第19話

 パレットさんと話をして、領民への親しみを実感する程、私は内心落ち着きがなくなり、飲んでいるお茶の味もわからなかった。


 こんなところで呑気にお茶なんか飲んでいていいのだろうか。


 一刻も早く家に帰って皆の安否を確認しに行かねばならないのではないか。


 思考と表情筋がリンクして、笑顔が上手く作れなくなったと自覚した頃に、目の前のパレットさんの表情が急に固まり、私と視線が合わなくなった。


 私の不安が移ってしまったのだろうかと、おそるおそる声をかけようとした時だった。


「セレェェェェネェェェェ!!」


 大砲が撃ち込まれたかのような大声と、勢いよく扉が開いた音に驚いた私は持っていたコップを落としそうになった。


 お茶は少し零れたが今はそれどころではない。


 慌てて立ち上がり、振り返って声の主の顔を見れば、私が会いたいと願って止まなかったその人、お父様だった。


 どういう状況なのかわからないが、お父様の頭髪は寝起きよりも乱れ、いつも綺麗に梳かれている髭も絡まり毛玉が出来ている。


 服装も寝間着にガウンを羽織っただけで、目なんか今にも飛び出そうな程に血走っている。


 我が父との感動の再会のはずであるが、本当に父なのかと疑いたくなる風貌に、思わずパレットさんの方へ二三歩後ずさりした。


 そうしていると、続けて騎士団長のマスポーネ卿が、お父様を制止しようと慌てて駆け込んできた。


「侯爵様! 私より先に行かないでくださいと言ったではありませんか!」


「セ、セレーネ! 本当にセレーネか!」


 お父様は制止するマスポーネ卿の手を振り払い、私の方へ近づいてきたかと思えば、私の全身を上から下まで確認した後、ぐしゃぐしゃの顔で泣き始めた。


「セ、セレーネ……よ、よかった……い、いったいどこへ行ってたんだぁぁぁぁ―…」


 おいおいと泣きながら私の足元へ崩れ落ち、私の両足を抱きしめてくる。


「お、お父様! ご無事で何よりです! メンシス家の皆も無事ですか!?」


「あぁ、皆無事だ! お前だけ居なくなってしまってどうしようかとぁぁぁああああ!!」


 こんなに泣くお父様は今まで見たことがない。


 ここまで猛スピードの展開となると、私自身が喜びを表すタイミングを失ってしまった。


 私とマスポーネ卿はどうしようかと目を合わせた。


 マスポーネ卿は私の後ろにいるパレットさんに気が付き

「お騒がせして申し訳ない」

 と一礼し、お父様の横で膝を深く折り曲げ、私の足元で丸くなっているお父様の背中に手を添えた。


「侯爵様、お嬢様も見つかったことですし一度家に帰りましょう」


 私は手に持ったままのマグカップを何とか机の上に置き、バランスを崩して倒れない様に体勢を整えながら問いかける。


「そういえば、お父様とマスポーネ卿はどうやってここまで?」


「それが、侯爵様が突然お嬢様の居場所が分かったと部屋に駆け込んでこられまして、そこからすぐに近所に住む魔法使いを叩き起こし、転移魔法陣を作動させてやってきたのです」


 足を抱いていたお父様の手が今度は私の腰に抱き着き、ぐしょぐしょの顔で私を見上げた。


「ようやくお前の現在地が魔法版に出てきて、急いで来たんだ。あの日からお前の反応が全然なくなって、魔法石を壊されてしまったのかと思ってたんだが、一体何があったんだ?」


