第39話

 皇帝は倒れ込んだ皇妃殿下に近寄ると、カイン様の身体をすり抜けてその身体に触れた。


 「最後に魔力を使い切ったか…………なにか、余計な事もしたようだな」


 そう言って皇帝が辺りに浮かんだ粒に触れると、バチンと弾けるように光が手を拒否する。


 「……まぁ良い。それよりも強い闇を育てれば良いだけのこと––––––」


 皇帝が庭園の入り口の方に視線を向けると、幼い子供の声が聞こえた。


「なぁ、兄上、良い物見つけたんだ。またあの箱開けてくれよ!」


「それは良いが、それよりも今から陛下達に会うんだからちゃんとした言葉を使え」


 静かな庭に響いた声の主を見れば、五歳か六歳くらいだろう––––赤い髪と青銀髪の二人の男の子がこちらに向かって歩いてきている。


楽しそうにお喋りをしながら歩いてくる仲睦まじい姿。それが誰かはなんとなく予想がついた。


「あれは俺たちだ……って事は…………これはやはりあの日なのか……?」


 今まで黙っていたアベル殿下がわなわなと声を震わせ言葉をこぼす。


 皇帝の姿が見えたからか、小さなカイン様が無邪気に駆け寄ると、現場の違和感に狼狽えゆっくりと立ち止まる。

 小さなアベル殿下も、どうしたんだ? と駆け寄り、倒れている二人を見て顔を引き攣らせた。


「は、母上!!」


 アベル殿下が皇后陛下に駆け寄ると、カイン様もおそるおそる皇妃殿下に近寄り声をかける。


「おかあさま……?」

 

 返事が無いのはどうしてかと、泣き出しそうな顔でカイン様は皇帝を見上げた。


「陛下! 宮廷医を呼んできます!!」


 幼くもしっかりした様子のアベル殿下がそう言って、来た道を駆け戻っていくのを見送った後に、皇帝はカイン様の隣りにゆっくりとしゃがみ込んだ。


「カイン……よく聞くんだ。これは皇后の手によって起こった悲劇だ。皇后は皇妃に嫉妬しておった。もしかしたら今後お前にも刃を向けるやもしれん……アベルも皇后の子、二人でお前を嵌めようとするやもしれん。あいつは魔法の才能があるお前に嫉妬しておるからな……」


「そ、そんな……嘘だ……信じられない」


「嘘ではない……母を失ったお前は誰からも愛されない可哀想な子だ、誰も信用してはならない……」


 皇帝はカイン様の小さな頭に手を置きながらそう言うと、皇帝の口から出る言葉がゆらゆらと文字としてカイン様の頭に降り注いだ。


「あれは、洗脳魔法だ」


 目を見開いたままのアベル殿下はまるで知っていたかのように言葉を吐く。


 ゆらゆらとなびくその影のような文字は徐々に子供のカイン様を侵食し、子供らしい丸みを帯びた目の焦点は合わないまま顔面を蒼白にさせてガタガタと震え始めた。


 私は初めて見る不気味な光景に、恐れよりも怒りが勝り、気がつくと腕輪の中から飛び出して目の前の幼児に駆け寄っていた。


 私が子供のカイン様を抱え込むと同時に皇妃殿下が放った光の粒が子供のカイン様の頭上に集まり、洗脳魔法と共に小雨のように降り注ぐが、頭にのぼった血のせいでそれどころではない。


「ダメよ! 騙されちゃだめ! 貴方のことを大切に思う人はまだたくさんいるし、これからも現れるわ!」


 私の姿など見えない皇帝は私の叫びにかぶせるように更に言葉を続けた。


「お前が心に闇を持つほどにその魔力は高まるだろう。孤独になれ、人を恨め。そうすればお前は誰よりも強くなる。皇妃を見よ。お前が弱いから何も護れないし誰にも愛されないのだ。皇妃は自分を守ってくれなかった息子の事を恨んで死んでいったよ」


「違う! なんて事言うのよバカ! バカ! アホ! ジジイ!」


 目の前のムカつく顔を何度も叩くがスカスカと空振りし、口汚く罵ってやりたいのに私の語彙力では出てくる言葉が子供の悪口レベルで全く気が晴れない。


 そんな自分にも苛立ちがつのってきて、怒りなのか悲しみなのかも分からない、駄々をこねる子供のように泣きながら腕を振り回して貧相な悪口をひたすら口から連ねるしかなかった。


 その時、


「セレーネ」


 振り上げた手を掴まれたので後ろを振り返ると、カイン様が宥める様な優しい声色で声をかけた。


「セレーネ……ありがとう。もう大丈夫だよ」


 カイン様が目を赤くして発するその言葉にも胸が締め付けられ、余計に涙が溢れてくる。私は行き場の無くした手でカイン様の胸元のシャツを掴んで

「大丈夫なわけないじゃない!」と八つ当たりのように叫んだ。


 自分の母親が殺されることも、今まで送った不遇な日々も、生きることを諦めたような顔をしていた十一歳の少年の元凶がここにあるというのに。何でカイン様が冷静でいられるのかが分からない。


 カイン様は私の全力の否定に一瞬目を見開いたが、すぐに笑って私の涙をそっと拭った。


「もう大丈夫なんだよ。セレーネが怒ってくれたし、私はちゃんと母に愛されていた。それに何となく全部思い出したんだ」


 カイン様がそう言いながら上を見上げると、皇妃殿下が放った光の粒が隣のカイン様の上にも降り注ぎ、何も干渉できないと思っていたそれはすり抜ける事無くカイン様の身体に入り込んでいった。


 私がその光景を涙を拭い取り見つめると、そのままカイン様の身体が光を纏い始める。清々しい様子のカイン様は何かを察したのか、アベル殿下が居るネックレスを外し私の首に付け替えた。


「おそらく……私は先に戻らなきゃいけないみたいだ。最後まで付き合えなくてごめん。……兄上も……今まですまなかった。セレーネを頼むよ」


 ネックレスからはアベル殿下の鼻声で強がるような声が聞こえる。


「はっ。この状態の俺によくそんな事言えるな」


「兄上は昔からいざという時程頼りになりましたから」


 カイン様が消える間際にそれだけを言うと、転移特有の白い光に包まれて姿は見えなくなった。

 

 それと同時に、急に辺りの時空が歪んだかのように視界がぐにゃりと折れ曲がり、重力変化にくらくらしてその場に座り込むと、まるで時計を早回ししたかの様に日が沈んで、登ってを繰り返し、ようやく落ち着いたかと思えば静かで真っ暗な夜に変わっていた。

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