が静かに怒鳴ると、十六歳の殿下は大人しく口をつぐみ怪訝な顔でこちらを見つめる。段々と目が覚めて冷静になってきたらしい。


「いいか、今この瞬間からお前は皇帝になる事を諦めて静かに、大人しく、情勢だけを見て生きろ。返事はハイかイエスか喜んで以外認めない。わかったな?」


 少し幼さの残る目の前の顔は頭をポリポリと掻き、チラリと私の顔と手元に目をやった。

 二人とも武器を持っていない事を確認したらしい。余裕そうに鼻で笑い言葉を返した。


「はっ! そっちこそ分かってんのか? 俺の偽物め。今ここで俺が大声を出せば城中の騎士が駆けつけてくるぞ」


「わかってねぇのはお前だよ。そんな事しても狂った母親の息子も同じように狂ったと言われるのがオチだ」


 アベル殿下が言うや否や、十六歳のアベル殿下は瞳孔をかっぴらき、歯を食いしばって手元にあった剣を抜いて切りかかってきた。


 その初動を感知したアベル殿下は素早く私と繋いでいた手を離し、その斬撃をかわす。


 私達を見失った十六歳の殿下の後ろでもう一度手を繋ぐと、アベル殿下は更に言葉の追い打ちをかける。


「な、お前は何も分かってないだろ?」


 寝巻き姿のアベル殿下は声が聞こえる方へと何度も力一杯剣を振り下ろすが、その度に私たちは干渉できない現象を利用してかわし続ける。


 何度も繰り返し、息切れし始めた十六歳の殿下は

「ぁぁぁぁあああああ!! なんなんだよ!!」

と叫び、ついには手に持っていた剣を投げ捨てた。


 荒い息を吐きながらその場に膝から崩れ落ち、一頻ひとしきり両手で頭を掻きむしったかと思えば急に冷静になったのか、大きく深呼吸を繰り返す。


 呼吸が落ち着いてくると、自問するように言葉を紡ぎ始めた。


「……なんだよ、お前らは俺が造り上げた幻覚なのか……? ばかじゃねーの。何だよ、全部俺が悪かったのか? それを自覚しろってことか?」


 乱れた前髪で表情はよく見えないが、明らかに戦意が喪失したことを確認すると、アベル殿下は私の手を引いて、十六歳の自分の前に同じように腰を下ろし、自分と同じ髪色の頭に手を置いた。


「やっと分かったか? だから俺がお前を助けに来てやったんだよ。お前の味方は俺だけだ。お前を信じる者も俺だけだ。さっき俺が言った事、忘れんじゃねぇぞ」


 アベル殿下はそう言って頭に置いた手を優しくぽんぽんと撫でるように動かす。


 大人しく撫でられた十六歳の殿下は諦めたようにぼそりと殿下に問いかけた。


「……なぁ、本当に何者なんだよ。新興宗教か?」


 幼さの残る青い瞳が目の前の同じ青い瞳をじっと見つめる。

 その視線に返すようにアベル殿下も真剣に目を合わせ、はっきりと答えた。


「……お前だよ。生き延びた先のお前だ」


 アベル殿下を見つめる十六歳の殿下の目が揺れた。

 おそらく、アベル殿下が嘘をついていないことがわかったのだろう。


「はっ……なんだよそれ……意味わかんね。俺は一体何を信じればいいんだよ……」


「簡単だろ。お前も、俺を信じればいいんだよ」


 アベル殿下はそう言って私と繋いだ手を引っ張り、十六歳の殿下の前に突き出した。


「こいつも、まぁ、変な奴だが信じてやってもいい。但し気をつけろ、こいつは幻覚みたいなもんだから––––––」


 アベル殿下が過去の自分の手を持ち、私の手に触れさせようとしたが、当たり前のように私の手を貫通して通り抜けた。触れられた感覚は一ミリも感じられない。


 アベル殿下は眉を下げて薄らと笑い、十六歳の殿下の耳元に口を寄せた。


「間違っても、手が届くとは思っちゃいけねぇ。絶対に隠し通せ。お前、得意だろ?」

 

 忠告するように囁くと同時に、アベル殿下の身体が白く光り始めた。

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