「魔法石はずっと付けていましたよ! 私も自分に起こった事が良く分からないのですが……とにかく一度帰りましょう。魔法使いの方が外で待っているのでしょう?」


 私はお父様を立ち上がらせ、パレットさんの方へ向き直った。


「一度ならず二度も助けていただきありがとうございました。またお礼をしに来させていただきます」


 私に続いてお父様とマスポーネ卿が深く頭を下げると、パレットさんは

「いえいえいえ、とんでもないです!」

 と言ってその場に平伏そうとする。


 私は慌てて

「パレットさん!膝が悪いんだから!」

 と言って何とかその行為を取りやめさせた。



 小屋の前には魔法陣がすでに描かれており、叩き起こされた魔法使いの人に

「ありがとうございます」

 と言って、申し訳なさげに頭を下げると、魔法使いの人もペコリと会釈を返してくれた。


 全員が庭に書かれた魔法陣の上に立ったのを確認して魔法使いの人がブツブツと呪文を唱えると、徐々に魔法陣の光に包まれ、一瞬にして家のロビーに到着した。


 目の前にはガウンを羽織ったお母様と執事のサイモンと侍女のリリー、そしてラホール卿が夜も遅い中待ってくれていた。

 エリックとエリヤの姿が見えないが、さすがに二人は寝ているのだろう。


「セレーネ!」


「あぁ、お嬢様ご無事でよかった……!」


 お母様は私に駆け寄り、リリーはその場で泣き出し、サイモンとラホール卿は静かにその様子を見守っていた。


「お母様、リリー……皆が無事で本当によかった……」



 何度最悪な状況を想像をしたか分からない。


 最も望んでいた帰還の景色に、私は安堵で目頭が熱くなるのを感じた。


「セレーネ、一体何があったか詳しく聞かせてくれ」


 お父様が帰宅早々に急かすのをお母様が

「まぁまぁ」

 と制止した。


「それよりも、リリー、セレーネをお風呂に入れて着替えさせてあげて。サイモンは何か簡単な食事を用意してあげてちょうだい。そしてあなたもよ、ジョセフ」


 お母様はお父様に詰め寄り、もじゃもじゃに絡まった髭を指差した。


「この一か月まともに食事も睡眠もとらず、お風呂だって何日前だったかしら?あなたが倒れないか皆心配していたのよ?」


「す、すまん……」


「あなたもシャワーを浴びて、セレーネと一緒に食事にしましょう。いいですね?」


「う、うむ」


 そう言ってお母様はサイモンの方へ向くと、サイモンは笑顔で一度頷き、調理場の方へと向かっていった。


「では皆。後ほど集合という事で」


 お父様が一言そう言うと、私を含めて皆は声をそろえて

「かしこまりました」

と頭を下げた。



 ***


 時計は午前零時を回っていた。


 食卓には私とお父様、お母様、マスポーネ卿とラホール卿が座り、サイモンが私とお父様の前に食事を準備し、リリーはそれ以外の人の前にお茶を注いでくれた。


 お父様から話を聞くに、私が連れ去られた後、馬車を取り囲んでいた集団は予め設置されていた転移魔法陣で去っていったとの事。


 このことから計画的犯行であることは明らかだ。


 マスポーネ卿がラホール卿に加勢するためすぐに追いかけたが、現場には発動後の魔法陣とラホール卿の馬しか残っていなかった。


 後日、騎士団数名にて付近を捜索したところ、実行犯らしき男の死体が見つかった……という全貌だ。


 私も自らに起こった事をとりあえず皆に話した。


 見覚えのない森に一人飛ばされ、たまたま出会った少年と共にひと月を過ごし、その場所がノクタスの森と判明し、ルナーラに帰還しようと考えていた矢先に、再び転移して今度はパレットさんの小屋付近に居た。


 ざっくり起こった事実だけを言うとこんなもんだろう。


 私が何か質問が無いか皆の顔を見渡すと、皆は眉間にしわを寄せ、難しい顔をしていた。


 すぐに質問が出てこなかったため、私が先に手を上げ、質問を投げかけた。


「そういえば、現場には馬しか残ってなかったと言われましたが、私と一緒に飛ばされたラホール卿は一体どこにいたのですか?てっきり、同じ場所に飛ばされるものだと思っていたのですが……」


 私がそう言うと、難しい顔をしたままお父様が

「実はな……」

 と口を開いた。


「今回の襲撃は私たちだけが被害を受けたわけではないのだ」


「と、言いますと?」


「皇太子の婚約者候補で最後まで残った令嬢全員が襲われていたのだ。そして、その令嬢達が揃って飛ばされた場所におそらくお前も飛ばされるはずだったのだが……」


 そう言って、お父様はちらりとラホール卿へ視線をやった。


 続きはラホール卿からという事だろう。


「……お嬢様と共に魔法陣に入ってすぐに、私はどこかの部屋の一室に飛ばされました。そこには最終候補に残っていた令嬢三名がすでに監禁されておりました。部屋は施錠されていましたが、すぐに見張りと思われる男が入ってきて、私を見るなり、予定に無い事が起こったからか、慌てはじめたので……まぁ、そこからは現場を制圧して三名とも無事に家に帰せましたが、肝心のお嬢様の情報は全く入らずという結果でした」


 最後は説明が面倒になったのか省略したようだ。


 個人的にはその脱出劇が最も気になるが、今聞けるような雰囲気ではない。


「ちなみに、そこは何処だったの?」


「首都近郊の空き家でした。捕縛した一人から誘拐の目的を聞き出そうとしたのですが、『言われてやっただけだから分からない』としか答えず……確かに、令嬢だけを監禁する目的しかなかったのでしょう。私一人で制圧できる程度に手薄でしたので」


 私がなるほどと納得しつつも、何か違和感を感じた。


「何故、私はそこへ転移されなかったのかしら?」


 私がそう言うと、お父様が洗って綺麗になった髭を触りながら

「そこなんだよ」

 と呟いた。


「現場には確かに魔法陣は一つしかなく、行先が分かれるはずがないんだ。何か、私たちの知らないより高度な魔法があるのか……」


 私は高度な魔法と聞いて、私の知る中で最も有能と思われる魔法使いの顔が思い浮かんだ。

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