第43話

 転移からの帰還の予兆はアベル殿下だけでなく、私にも現れた。


 アベル殿下と繋いでいる手から、白い光が徐々に私を侵食し、自分だけが取り残されることはなさそうだと少し安心する。


 十六歳のアベル殿下は私たちを見つめたまま腰を抜かしたように固まり、呆気に取られているようだ。


 私は光が侵食し切る前に殿下にニコリと笑いかけた。


「アベル殿下。では、未来で––––––」


 会いましょうという言葉を言い切る前に私の口から声は出なくなった。視界も白く覆われ、眩しくて目を瞑ろうとした時、視界の端で黒いもやが揺れた気がしたが、すぐに私の意識は遠のいていった。


 



 目を開けると、ゆらゆらと揺れる天蓋てんがいと、ふわふわとした赤い髪が視界に入った。


 重たい鎧を着ているような感覚で、すぐには起き上がれそうもない。

 なんだか今回はとても疲れた気がする。一日中訓練した翌朝よりもしんどい。


 仰向けのまま、更に顔を横に向けると、赤い髪の持ち主はまだ意識が戻っていないのか、下を向いた長いまつ毛はピクリとも動かない。


 それに対して私は段々と意識がはっきりしてきた。戻ってきた全身の感覚的に、ここはベッドの上なのだろう。柔らかいシーツの肌触りがとても心地良い。


 このままもう一度目を閉じてしまおうかしら……


 瞼に降伏しかけた時、聞き覚えのある声が天蓋を勢いよく揺らした。


「太陽神〜〜!!! ご無事ですか〜〜!?」 


 声の低い男と背のひょろりと高い男がひょっこりと顔を覗かせ、ベッドの中で私とアベル殿下が寝ているのを見ると、男たちは分かりやすく狼狽えた。


「しっ失礼しましたぁ〜〜!!」


 すぐに顔は引っ込んだが、騒がしい声にさすがのアベル殿下も目を覚ましたらしい。

 私と同じように身体が重たいのかすぐに起き上がることはなかったが、目だけをキョロキョロと動かし、視覚と聴覚から入った情報からすぐにいろいろ察したらしい。


「ま、まてお前ら……」


 殿下はぐぎぎぎぎと歯を食いしばりながらゆっくりと起き上がり気配を消そうとする二人に必死に声を投げる。


「何か勘違いしているようだか、そういうわけではない……」


「え? ……そうなんですかい? それよりも太陽神、どうしたんです? お疲れですか?」


 低い声の男が心配そうに言う。


「あぁ、なんだか身体がアホほど重てェ……全身筋肉痛みてぇな……」


 アベル殿下が正直に体調を報告すると、天蓋の外からは声を抑えているつもりなのかもしれないが、こそこそと会話する声が聞こえる。


「筋肉痛だってよ……何したらそんなことになんだ?」

「そりゃお前……ナニだろ……」

「何って?」

「ナニはナニだろ察しろ!」


 背の高い男が声を張ったと同時にアベル殿下も

「察さなくていいんだよ! つーか違ぇ!」と声を被せるように張り上げた。その時、部屋の扉の向こうからコンコンコンとノックされる音がした。


 音を聞いたアベル殿下の配下達はすぐさま身を翻して気配を消し、ドアの向こう側から声が発せられる。


「アベル殿下、いかがされましたか?」


 若い男性の声だ。部屋の前にいた近衛騎士が違和感を感じて声をかけてきたのだろう。


「なんでもない、大丈夫だ!」


「そうですか。失礼しました」


 ドアの向こうから音が聞こえなくなったのを確認するとアベル殿下は大きく息を吐いた。この数分の間に頬がこけたようにさえ見える。


「アベル殿下……大変ですね」


 私が他人事のように声をかけると、アベル殿下は私の顔を見て、怒るかと思えば諦めたような目をして、更に大きなため息を吐いた。


「本当にお前さ……いや、もういいわ。疲れた」


 アベル殿下はそう言うと目を閉じ、すぐに小さく寝息を立て始めた。本当に抗うことを諦めたらしい。


 それなら私ももう一度眠ろうかしら? と瞼の力を抜きかけたとき、天蓋の影からひょっこりと丸い顔が姿を見せた。

