第40話
ゆっくりと立ち上がり辺りを見渡すと、太陽の姿はなく、皇宮から漏れる灯りで薄らと辺りが見える程度の闇夜になっており、空気の匂いも違うような気がする。花と草の匂いがしていた先ほどまでと打って変わって土と枯れ葉の匂い。風も少し冷えた様で季節が変わったという感覚が正しいだろう。
襲撃の日の夜、騎士団長のマスポーネ卿が言っていた感覚はこう言う事だったのかと今なら理解できる。
お茶会が出来そうだと思った白いテーブルは長い間使われた形跡がなく、周りの庭も手入れはされているが綺麗というよりもただ整然としている。夜だからとかは関係無く、華やかな皇宮とはかけ離れており、気味の悪さすら感じるほどだ。
「時間軸が変わったのかしら……」
ぼそりと声をこぼせば、首元のネックレスからアベル殿下の声が聞こえた。
「なぁ、道沿いに真っ直ぐ進んだら北塔があるからとりあえず中に入ってみないか?」
特に反対の意思は無いので、私はその提案に従って歩みを進めた。
北棟の入り口には衛兵が居たが、やはりこちらの姿は見えていないらしい。交代に来た衛兵の横を堂々と通り過ぎて中へと侵入する。
皆が寝静まっている時間なのか皇宮内もシンと静まり返っており、聞き耳を立てながら廊下を進んでいると、途中の部屋の中からコソコソと話し声が聞こえてきた。
「……––––皇后陛下の処刑の日が決まったらしいわよ」
ドアが少し開いており、隙間から中を覗き込むとメイドらしき、若い女性と少し年上だろうの女性二人が洗い物をしながら小さな声で話をしている。
「決まったって、いつです?」
「三日後らしいわ。あぁ……どうして……皇妃殿下殺害と第二皇子殿下の殺害未遂の罪なんて……絶対おかしいわよ」
「しっ! 絶対他の人にそんなこと言ったらダメですよ!」
そう言って
もう少し続きが聞きたくてドアに耳を付けてみるが、コソコソと話している声が聞こえるだけで何を話しているかまでは分からない。
皇后陛下処刑の話があがるということは、時系列的にカイン様がノクタスの森から帰還したということだろう。
アベル殿下も彼女達の話し声が聞こえたのか、思い詰めた声で私の名前を呼んだ。
「セレーネ嬢」
声がするネックレスを手に取ればアベル殿下は話を続ける。
「皇后陛下の……母の様子を、見に行ってもいいか?」
いつもの傲慢さは無く、元気のない声だ。
アベル殿下にとっては実母が罪人として裁かれる過去を追体験しているのだから私が思うよりもずっと精神的に参ってるはずだ。だからこそ、母に会いたいと思うのは至極当然のことだと思う。
「わかりました……どちらへ向かえばよろしいですか?」
「このまま中央塔を抜けて西塔へ行ってくれ」
私はアベル殿下に促されるまま足を進める。
お互いしばらく沈黙が続いたが、中央塔を抜けた辺りでアベル殿下が
「今から独り言を言うから、懺悔と思って聞いてほしい……」と言って私の胸元でぽつぽつと言葉を紡ぎ始めた。
「皇妃様が亡くなってからカインと会う事はほぼ無くなったんだ。俺の所には毎日家庭教師が代わる代わるやってきて、朝から晩まで部屋から出る事は無いし。あの頃の俺は馬鹿ないい子だったから、真面目に大人の言う事を聞いて自分が皇帝になれば全て解決できるって思ってたんだ」
そう言ってまた呆れたように言葉を続ける。
「会えなくなって三年くらいたったある日、ひょっこりとカインが夜中に皆の目を掻い潜って俺の部屋に来たんだ。『兄上、元気してるか』って嬉しそうに笑ってた。でも、その時の俺は毎日の勉強や訓練で疲れてて、自分のことでいっぱいいっぱいで、お前は気楽そうでいいな眠いから帰れって追い返しちまったんだよ。冷静に考えればあいつだって本当はいっぱいいっぱいで助けを求めに来てたって分かるのに。俺が最後に残った拠り所だった、そうなってやらなきゃいけなかったのに、あっさりとその繋がりを俺が断ち切っちまったんだ」
アベル殿下の表情は分からないが、時折り声を詰まらせながら一言一言丁寧に紡がれる言葉からは長年の後悔が滲み出ていて、その声を聞くほどに私も胸がギュッと締め付けられる。