 気配を消したと思っていた声の低い方の男だ。


「すいやせん、メンシス侯爵令嬢。そういえばカイン皇太子殿下に二人が戻ったら伝えるように言われているんですが、伝えちゃっていいですかねぇ?」


 私はチラリと寝入ったアベル殿下を見て、どうしようかと思ったが、戻ったことは伝えた方がいいだろう。


「そうね。伝えた方がいいわね。カイン様は自室にいらっしゃるかしら。私も……えーっと、あなたと一緒に行っても良い?」


 名前が分からなかったので少し言葉を濁した。

 本当は起き上がりたくないが、そんなことも言ってられないだろう。

 私は全筋力と精神力を腕に集中させてなんとか身体をベットから引き剥がすことに成功した。


「俺はサノと申しやす。お嬢様も大丈夫ですかい?」


 サノさんは心配して私に声をかけてくれるが、正直言うと大丈夫ではない。頭も口もしっかり動くのに、身体だけが言うことを聞かないのだ。どんなにキツイ訓練をした後でも、ここまで動きたくないと思ったことはない。


 どうにか動かずに移動できる方法はないものかと考えた時、カイン様の部屋の脱衣所でもう一人の男に連れ去られた時のことを思い出した。


「……ねぇ、サノさん。もしかしてだけど、ここからカイン様の部屋まで転移とかできるかしら」


「あー。シャワールームには前忍び込んだ時に魔法陣繋げたんで行けないことはないと思いやすけど……」


 サノさんはそう言った後、視線を泳がせながら

「俺は怖いから行きたくないっす」と、聞き取れないくらい、小さなボソボソとした声で呟いた。


「怖いって?」


「メンシスお嬢様は大丈夫かもしれやせんけど、多分、もう一回俺が忍び込んだら、串刺しになる魔法とかかけられてると思うんすよ」


 何それ面白い冗談ね、と笑おうとしたが、サノさんの顔は怯えるように真剣そのものだったので

「えぇ? そんなことないと思うけど……」と、自分の常識を疑いつつ言葉を返した。


「いやいや、ありますね。ここだけの話、俺はカイン皇太子殿下が本当に怖いんすよ! ライも……あ、俺の相方の背の高い奴も皇太子殿下が怖いから俺に伝言任せてさっさと帰っちまうし……だから、もしメンシス侯爵令嬢がいいなら一人だけ部屋に送ってもいいですかね?」


 サノさんは両手を組んで、もじもじとさせながら、伺うように私の顔をチラリと見つめた。


 帰ってきた報告だけだし、わざわざ二人で行く必要もないため私は

「いいわよ」と一秒の迷いもなく返事をすると、サノさんは、花が咲いたような明るい表情に変わる。


「本当ですかい!? ありがとございまっす! じゃあ早速送らせてもらいますね!」


 サノさんは余程行きたくなかったのか、私の気が変わるのが怖いのか、大急ぎで床に魔法陣を描き始め、ものの数十秒で私に、こちらへどうぞと両手でアピールをしてきた。


「ねぇ、何がそんなに怖いの? 確かに嫌なイメージがあるかもしれないけど、実際はとても優しい人よ?」


 全身筋肉痛の身体をゆっくりと動かしながら言うと、サノさんは何言ってるんだと言わんばかりの怪訝な目をして呆れたように息を吐く。


「まぁ……俺が今まで会った中で誰よりも冷酷な人なのは間違いねぇっすよ」


 サノさんは意味深にそう言うと、早く会話を切り上げたかったのか、私の手を取り魔法陣の上に立たせた。

 すぐに魔法陣は作動して、私を包む白い光によってサノさんは見えなくなってしまった。


 最後まで、サノさんが冗談を言っているようには見えなかった。

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月の女神の神隠し〜訳あり皇太子に溺愛されて皇室の謎に迫る〜 瀧本しるば @silvery00

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