「それから数年たって、カインが暗殺されたって話を聞かされて、全部を後悔した。六年も時間があったのにどうして一度も俺から会いに行かなかったのか。どうして良い子であろうとしたんだろうってな……」
カイン様が持つアベル殿下の印象は賢くて優秀な兄だった。私の知っているアベル殿下とは全然違うと思っていたが、今の話を聞いて何となくアベル殿下という人を理解できた気がする。
幼き責任感と優しさが後悔に変わって今更ながら真反対の……幼少期のカイン様のような人間になろうとしているのではないだろうか。一種の逃避行動といえばそうなのかもしれない。
昼のアベル殿下が言っていた「なりたかった自分とそうならなければならなかった自分」の裏には、太陽神の加護で人の嘘を見抜けるようにもなったことで、太陽が出ている間だけは自分自身にも嘘がつけなくて二重人格のようになってしまっているのかもしれない。
そうだと考えるといろいろと辻褄が合う気がしたが、その推測は自分の中だけに留めておくのが良いだろうと、アベル殿下に言われた通り、ただ静かにその懺悔に耳を傾け、音が鳴らない床の上を歩き続けた。
西棟端にある螺旋階段を上がった先の最上階。そこに皇后陛下は幽閉されているらしい。
どこからか入る隙間風が吹き抜けるこの場所は外と変わらないくらい寒い。ルナーラの
私が階段を上まで上がり終えると、そこには皇族を幽閉するにはあまりにも質素な牢が一つあった。
大きな月が見える格子のされた窓と形だけのベッド––––––その上にアベル殿下と同じく、赤い髪色の女性は座っていた。
牢の鉄格子に近づくと
「誰!?」と、皇后陛下は声を上げて振り向き、目だけをキョロキョロと動かす。
私は驚いて立ち止まったが、目の前の皇后陛下はやはりこちらが見えていないのか視線が交わる事はない。しかし、ゆっくりとこちらへ近づいてきて鉄格子に手をかけ言った。
「……アベル?……そこにいるの?」
信じられない気持ちを上回る確信を持ったその声が、トリガーとなったのかは分からないが、私のネックレスが急に光だし、私のすぐ横にアベル殿下が飛び出たように現れた。
アベル殿下は何が起こったのかと驚く間も無くすぐに顔を前に向け
「母上……」と小さく声を溢すと皇后陛下は口元を押さえ、ハッとしたように目を見開いてその場にズルズルと座り込んだ。
「あぁ……アベル……あぁ……!」
良かった。と声を絞り出して心底安心したように皇后陛下は俯き、祈るように震える手を合わせた。
「太陽の神よ、満月の夜に私と息子をここに引き合わせて下さった事を感謝いたします……!」
そう言って皇后陛下は鉄格子の隙間からこちらに手を伸ばした。
「アベル、時間がありません。あのネックレスを私の手の上に置いてください」
まだこちらが見えては居ないのか視線が合わないまま凛とした口調でそう述べるので、私はアベル殿下に問うように目を向ける。アベル殿下も同じように凛とした強い眼差しで頷いたので私はネックレスを外し皇后陛下の手の上に乗せた。
すると、ネックレスは通り抜けて落ちる事は無く、実体を持ったまま皇后陛下の手の上に収まり、ぼんやりとした橙色の光を放った。
暗闇に蝋燭が灯ったように、光に照らされた私たちが見えるようになったのか、皇后陛下はアベル殿下と私の顔を交互に見て何かを察したように一度頷き言葉を発する。
「よく、来てくれました。アベル、そして貴女が月の女神の子……ということですね」
乾いた唇から発せられる清廉ながらも重厚感のある声に私は圧倒され、一度息を飲み込み言葉を返した。
「はい、そう言われています」
私の返事を聞くと、喜びと同じくらい緊張感を纏い
「ようやく、歴史が動く時が来たのね……」と言葉を溢しアベル殿下に目を向ける。
「アベル……」
皇后陛下は殿下の名前を呼び、じっと顔を見つめると目を潤ませたが、感情を抑えるように一度目を閉じゆっくりと息を吸い込み言葉を紡いだ。
「太陽の末裔に代々伝わる言葉を今から貴方に託します」
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